嘆きの森と吟遊詩人の美女

「あのー……ここ、本当に通らないといけないんですか?」


 と自転車を押して歩く僕の上着を掴んで、ビクビクと震えながらクルシェは言う。


 僕たちは嘆きの森と呼ばれているところに来ていた。次の目的地へ行くためには、この森を通らなければならないのだ。


「あの……なんでここって嘆きの森って呼ばれているんですか?」


 とクルシェが左右に顔を動かして、周囲を落ち着きなく警戒しながら言う。


「ここで死んだ冒険者とか商人たちの霊が、嘆きの声を夜な夜な響かせているって言われているからよ」

「やっぱり今すぐ来た道を引き返しましょう!」


 チャーリーがビビらせるようなことを言ったから、クルシェが僕の服を引っ張って逆方向へ歩こうとする。


「ちょっと、クルシェ、わがまま言わないの!」

「でも、ママ……」

「大丈夫よ、どんなモンスターやおばけが現れても、あたしが追い払ってあげるから」


 それを聞いて、クルシェはしぶしぶ森を出ようとするのを諦めた。

 何だか本当に母親と子供みたいなやり取りだったな。


 それから歩き続けること二時間ほど。

 クルシェが不安そうに訊いてきた。

 

「あの……大丈夫、なんでしょうか?」

「なにがよ」

「さっきから全然景色が変わらないんですけど、私たちってちゃんと出口へ向かっているんですよね?」

「そのはずだけど?」


 とチャーリーが言っても、クルシェの表情は依然として暗かった。


「大丈夫だよ、ちゃんと目印を定期的につけてあるから」


 数分くらいの頻度で、近くにあった木に印をつけたり、形の特徴的な石を道に置いたりしている。

 だから、大丈夫……なはず。

 少なくとも、目印をたどって、来た道を引き返すことはできるはずだ。

 

 さらに歩いて一時間以上が経過した。


「暗くなってきたわね」


 とチャーリーが言ったので、僕は立ち止まった。


「そろそろ野宿するか」

「え、ここでですか!?」

「ああ」

「しかたないでしょう、この暗い中、これ以上奥へ進むのは危険だわ」

「うう……」


 クルシェが泣きそうな目でこちらを見てくるが、残念ながらこの決定を変えるつもりはない。チャーリーの言うとおり、夜にこの視界の良くない森を移動するのは危険だ。

 彼女には今夜は我慢してもらうしかない。


 そして、僕たちは荷物を置き、焚火をするために薪になるような木の棒を集めていると、


「なんだか音が聞こえない?」


 とチャーリーが言うと、クルシェが顔を青くした。


「ま、まさか、亡霊の嘆き?」

「いや、そんなかんじじゃないな」


 聴いていて心が安らぐような……そんなかんじの音だ。


「確かめに行こう」


 僕が自転車を押して歩きだすと、クルシェが慌ててついてきた。

 音がする方へ向かうと、ある女性が焚火の前でハープを演奏していた。

 思わず、その姿に見とれてしまった。


 青空のような色の長い髪、人形のように長い睫毛、切れ長の瞳、白磁のような肌……

 どこも美しいが、特にハープの弦に触れる細長いきれいな指に僕は目が止まった。

 どこかの貴族の屋敷に絵画として飾られていそうな光景だ。


「あら……? かわいらしい子たちね、旅人かしら」


 と彼女がこちらに気づくと演奏を中断し、僕たちの方を見て妖艶に微笑んだ。


「あ、はいそうです、僕はテル、彼女はクルシェです」

「私はサフィラ、よろしくね」

「サフィラ……?」


 その名前を聞いて、チャーリーが何やら訝しんでいる様子だ。


「え、今、それ……声を出した?」


 とサフィラと名乗った女性が、チャーリーを指差す。


「ええ、ちょっと特殊な奴な乗り物なんです、これ」

「へー、面白いわね」


 とサフィラさんが興味深そうに自転車を眺めていると、チャーリーが声を出した。


「あなた、サフィラって今名乗ったかしら?」

「ええ」

「たしか、五代目の勇者のパーティーにサフィラっていう吟遊詩人がいたはずだわ。もしかして、あなたが……」

「そうよ、私がそのサフィラよ」

「え、そうだったんですか!?」


 とクルシェが大きく開けた口に手を当てる。


「え、えーと、サインもらっていいですか?」


 と背負っていたバッグから、五代目勇者の冒険憚が書かれた本とペンを取り出す。


「いいわよ」


 と本とペンを受け取ったサフィラさんは、手慣れたかんじで本の表紙にサインを書いて、クルシェに二つとも返した。


「あ、ありがとうございます!」


 目をキラキラさせて礼を言うクルシェを見て、サフィラさんはクスクスと笑っている。


「なんであなたがここに?」


 チャーリーがそう言うと、彼女はハープを傍らに置いて、


「様々な物語を人々に伝えるために、世界の各地を旅しているのよ、まだ行ってない村や町に行く過程でこの森に入っただけ」

「勇者たちとは一緒じゃないんですか?」


 と僕が訊くと、どこか彼女は寂しげに微笑して、


「魔王を倒した後、解散したわ。それからはずっとひとりよ」

「そうだったんですか……あの、よければ、私たちと一緒に野宿しませんか?」

「ちょっとクルシェ、あたしたちに断りなく勝手にそういうこと言わないで」


 とチャーリーがクルシェを咎める。


「だ、だって、こんな機会、なかなかないですよ! ねぇ、ご主人様」

「まあ、たしかになかなか会えない人だとは思うが……サフィラさんはご迷惑じゃないですか?」

「いいわよ、ちょうどだれかと一緒にいたい気分だったから」


 と彼女は柔らかく笑った。

 というわけで、野宿を一緒にすることになった。

 サフィラさんは食事をまだ今日は一度も取っていなかったらしく、僕たちもまだだったので、一緒にクルシェが作ったごはんを食べた。

 その後、明日に備えて寝ようか……て話になっていたとき、クルシェがサフィラさんにあるお願いをした。


「あの……できたらでいいんですけど、サフィラさんの演奏が聴きたいです!

「こんな夜中に?」

「だめ、ですよね、やっぱり……」


 としゅんとするクルシェ。

 それを見て、サフィラさんは優しく微笑んで、


「わかったわ、弾いてあげる、クルシェちゃんは何が聴きたい?」

「何が聴きたいと言われても……うーん、じゃあ、サフィラさんが今、弾きたいと思うやつで」

「じゃあ、四代目勇者の物語でも歌いましょうか」

「え、いやです、四代目の勇者の物語って悲劇じゃないですか、たしか死んじゃったんですよね?」


 さっきサフィラさんが弾きたいと思うやつって言っていたのに、まったくクルシェは……。

 サフィラさんは苦笑して、


「死んでないわ、生きている、たぶん辺境の村でこっそり生活しているんじゃないかな」

「え、そうなんですか、なんで知ってるんですか?」

「私の父親が四代目勇者と旅をしていた吟遊詩人だったのよ。幼いころ、父から先代勇者の話をよく聞かされたものだわ。表向きは魔王と戦って死んだことになっているけど、実際は魔王城の手前で怖くなって逃げだしたらしいわ」

「なんで間違って伝わっているんですか?」

「私の父親が改変したからよ、だいぶ悲劇的な感じに脚色したらしいわ。世の中には悲しい物語が好きな人もけっこういるからね」

「それ、いいんでしょうか?」

「いいんじゃない? そのまま史実を語ってもつまらないしね、それに、四代目勇者自らが死んだことにしてくれって私の父親に言ったらしいし。辺境の村で隠居するためにそうお願いしてきたらしいわ」

「なんか、夢が壊れてしまいますね……」

「そんなもんよ、史実なんてものは。三代目勇者も物語上では、酒も飲まない、正義感が強くて優しい聖人君子みたいな描かれ方をしているけど、実際は無類の酒好きで、女好きでもあったらしいわ、銅像とかもすごくイケメンになっているけど、実際はあんなにかっこよくなかったらしいし」

「へー、て、なんでそんなこと知ってるんですか?」

「私の祖父が三代目勇者と旅をしていた吟遊詩人だったからよ」

「すごいですね、サフィラさんの家系……」

「そんなことないわよ、ただ演奏しているだけだもの」

「ご謙遜を……でも、面白いですね、もっと話、聞きたいです、脚色されてないリアルな話が知りたいです!」

「いいわよ、私が知っている範囲なら何でも語ってあげる」


 それからも、サフィラさんとクルシェの会話は続いた。

 僕は黙って二人の会話を傍で聞いていた。

 チャーリーはというと眠そうにあくびをしていた。


「四代目勇者は実は歴代最強と言われていたのよ」

「え、なのに逃げたんですか?」

「ええ、一番強かったけど、一番臆病だったの。逆に、魔王を倒した五代目の勇者は歴代最弱の勇者と呼ばれていたのよ、魔王を倒す前に死ぬだろうと言われていたわ」

「でも、倒したんですよね?」

「ええ、一番弱かったのかもしれないけど、歴代の勇者で一番勇敢だったし一番努力家だった、一緒にいたからわかる、あの人が歴代で最高の勇者よ」

「楽しそうですね」

「私が?」

「はい、五代目の勇者のことを語るとき、すごく、楽しそうです」

「実際、楽しかったからね、あの人と旅した日々は……」

「好きなんですか?」

「へ?」


 クルシェに言われて、キョトンとするサフィラさん。


「五代目の勇者さんのこと、好きなんですか?」


 サフィラさんは空を見上げた。

 五秒くらいそうしていた後、クルシェの方に顔を再び向けて、どこか憂いを帯びた表情で笑った。


「……好きだったんでしょうね、今思うと。でも、もう昔の話だわ」

「本当に昔の話なんですか、まだ好きなんじゃないですか?」

「いえ、もう過去の話よ、それに、勇者は魔法使いだった子と結婚しているわ、今頃二人は故郷で仲良くスローライフを満喫しているんじゃないかしら」

「あ、そうだったんですか、なんか、ごめんなさい」

「べつにいいわよ」


 とサフィラさんは柔和に笑ったが、なんかちょっとしんみりとした雰囲気になってしまう。

 サフィラさんが場の空気を変えるように、軽く手を叩き合わせて、


「あ、そうだ、弾くって話だったのにまだ弾いていなかったわね、そうね……じゃあ、五代目勇者の物語を歌いましょうか」


 そして彼女は歌い始めた。

 歴代で最弱だけど、勇敢で努力家で真面目で正義感が誰よりもあった、そんな男の冒険譚を。

 弾いている間、サフィラさんはずっと目の端に涙が浮かんでいた。

 思い出しているのだろうか、かつて自分が恋焦がれた男のことを……。



* * *



「起きなさい、テル君」


 まぶたを開けると、目の前に美しい女性の顔があって、ビビった。


「うわ、な、なんですか」

「足音がこちらに近づいてきているわ、しかも大量に」


 演奏が終わった後、僕たちは寝ることにしたのだが、サフィラさんはずっと見張りをしてくれていた。


 僕はあわててクルシェとチャーリーを起こすと、その一分後くらいに、そいつらは姿を現した。


「ぐぐ、ぎぎぎ、ぎぎ……」


 アンデッドの群れだった。謎の鳴き声を発している。


「アンデッドかぁー、厄介なのよねー」


 とチャーリーが魔法陣を展開させる。

 僕もナイフを鞘から抜いていると、


「ここは私に任せてもらえないかしら」


 とサフィラさんがハープの弦に指を掛けた。


「べつにいいけど、大丈夫なの?」

「大丈夫よ、私、一応勇者パーティにいたのよ」


 とサフィラさんはチャーリーの不安を一蹴した。

 そして彼女は演奏を始めた。

 その途端、こちらにのろのろと近づいてきていたアンデッドたちの足が止まる。

 彼女の奏でる音楽に聞き入っているようだ。


 不思議な曲だ。聴いているだけで気分が安らいでいく……。悩み事や苦しみから全て解放されるような……


「あれ、なんでしょうか?」

 

 とクルシェが指差したところを見る。

 アンデッドたちの口から、ホタルの光が大きくなったようなものが出ていた。

 そしてそれらは夜空へと向かっていく。


 アンデッドたちが曲で癒されたことで魂が浄化されたのだろう。

 彼らはただの骨になっていく……。

 


「あり……が……とう」


 最後に残ったアンデッドが消える前にそう言っていたように聞こえた。

 僕の幻聴かもしれないが……。


 サフィラさんが弦から指を離して言う。


「きっと、ここで死んだ冒険者や商人たちがアンデッドになったのね、彼らを救うことができたのならいいけど……」

「きっと救えてますよ。サフィラさんの曲を聴いて、浄化されていたじゃないですか」

 

 と僕が言うと、目を線にして彼女は笑った。


「そう言ってくれると、私がやったことは無駄じゃないって思えるわ、ありがとう」


 まるで風船が空高くへ昇っていくかのように、アンデッドたちの魂が天へと向かっていく。

 僕たちはそれらが見えなくなるまで、その光景をずっと眺めていた。

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