第3話勘違い

「兄貴、帰ってたのかよ」

「いや、今日は休みだった。部屋に籠もってたんだ。それより俺が麻雀に絶望してるって? 聞き捨てならないな。何を勝手に決めつけてる?」


 兄貴のスケジュールを完全に把握しているわけではないので、兄貴がいつ休みなのかはわかっていない。姿が見えない時は仕事に出ていると勝手に思っている。

 兄貴の趣味兼仕事部屋には俺は立ち入らないので、部屋にいても気付かない。

 だが、今はそれよりも大事な、そして気になることがある。


「麻雀プロの時の兄貴はいつも何かに悩み苦しんでいた。その原因が麻雀であることは傍から見て明白だったよ」

「確かにあの時の俺はもがき苦しんでいた。どうにもならない感情に悶え苦しんでいた。だが、それは自分自身の無力さにだ。別に麻雀に絶望していたわけではない。こんなに好きな麻雀の実力が伴わない自分が許せなかっただけだ」

「でも、滅茶苦茶打牌批判受けてただろ? あんなに言われたら誰でも心が折れるぞ」

「全くだな」

「え?」

「本当に好きなものなら誰に何を言われようが構わないはずだ。その覚悟があって麻雀の世界に飛び込んだんだからな。さっきも言ったが俺は自分自身が許せなくて苦しんでいただけだ。誰かに何かを言われたから苦しんでいたわけじゃない」

「でもあの時の兄貴の様子はそれだけでは説明できるような状態じゃなかった。顔色が悪かったし、常にダルそうだったじゃないか? 心身ともにズタボロって感じだった」

「確かにそうだったな。あの時の俺は対戦相手の研究を深夜までしていて、気付いたら朝になっていることもあった。常に最悪のコンディションだった。自己管理が出来ていなかったんだ。医師免許を持っているのに、自分の体には無頓着なんて皮肉だよな。医者の不養生ってやつか。事前準備に時間をかけすぎて、本番のコンディションが最悪なんて本末転倒だよな。あの時はそれだけ周りが見えなくなっていたんだ」


 確かに兄貴は常にストイックだった。実家に居るときは同じ部屋だったけど、医学部受験生の時は毎日深夜まで勉強していた。俺が眠れなくなるからリビングで勉強していたけど、その様子を見た両親から心配されるほどだった。

 麻雀プロになった後もストイックに対戦相手の研究や、自身の牌譜検討をやっていたのだろう。

 兄貴が仕事部屋兼趣味部屋と言っていた部屋で。俺を部屋に近づかせなかったのは心配をかけまいとする兄貴の配慮だったのだろう。


「そうだったのかよ……でも、俺は許せなかったんだよ。尊敬する兄貴が批判されているのが。それで俺は麻雀や麻雀に携わる人に絶望したんだ。兄貴が絶望していなかったとしても」

「面と向かって尊敬するなんて言うな。くすぐったいだろ。まあ、俺も誹謗中傷は良くないとは思うが、俺に実力が伴っていなかったのも事実だ。どの業界でもプロが批判されるのは常だろ。その批判を跳ね返すエネルギーにすればいいだけだ。まあ、俺は跳ね返すほどの結果を出せなかったんだが……」

「兄貴は十分にやったよ。最終試合の国士なんて止められるわけないって。あんなに早い巡目の役満テンパイなんて誰も察知できないだろ?」

「確かにあの国士は手痛かったな。だがな、清人、俺がMJリーガーを首になったのはあの試合のせいだけではないんだぞ。年間を通して結果を出せなかったから首になったんだ。確かに麻雀にはどうしようもないほどの残酷な場面に出くわすことがある。だが、それでもプロは結果を出さないといけないんだ。天和や地和をアガられ続けても勝つための方法を模索しないといけないんだ」

「天和や地和をアガられ続けたらって無茶すぎるよ……まあ、言いたいことはわかるけど、俺はそこまで大人になれないよ……兄貴はやっぱい凄いよ」

「まあ、極論だな。そこまでのケースはほとんどないからな」


 兄貴は俺よりかなり人間が出来ている。ここまでの考えに俺が至るなんて想像もできない。兄貴は俺が想像も出来ないほどの高みにいるんだって。

 だからこそ気になることがあったので、訊いてみることにした。


「そんなに好きならなんで麻雀プロ辞めたんだ?」

「ん? さっきも説明しただろ。首になったんだよ」

「MJリーグじゃなくて所属団体の方だよ」

「ああ、そっちか」


 麻雀には複数のプロ団体がある。その各団体の中からMJリーガーが選抜される。人気、実力を備えたトッププロたちだ。

 所属団体にもリーグはあるので、そんなに麻雀が好きなら辞めないでも良かったのでは? と兄貴の話を聞いて思ったのだ。


「辞めてないぞ」

「え?」

「さっきも話したが俺は麻雀プロの時に体調をよく壊していた。そのせいか日に日に自分の健康のことが気になっていた。いや、自分だけのことだけじゃなく、健康そのものがいつも頭に過ぎってたんだ。そういえば俺が医学部を目指したのもそういう理由があったからだ。誰かの健康を守りたいと。そのことを思い出し、MJリーガーを首になった時に医師になろうと決めたんだ。だが、そうなってくると所属団体の活動をどうするのかという問題が生じてきた。俺は二足の草鞋を履けるような器用な人間ではない。どちらかに専念しないといけない。だが、麻雀を忘れることもできない。そこで考えたのが、今は医師に専念する。だが、一人前になって余裕が出来たら麻雀プロに復帰するということだ。所属団体に休止届を出したら受理されたよ。『いつでも戻ってこい』てさ」


 全てが初耳だった。兄貴はMJリーガーだけでなく、所属団体も辞めていると勝手に思い込んでいた。医師になったから所属団体も辞めているだろうという先入観があったから、辞めたかどうかも訊くこともなかった。

 思い込みや決めつけというものが恐ろしいものだと思った。兄貴が麻雀を嫌いになったとか、絶望しているとか。


「いつになるかはわからないがな。まだまだ半人前だ。今は一人前の医師になることが目標だ」

「兄貴ならすぐになれるって。天才だから」

「だから、そういうことを面と向かって言うな。気持ち悪いだろ」

「そうね、風間さんは天才ですものね」

「浅野さんまで……恥ずかしいですって……」

「ふふ、これで誤解は解けたかしら?」

「申し訳ないです、僕が勝手に決めつけてましたから」

「浅野さん、ありがとうございます。清人が僕のことをそんなふうに思ってたなんて知りませんでした。何であれだけ好きだった麻雀を辞めたんだろうと。誤解が解けて良かったです」

「どういたしまして。それじゃあ、誤解も解けたことだし、一緒に麻雀を打つのはどうかしら?」

「なるほど、いいですね。どうだ、清人?」

「あ、ああ。確かに断る理由もないからな」


 俺が麻雀を打つ? 誤解だったとはいえ、一生麻雀を打たないと決めていた。こんな日が来るなんて思ってもみなかった。


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 麻雀基本ルール・用語解説


 門前と鳴き

 門前 鳴いていない状態 他家(他のプレイヤー)の捨て牌を利用せず、ツモのみで手牌を揃えること。

 門前でないと成立しない役がある。その代表格がリーチ。

 鳴き 他家が捨てた牌をもらい、自分の手を進めること。

 チー 四五の様に階段状の牌を持っていて、三や六を上家(左側のプレーヤー)が捨てた場合、その牌をもらうことが出来る。

 四六を持っていて、間の五をもらうこともできる。

 鳴いて完成した面子は右隅に置く。左のプレイヤー(上家)からもらった場合、もらった牌を横にし面子の一番左に配置する。対面(反対側のプレイヤー)なら真ん中、下家(右のプレイヤー)なら一番右側に置く。

 ポン 一一と同じ牌(対子)を持っていて、三枚目の同じ牌を他家が捨てた場合、その牌をもらうことが出来る。 

 チーと違い、誰からでももらうことが出来る。

 カン 三枚同じ牌を持っている状態で、四枚目をツモってくるか、他家が四枚目を捨てた場合にその牌をもらうことが出来る。

 自分で四枚目をツモってくるのが暗槓、他家が捨てた牌をもらうのが大明槓、ポンしていて四枚目をツモってくるのが加槓。

 暗槓なら面前状態が保て、リーチなどの面前役が成立するが、大明槓してしまうと面前状態が崩れ面前役が不成立になる。

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かつて天才麻雀少年と呼ばれた男、麻雀に絶望し辞めていたが、復活し大会で無双する 新条優里 @yuri1112

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