第8話 箱の鍵を開ける

「これを開けてくれませんか。鍵はあるんですがね、開かないんです。これが何か知りたいんですよ」

 はあ、そういうことですか。翔太は箱を見つめる。そして、開かないという問題の鍵を見せてもらった。鍵はひどく摩耗していた。摩耗は鍵が開かない原因の一つである。摩耗のせいで家から閉め出されたりすることだってあるのだ。

「原因は摩耗ですね」

「中身が気になるのですが……。家内に内緒で持ってきた物ですから家で開けるのは」

「これは奥様の物なんですか」

「はい。だからここで開けてもらうことはできますか。中身がどうも気になってしまって」

 わははと笑う藤沢に翔太も笑った。和やかな雰囲気。ちらりと横を見れば、坂口が目を閉じて伏せているではないか。静かだ。坂口という危険因子がなくなるだけで安心感が違う。この静けさを翔太は守りたい。できればこれからも静かでいてほしい。

 では、開けちゃいましょうか。そう言って翔太は店の奥へと向かう。鍵開けはお手のものだ。簡単な錠だった。かちゃり。手応えがあった。翔太は鍵を開けた。

「開きましたけれど、よかったんですか」

「どうせ大したことない物が入っていますから。あいつはなんでも雑だからなあ」

 喜んでプレゼントを開ける子供のように藤沢は箱を手にする。そして箱を開けた。軽い木の箱。躊躇はなかった。中身を確認する。それがパンドラもびっくりなサプライズボックスであることを彼は知らなかった。中身を見て笑みが消えたのを翔太は見逃さなかった。

「……髪の毛?」

 翔太は見てしまった。何かの毛が入っている。そして、何かわからない黒っぽいかけらのような物。まさかとは思うが、毛は人毛ではなかろうか。面倒ごとの気配がやってきた。藤沢は毛を見つめている。これが何かわからない、といった様子だ。少し顔がこわばっている。

「……これ、髪の毛ではないんじゃないでしょうか。柔らかいから」

 勝手に触るのはよくないと思いつつも思わず触ってしまった。藤沢の恐怖にまとわりつかれた顔を見たらつい体が動いてしまった。翔太はやはりお人よしだ。

「この黒っぽいかけら、か?これも何かが取れたんでしょうよ。鍵の摩耗の仕方が変でしたが、それも取るに足らないことです」

 藤沢の安心した顔を見て、自分の行動は正しかったのだとほっとした。今日は翔太が自分の行動を褒めたくなることが多い。そういう日だってある。二人笑ってさあおしまい、となった。あっけない終わり方。藤沢は帰宅して行った。そうしてまた翔太の好む退屈が訪れた時だった。危険因子が目を開けた。

「ご存知ですか」

 ぶるる、と翔太が身震いする。何かが始まる。そして、それはきっと好ましくない。

「殺した相手の髪を切るという行動は相手への侮辱を意味します」

「……それが何って言うんだよ」

「殺した相手の一部をコレクションする殺人鬼もいます」

 酔狂ですね。こつんこつん、と坂口は指で頭をつつく。坂口は殺人の証拠を翔太が開けたと言うのか。坂口の目は真っ黒で心の内が読めない。

「まさか藤沢さんの奥さんが殺人鬼だって言うんじゃないだろうな。こんなつまらん街に殺人鬼がいるはずないじゃないか」

 坂口のため息が翔太には気に食わない。見放すようなため息。そう感じる。彼の神様みたいなつかみどころのない、人間として生きていないような気風がどうにもぞわぞわする。

「この街は好きですよ。だって、仲村錠前店がありますからね」

「錠前店なんてごまんとある。この世の錠前店を数えたことはあるのか。ないだろ」

「僕が知っている中では二件、この近辺で起きた惨劇があります」

 本能からの警鐘を翔太は感じ取った。推理小説は久しく読んでいないが、事件の始まりとはこんな感じではなかったか。翔太の脳がぐるぐる回る。坂口の黒く丸い目。見える白い歯。楽しんでいるようだった。坂口が殺人鬼だったとしても翔太は納得できる。もしや、同じ穴のむじなだから殺人鬼のことをよく知っているとかそういうオチではないだろうか。近辺、というのがどのくらいの範囲を指すのかわからないが、仮にそれがこの中途半端な街のことだとしたら。二件も殺人があるとして。それが悪意のある人間の犯行だとして。街の人間が犯人である、というのは小説のオチにぴったりではないか。

「では僕は失礼します。……翔太さん、また会いましょう」

 お前は何者だ。そう聞こうとしたのを察知したのかはたまた偶然か。坂口は席を立った。そして礼をして去ってしまった。米田が手を振っていた。また坂口がここに来ることを期待しているらしい。それは翔太も同じだった。謎ができてしまったからだ。そしてそれは深い、不快な謎だ。坂口が何者なのかは昨日突きつけられた薄っぺらい履歴書に書いてあった。しかし、仮に殺人鬼が面接に来たとして、殺人を犯しましたなどと書くだろうか。癖の強いあの字でそんなことが書いてあったら、と考えると恐ろしくなった。彼ならそのジョーク未満の行為をやりかねない。

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