第二十七話 フェア?

 倉田が三葉の部屋に入ると、買い込んできた食べ物や飲み物の袋を手に持ち、手際よく片付け始めた。

 それを見ていた倫典は、不思議そうに首を傾げる。


「……なんで一度しか来てないのに、置き場所がわかるんですか?」

「どうしました?」

「いや、その……」


 倉田は袋から物を取り出しながら淡々と答えた。

「私、初めて伺う家でもその家の構造や収納場所を覚えるのが得意なんですよ。癖みたいなものでしてね」

 その言葉に倫典は驚きの表情を浮かべた。横でスケキヨも、心の中で叫ぶ。


『……倉田、お前なんなんだ? 気味悪いわ』


 倉田の人物像が少し怪しく思えてきた倫典だったが、スケキヨ用の餌やケアグッズまで用意されているのを見て、「そこは助かるけどなぁ」と複雑な心境になった。


 倉田が収納を終えた頃、彼は三葉をじっと見て言った。

「にしても、顔色が本当に良くないですね」


 三葉は気まずそうに苦笑し、机の上に置かれた薬の袋に視線をやった。

「睡眠不足と貧血だったんです」


 倉田は納得したように頷きながら続ける。

「そうでしたか。倒れたときに頭を打つ人もいますが、それがなかったのは幸いですね。しかも倫典くんが病院に連れて行ってくれたとか。ファインプレーですね」


 倫典は照れくさそうに視線をそらしながら答えた。

「いや、たまたま車の鍵を取りに三葉さんの部屋に戻っただけで……」


 倉田は感心した様子で頷きながら、ふと尋ねた。

「倫典くん、このあとはどうするんですか?」


 その質問に、一瞬考え込んだ倫典だったが、突然きっぱりと言い切った。

「今日はここに泊まります!」


 三葉は驚き、スケキヨも思わず飛び上がるような勢いで倫典を見た。倉田も意外そうな顔を浮かべている。


「えっ……いや、三葉さんが心配なのは分かりますけど、まだお付き合いもしてないでしょう?」

 倉田は冷静にたしなめる。


 倫典は軽く拳を握りながら、視線を倉田に向けた。

「それでも、ここにいるべきだと思うんです」


 その様子を見て、スケキヨは心の中で叫んだ。

『馬鹿かお前は! 泊まるなんて100億光年早いわ!』


 倫典の行動の裏にある倉田への警戒心を察しながらも、スケキヨは呆れ果てていた。



「私は仕事があるので戻りますが……三葉さん、倫典くんが泊まってもいいんですか?」

 倉田がそう言うと、三葉は少し考えてから苦笑いを浮かべた。


「……そうねぇ。お風呂に入りたいから、上がるまでならいいかな」


 倉田はそれを聞いて軽く頷いた。

「なんなら、私もその間ここにいますから。今のうちに行ってきてください」

 そう言いながら、倉田はリビングの椅子に腰を下ろした。


「じゃあ、お言葉に甘えて……。あ、スケキヨ、お水飲む?」

 三葉がスケキヨを撫でながら、お皿を取ろうとした瞬間、倫典が前に出た。


「僕がスケキヨに水をやります! お風呂はどうぞ!」


 倫典はさっと皿を取り上げると、三葉を浴室へ促すように見送った。三葉も笑いながら浴室へ向かう。スケキヨは彼女について行こうとしたが、残された倫典と倉田の会話も気になり、浴室とリビングの中間地点に座った。


 そこへ倫典が水を持ってきてくれたので、スケキヨはありがたくそれを頂戴する。


「……犯人逮捕まで1年かかりましたか」

 倉田が静かに口を開いた。スケキヨは思わず耳を立てる。


「ええ。ネットニュースで亡くなった大島さんや彼女の写真が出回っていたので、見つけるたびに通報しておきました」


『なぬぬぬぬ!!!』

 スケキヨの毛が逆立つ。


 倫典は年上の倉田にも物怖じせず、真っ直ぐな視線で続けた。

「助ける時間があったら、大島さんも助かっていたかもしれないのに」


 スケキヨはその言葉に反応する。

『……かもしれんが、あの時は即死だったんだ。助からなかっただろうな……』


 倫典はさらに続ける。

「しかもSNSでは、先生と患者で何か問題があったんじゃないかとか、根拠もない噂が広まって……本当に酷い話です」


 倉田は眉をひそめた。

「それは最悪だ」


 スケキヨは心の中で叫んだ。

『トラブルだと?! そんなものあるわけないだろう! あの人は美容院の中では誰よりも聖人だったんだぞ!』


 三者三様のため息が、重苦しい空気を和らげる。


 倉田が少し笑みを浮かべて倫典を見た。

「それにしても、ここに朝までいようなんて……フェアじゃないですよ、倫典くん」


「……えっ? いや、その……」

 倫典は慌てたが、それは倉田と三葉を二人きりにさせたくないという思いからだった。


 倉田はその様子を見て冷静に言葉を続けた。

「君も、なかなか策士ですね。さすが血筋を争えない」


 倫典は少し照れくさそうに笑うが、スケキヨは心の中で叫んだ。

『違うぞ、倫典! お前は今、完全に乗せられてる!』


 倉田は微笑みを浮かべながら、どこか含みのある口調で続けた。

「フェアではないと言いましたが、君がそう出るなら……私もそれなりの行動を起こさせてもらおうか」


 倫典はその言葉に一瞬身構えたが、すぐに笑顔を取り戻し、言い訳のように言った。

「いえ、三葉さんのためを思っての行動ですから」


 倉田はその答えに軽く肩をすくめた。

「なるほどね。そういうことにしておこうか」


 そう言いながら倉田の目は冷静さを保ちつつ、どこか鋭い光を宿していた。




 スケキヨは倫典と倉田のやり取りを眺めながら、心の中でツッコミを入れずにはいられない。

『違うぞ、倫典! そんなふわふわした態度じゃ、策士どころかただのヘタレだぞ!』

 思わず眉間に皺を寄せたくなる。


 倉田が意味深な笑みを浮かべながら、冷静に言葉を続けた。

「フェアではないと言ったが、君がこのまま私を出し抜こうというのであれば、それ相応の覚悟はしてもらうよ」


 その言葉に倫典は少し躊躇したが、ふとした思いつきで尋ねた。

「倉田さんは、なんでそこまで三葉さんのことが好きなんですか?」


 倉田は少し表情を崩し、困ったように視線を逸らす。だが、その顔には微かに赤みが差している。

「……顔、です」


 その意外すぎる返答に倫典は目を丸くし、数秒の沈黙の後に苦笑を浮かべた。

「あ、いやー……もちろん性格も好きです! サバサバしてて、媚びない感じが最高というか……」

『かなり狼狽えてるな』

 スケキヨには倉田の心中が手に取るように分かった。


 倫典も負けじと自分のエピソードを語り始めた。

「実は僕もですよ! 高校時代、教育実習で三葉さんに授業してもらったことがあるんです。初々しい感じで、本当に素敵でした!」

 どこか自慢げに話す倫典を見て、スケキヨは心の中で呆れたように鼻を鳴らす。

『お前はその時、三葉に全く相手にされなかっただろうが』


 倉田は微かに笑みを浮かべながら、冷静に言葉を継いだ。

「そうか。君にとっては昔からの憧れの人だったわけだな」

 その声色には少しだけ挑発的なニュアンスが混じっている。

「それなら、余計にフェアでいこうじゃないか」


 倫典も負けじと頷くが、その目にはどこか不安が見え隠れしていた。

 スケキヨはそんな二人を見守りながら、心配げに呟く。

『本当にフェアな勝負ができるのか?』


 倉田がスマートフォンの画面を見せてきた。「轢き逃げされた教師、遺された美人未亡人妻」とセンセーショナルな見出しが大きく表示されている。

 その記事に倫典は顔を曇らせた。

「どうしてこういう記事ばっかりなんですかね……遺族の気持ちなんて、全然考えてない」


 倉田も深い溜息をつく。

「まるでセクシービデオのタイトルみたいだ。こんな見出し、遺族にとっては屈辱でしかない」


 その言葉に倫典は強く頷いた。

「本当にひどい。三葉さんを物語のヒロインみたいに扱うなんて……彼女をそんな風に見る人たちが許せない」


 スケキヨはキョトンとした表情で二人を見つめる。



 その時、浴室の扉が開き、湯上がりの三葉がリビングに戻ってきた。

 黒いパジャマを身に纏い、肩には濡れたロングヘアが掛かっている。頬がうっすら紅潮し、目にはかすかな疲労の色が浮かんでいたが、それでも彼女の雰囲気はどこか艶やかだ。


「二人とも……仲がいいわね」

 三葉が微笑む。


 倫典と倉田は、思わず息をのんで彼女の姿を見つめた。

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