第11話 金庫の鍵を探す
梅雨時。三か月ほどの時が経った。風がぬるい。心地いいとは言えない。翔太はこの季節が嫌いだった。好きな季節があるわけでもないが、嫌いなものはなかなか直らない。だが、どうやら人間という生き物は、苦手なものには徐々に順応していく生態を持つらしい。坂口と関わってそれが立証された。
「坂口、お前は自分がこれから何になるのかわかってるんだよな」
「わかっておりますとも」
机に伏せていた坂口が目を開け、翔太の方を見つめた。大きな目がぎょろぎょろしている。威嚇でもしているつもりなのだろうか。居眠りをされて、翔太は気分が悪い。今日も坂口は上等そうなシャツを着ている。梅雨だからだろうか、鞄はカジュアルなリュックサックで、雨をモチーフにしたしずく型のストラップがついている。ガラス製なのだろう。透き通って美しい。本当の雨というものはどちらかというと汚くて、地面に落ちれば土と混ざって泥になるだけの、ただの嫌われ者だというのに。天気が悪い、というではないか。
坂口はあの騒動、錠前店では藤沢騒動で通っている出来事の後、晴れて仲村錠前店で働くことになった。米田の熱い歓迎を受けて仲間になった坂口は今、翔太の叱咤を受けている。
「居眠りをするな。言ってみろ、お前は何になるんだ」
坂口は有能な人材だ。だがその前に彼の飄々とした、浮世離れした態度がどうにも引っかかる。そのために段々と翔太は坂口が幼い子供のように見えてきて、憎さのような、悪知恵の働くガキに対するような感情が芽生えてきた。そして遠慮も何もかもなくなってしまった。坂口はそれを許容している。自分がどう扱われようとどうでもいいようだ。
「ええ、いいですとも。有能な鍵師になります」
敬礼して坂口は言う。翔太を尊敬しているのか、はたまた軽蔑しておちょくっているのか。それがわかるのは一拍開けてから。坂口は決して軽蔑などしておらず、むしろ好意的に思っているのだが、別の次元からこちらを覗いているかのような態度が素直さを上書きしてしまっている。
「お前は真面目なのか不真面目なのかわからん。とりあえず、居眠りをやめろ。印象が悪くなるぞ」
坂口がにたにたと笑みを浮かべるから、彼を翔太は殴ってやりたくなった。同時に感じる。こいつを殴っても意味がない。こうしたやり取りを続けるうちに、呼び名は君、からお前、になってしまった。たまに改めようと努力した時もあったのだが、坂口自身がお前などと呼ばれるのを気に入ってしまったようなので直せないでいる。パワハラだとか言われたら翔太は終わりだ。だが、なんとなく直さなくてもいい気がしている。
「必ずしも印象が悪くなるとは限りませんよ。そこから芽生える友情とかが、あるかもしれないし、ないかもしれない」
翔太は今月に入って数えられないくらいはいた、疲れを持った息をはく。「殺意しか芽生えないんだけど」と冗談をかますと、坂口は漫才師を見る目で笑った。客が来ない店内、翔太も笑いを返そうとすると背中をべしん、と叩かれた。米田だった。
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