第三十三話 相談

 しかし、湊音の動揺はどこかおかしな感じがした。タバコを出そうとする手が震えて、何度も上手く出せない。その様子を見て、大島は眉をひそめた。理由は、きっと彩子のことを話題にしたからだろう。


 元々この二人は教師と生徒、今では上司と部下の関係にある。


「お前……ちゃんと目を見て話せ」

 大島が湊音を覗き込むと湊音はどこか無理に顔を上げ、息をついてから言った。

「すいません、彩子先生としました」


「は?」


「やりました、はい」


 大島は呆れた。実際、当時の湊音は前妻と離婚したばかりで、大島と婚活パーティーに行き女の子とマッチングしたものの振られて次は同性……今の彼のパートナーと付き合い始めたが初めて同性との交際で心の中でモヤモヤしている最中だった。


「……近くのコンビニでばったり会って、二人ともご飯食べてなくて……それで近くの立ち飲み居酒屋でちょっと飲んで、んで……ホテル行きました」


 大島は思わず頭を抱えた。

「……お前、バカかよ」


「だって学校にいる時と違って、食事を一緒にして、面白い話もしてくれて、かと思ったら、こっちの話も聞いてくれて……それに、最近女とやってなかったから……」


 湊音は顔をうつむかせ、少し反省している様子で言った。


「それで朝になったら、科学の梅本や英語の松尾、まさかの高橋とも……関係を持ったこと、ベラベラ喋ってて……」


「高橋って、あの高橋?!」

 大島が驚き、喫煙所から1番下っ端のヒョロヒョロした数学の高橋がぼーっとして欠伸をしている姿を見つけた。


「簡単にやりやすいヤツを狙って、既婚者は狙わず、今は品定めしてるみたいですよ……」


「うわ、それ言うのかよ」

 大島は呆れ果てた表情を隠せない。


「彩子先生、学校では良い子してますけど、普段は毒舌ですね。あれは……。僕のことも独りよがりって言ってたし」

 湊音はうつむきながら、情けない表情を浮かべた。大島はその独りよがりと言われた湊音を見てつい笑ってはしまったが。


「湊音、お前は付き合ってるやつもいるのに他の女にも手を出すお前も悪い……」

「もう懲りました」

 湊音は素直に反省している様子だったが、大島はしばらく無言でいた。


 その後、大島は少しホッとした気持ちもあった。彩子が既婚者には手を出さない、ということだった。


「にしても、独りよがりか」

 また思い出し大島は鼻で笑った。


 一方で、彩子の教師としての評判は非常に良かった。美術の授業にあまり興味を持っていなかった生徒たちも、彼女の作品に触発されたのか、最近ではその作品にも鮮やかな色が増えてきた。


 特に湊音のクラスでは、副担任として彼女が関わっていることもあり、担任には話しかけにくい生徒が彩子の気さくな性格に打ち解ける様子を、大島もよく目にしていた。


「あの子がなぁ、男たちを引っ掻き回すのか……」

 大島には信じられなかった。



 その時、彩子と目があった。彼女はまっすぐこちらに歩いてくると、大島の前で足を止めた。


「大島先生、相談があります……二人きりはダメですよね」


 彩子は、教頭たちから厳しく言われた「二人きりの禁止令」をしっかり理解しているようだった。


「おう、いいが……職員室に行くか」

「はい」


 大島は少し迷ったものの、職員室なら他の教師がいるだろうと考えて向かうことにした。だが、タイミングが悪かった。校長と教頭は会議中、学園長は奥の学園長室にこもり、事務職員は外回り。他の教師たちもそれぞれの用事で席を外していて、職員室には誰もいなかった。


「まぁ、ここなら問題ないだろう」

 と言いながら、大島は自分の席の前に椅子を置き、彩子と向かい合った。


「大島先生は……私のこと、聞いてますよね」


 彩子の開口一番の言葉に、大島は思わず目を見開いた。だが、嘘をつくのも不誠実だと思い、頷いた。


「申し訳ないが、色々聞いている。それに、この学校でも……」


 言葉を濁す大島の前で、彩子は少し俯いた。


「確かに、性に奔放だというのは否定しません。でも……前の学校でのことは、誤解があったんです」


「誤解?」


 大島は眉をひそめた。


 彩子は、当時の状況をぽつぽつと話し始めた。前の学校では、複数の男性教師たちが彩子に好意を寄せていた。

 しかしその中で、嫉妬や誤解が積み重なり、彼女を巡る対立が激化。ついには彼ら同士のトラブルに発展してしまったという。彩子自身も、何人かと関係を持ったことを認めつつも、「すべてが私のせいではない」と主張した。


「男の先生たちが勝手に競い合ったり、噂を広めたりして、気づけば私は悪者扱いでした。もちろん、自分にも非があったことはわかっています。でも……」


 彩子の声が震えた。その表情に、大島は少し戸惑いを覚えた。彼女の言葉はどこまでが本当で、どこからが言い訳なのか。彼にはすぐに判断がつかなかった。


「……まぁ、事情はわかった。ただ、俺たちも注意しなきゃいけない立場なんだ。分かってくれ」


 大島は少し言葉を選びながら答えた。彩子は静かに頷くと、

「ありがとうございます」

 とだけ言って席を立った。


 彼女の背中を見送りながら、大島は深く息をついた。彼女の話にどれだけ真実が含まれているのか。それを確かめる方法は、今のところなさそうだった。



 その夜。

 大島は剣道部の他校との交流試合があり、独身寮に泊まっていた。


 一日中試合の準備や指導に追われた彼は、寮の狭い部屋でクタクタになりながら簡単な夕食を済ませ、横になってうたた寝をしていた。


 トントン


 軽いノックの音に、大島はびくっと目を覚ました。耳を澄ませると、またもトントンとドアを叩く音が聞こえる。


「……誰だ?」


 この寮に入れるのは、基本的に教員だけだ。こんな時間に訪ねてくるとなると、急用か何かだろうか。


 半ば寝ぼけたまま、大島は体を起こし、扉へと向かった。そして、重い扉を開けると――そこにいたのは、にこにこと微笑む彩子だった。


「こんばんは、大島先生」

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