第17話 金庫の鍵を探す

 萌音の家は赤い屋根が可愛らしく、小さな畑がある素敵な住まいだった。翔太は思った。ああ、こういう場所でスローライフとやらを送りたい。けれども仕事はやらねばならぬ。願望を芝生の庭に捨てて、翔太は仕事に向かう。来客用のスリッパがぱかぱかと鳴った。萌音が言う。ようこそ、わが家へ。

 おばあちゃんの金庫とやらは二階にあった。少し乱雑に物が置かれた部屋の中、ぽつんとそれだけ仲間がいないような寂しさをまとっていた。暗い空の色はその寂しさを増幅させる。

「これが、おばあちゃんの金庫です」

「おお、素晴らしいですね。歴史のいい香りだ」

 古めかしい金庫は確かに歴史と共にそこにあった。坂口が金庫に微笑みを見せた。はっきりと、へたくそな笑みだとわかった。この金庫、大切にされているんですね。坂口がかみしめるように言う。

「お前、なんだか嬉しそうじゃないか」

「だって見てくださいよ翔太さん。この金庫、綺麗なんですよ。ほこりをうっすらまとっているのに。手入れされている」

 坂口の言っていることは真実だ。この金庫は、誰かの大切なものだと一瞬でわかる、そんな金庫だったのだ。上はほこりをかぶっていても、側面や大きな二つのダイヤルにはほこりはいない。丁寧に掃除されていたのだろう。翔太の心が温かくなった。じんわり。心地よい感覚だった。

「言ったでしょ。おばあちゃんの、大事な大事な金庫だって」

 翔太ははじめ、金庫の中身は金か宝石や証券だろうと推測していた。けれど、それは違うように感じる。人情というものがそこにある。入っているのはなんだろうか。翔太は考える。思い出とやらだろうか。

「それじゃ、開けちゃってください」

 萌音も金庫を大切にしている。少なくとも翔太にはそう見える。萌音のエネルギッシュでフレッシュな笑顔がまぶしいからだ。

「江戸時代の金庫だね、こりゃ」

「たしかに、ダイヤルにはい、ろ、は……って並んでるけど……。どうしてわかったんですか」

「じいちゃんから教えられたことがあってさ」

 ちょっぴり。ちょっとだけ、祖父の輪郭を翔太は取り戻した。萌音との出会いがなければ、とうの昔に忘れていたであろう記憶が今、翔太に寄り添っている。翔太はダイヤルに手を伸ばした。作業の開始だ。

 五分。坂口は興味深そうに翔太を見つめる。萌音はそわそわしている。

 二十分。坂口はじいっと見つめてくる。萌音はお茶を持ってきた。

 三十分。坂口はまだまだ見つめてくる。萌音に両親はどこにいるのかと問うと、仕事に出ていて当分の間帰ってこないことを伝えられた。

 すると、かちり。確かな手ごたえを感じた。鍵が開いたのだ。

「うん。開いたよ」

 萌音がひゃあっと声をあげて口を押さえた。喜びが口から外に出ていかないように必死になって、小声で確認する。開きましたか。翔太は笑顔で頷く。萌音から喜びが飛び出た。坂口も嬉しそうだ。祝福するように空も晴れてきた。

「みんなでせーの、で開けましょう!」

 三人で鍵を開ける。ぎいいと音を立てて金庫は開かれる。はたして、その中身は。

「……。あれえ?」

 萌音が目をぱちくりさせる。そこにあったのは。

「また、鍵?」

 扉だった。

「ああ、これなら簡単に開くよ。よかったね、お楽しみが増えた」

 道具を出して作業をしようとした。その時だった。萌音が翔太の腕をぎゅうとつかんだ。翔太の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。一瞬誰かもわからなかった。制止されてしまった。

「えっと、あのう。なんて言うんだろう。何だっけ」

「どうしたの」

「ピッキング!ピッキング、するんですか」

 奇妙に思いながら首を縦に振ると、萌音が慌ててつかんでいないもう片方の手もつかんできた。不可思議なことが起こっているぞ。翔太は非日常の気配を察知した。

「あの、どこかに鍵があるはずなんです!ピッキングは、嫌です。壊れちゃったら駄目だし、思い出を汚すみたいでいやなんです」

「じゃあ、鍵を持ってきてくれないかな」

 明らかに萌音の目が泳いだ。手をもみ始めた。おかしい。嫌な予感がする。

「……この家の、どこかにはあるんですけど」

 この家のどこか。三階建ての一軒家はかなり広い。広々とした明るいダイニングキッチン。こだわりの壁紙が使われた長い廊下。折り紙や子供の絵が貼ってある階段。他にも未知のスペースがあって、その中のどこか。そんなことを言われても困るだけだ。

「い、一緒に探してください!」

 頭を下げられて、翔太は驚いた。だが、残念なことに鍵屋の仕事は鍵を探すことじゃない。せめて少しだけカスタマーファーストをして帰ろう。翔太の心は冷えていった。じいん。

「じゃあ、申し訳ないけれど自分で探してくれないかな」

「で、でも、私馬鹿だからどれがどの鍵かなんてわかりません!」

「お代はまけておくからさ。ごめんね。こっちも忙しいんだ」

 この家全体を探そうものなら数日はかかる。ああ、つまらない冷ややかな大人だ。それが自分だ。翔太の心は梅雨晴れの空と反比例して曇っていく。

 そこで気が付いた。坂口という危険因子に。だが、坂口は何も言わない。ただ金庫を見つめている。

「……すみません、変なこと言っちゃって」

 また大人びた萌音を見るとは思わなかった。心がきつく締め付けられるのを翔太は我慢した。料金はかなり割引しておいた。階段を降り、ダイニングキッチンを横目に廊下を進む。萌音は作った顔をしていた。そこで、ぽつりと坂口が言った。

「……ピアス」

「え?なんですか」

「僕、ピアスあけたいんですよね」

 萌音に向き合う坂口は、大人にも子供にも見えない不思議な姿だった。

「土曜日、空いてます?」

「……進むぞ」

 坂口ははい、と従順に返事をして萌音の家を後にした。

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