第5話 箱の鍵を開ける
「それ食ったら帰れよ」
「食べ終わったら雇ってください」
同時だった。せーの、と合図をしたみたいだった。思わず身震いする翔太。鼻で息を吐いた後、口角を上げる坂口。笑っているのか微妙なところだった。
「運命とやらではないでしょうか」
「悪いが俺は確率論者だ。帰ってくれ」
どれだけ拒まれようと坂口は一歩も引かない。表情もあまり変わらない。その姿は風になびく木の葉。どこ吹く風。
「面接なのに履歴書もまともに見ないとはこれいかに。さあ、遠慮なく見てください。じろじろと。まじまじと」
「いつから俺は面接官になったんだ」
坂口は綺麗に折られた履歴書を半ば無理矢理渡す。この薄い紙は坂口という青年の半生。どうせくだらないものだろうと思いつつも翔太は目を通した。
「……君はなぜここにいるんだ」
「ああ、面接とは質問がつきものですよね。雇ってもらいにはるばるやってまいりました」
坂口の態度はとても面接とは思えなかった。ただ、声はよく通る。
「新卒じゃないか」
「そうですね」
「しかも国立大」
「そうですね」
「志望動機も完璧」
「そうですね」
坂口の返事は彼の好物であろうマシュマロのように軽い。しかし、彼はほとんど完璧な人生を送ってきたようだ。絵に描いたよう。菓子に例えるならば、色とりどりのマカロンか、艶めく高級チョコレートか。
「採用するとお得ですよ。なんならお給料もいりません」
「……帰れ」
「この仲村錠前店をこんなところではなくもっと立派な店にしますよ。お客様がひっきりなしですよ」
こんなところ、という言葉に翔太の眉が無意識に動いた。自分の城を馬鹿にされて何もせずただ黙っている城主がいるだろうか。きっといない。たとえ自身の小さな寂れた城を気に入っていなくても。そして、翔太は物申すタイプの城主だった。
「これでも昔はでかかったんだよ。古臭くて俺は嫌いだったが」
「古臭い。いいじゃないですか。古臭いって言いますけれど、古いものって別に臭くないと僕は思うんですがどうでしょう。歴史って、心躍る匂いがしませんか」
この青年は、何にもわかっちゃいないな。翔太は坂口に見切りをつけた。
「ここはなんてったってコンビニの居抜き物件だぞ。築五年のアパートの一階。いいじゃないか。すぐ潰れたから新しい。綺麗だ。新しいもんがいいんだよ、なんでも。お前とは分かり合えないな」
歴史がどんな匂いかは知らない翔太だが、米田によってピカピカにされた自動ドアを見れば、素晴らしい文明の匂いがするような気になった。近代文明に万歳。歴史なんてうんざりだった。
「では最近流行りのおにぎり屋さんにでも転業いたしますか。お手伝いしますよ」
「俺も考えてたよ、おにぎり屋。でも歴史とやらが俺の足を引っ張る」
ふぅん、と坂口が息を吐く。翔太の足を引っ張る重い歴史は翔太の祖父から引き継いだ物だった。幼少の頃から翔太は洗脳じみた英才教育を施されてきた。知育玩具の代わりは錠前だった。祖父に餌付けもされていた。思えば米田にも餌付けをされていたし、時を経て今、坂口も雛鳥のように菓子を上品に貪っている。歴史は繰り返す。リピートされる歴史に翔太は軽く吐き気を催した。
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