第14話 金庫の鍵を探す

 湿った空気と黒い雲が気分を落ち込ませる。女子高生はさっそく家に向かおうと提案してきた。外に出る。外出中の看板を用意するように坂口に言うと、もうやりましたよ、と褒めてもらいたいという思いを遠慮することなくさらけ出しながら返された。坂口は人間として欠陥があるが、便利な奴である。

「家はどこだ?近所だろ」

 女子高生がびくりとする。目が泳いでいる。五百メートル自由形。

「ここから五十分かかります」

「……ごめん、俺、耳が遠いみたい」

 しばらくの間、冷たい沈黙が女子高生と翔太の間を駆け抜けた。端的に言うと、気まずい。外国ではこのもやもやする時間を天使が通った、というらしい。フランスだったか、イギリスだったか。天使が通ったとは到底思えない空気を引き裂いた人物がいた。店番を頼んでおいた米田が外界に出てきた。

「翔太、どうしたんだい」

「あ!あの、私の家が遠くて、困らせてしまったみたいで」

「そうですね、僕ら困っていますね」

 余計すぎることを言った坂口の頭を殴る。翔太は車を所有していないのだ。免許はあるのだが、いわゆるペーパードライバーというやつなのだ。田舎とも都会とも言えないこの街で暮らしていると、ぎりぎり車がなくとも暮らせてしまうのだ。さて、どうしたものか。

「そんなら、あんたらうちの車ちゃん乗ってくか」

 免許、もってたじゃろ。あくびをしながら米田は言う。翔太は目玉がこぼれそうになった。米田が、車を?

「米田さん、車持ってたの」

「駐車場借りとるよ。あんたそんなことも知らんかったのか」

 衝撃の事実である。米田はやっぱり謎が多い。坂口は歩きたがっていたようだ。不満を顔で訴えてくる。それを右から左へと流す。

「僕も店番します」

「お前は勉強しなきゃならんだろ。来い」

「店主命令ですか」

「そうだ」

 坂口はやれやれというポーズをとった。そのポーズを本来とるべきなのは翔太である。こうして翔太、坂口、女子高生でお送りする不思議なドライブが始まった。

「名前、なんていうの」

 カーナビをセットして、少し緊張しながら翔太はハンドルを握る。その手にまだ幼い女子高生の命がかかっている。

「萌音。石井萌音っていいます。かわいいでしょ」

「いいですね、実に素敵な名前だ」

「坂口に賛成」

 女子高生改め萌音が楽しそうに足を揺らした。隣の坂口の方を見てにこにこしている。お客様の機嫌がよさそうで翔太は安心した。カスタマーファーストが仲村錠前店の目標だ。できればいいレビューを書いていただきたいのが下心としてある。どんなものでも商売は客と評価がないとうまくいかないのだ。個人事業主は大変なのだ。汗水たらしながら働いているのだ。この時期は汗をかくと湿気でまとわりつくから嫌である。

「できれば今日中に終わらせたいんですけど、大丈夫ですか」

 お金ならいくらでも払いますから。萌音はそう言う。彼女はなぜか急いでいるようで、それが翔太は不思議である。おばあちゃんの金庫、と彼女は言っていたがそこに関係があるのだろうか。試しに聞いてみる。「君、なんか急いでるよね」するとわかるんですか、と萌音の驚く声が車内にこだました。小雨が降ってきた。

「うちのおばあちゃん、体の調子悪くて。今は入院してるんです。昔は畑仕事したり、なかなか元気なおばあちゃんだったんですけど」

 時の流れって、残酷ですよね。まだ年齢を重ねていない少女が言うのは変なように思えるセリフを萌音は言う。時の流れなど、まだ理解しなくてもいい年齢。萌音はどこか大人びたような、大人のふりをしているような雰囲気をまとった。

「私がおばあちゃんの金庫を開けたいって思ってるのには理由があって。おばあちゃんはあの金庫を大事にしていたんです」

「わかるんですね。大事にしていたって」

「いつもは何も言わないけれど、時々優しいような不思議な目で金庫を眺めてたんです。だから、中身をお見舞いに持っていったら喜ぶかなって」

「なるほどね。そんな大切なものを任せてもらえるなんて光栄だよ。ありがとう」

 萌音はけらけら笑ってどういたしまして、と言う。子供っぽいその姿にどこかほっとした。萌音がじたばたして椅子に足が当たるが、それもどこかほっこりと微笑ましく見える。

「だって、レビューよかったんですもの。仲村錠前店さん」

 小雨の音が心地よく思えた。やはり評価は商売に必要である。

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