第六章 火花
第二十六話 寄り添いたいのに寄り添えない
三葉が病院に行ってる間に世間では大島が轢き逃げされた事件の真相が瞬く間に広まった。
三葉と大島が通っていた不妊治療の病院の医師・
ネットニュースではまだその関係性は載っていない。だがどこかしらすぐに大事にするだろう。
濱野という医師は、まだ30後半、特に悪評があるわけでもなく、ただ黙々と実績を積んでいる若手の医師で、三葉も不妊治療に携わってくれた人物だっただけに、その事実が信じがたかった。
倫典もまた、自分の親族が連携している病院で、しかも薬品の納品なども行っていたため、事件の真相を知ったとき、驚きが隠せなかった。
「……あの先生が、濱野先生がどうして」
三葉は自分が濱野にどれだけ助けを求め、信頼してきたかを思い出し、深い失望を感じた。
大島も当初は不妊治療には難色を示していたが、濱野が親身になって接してくれる姿に、同性として理解しやすい部分もあって安心して通院できた。
「和樹さんも知ったらショックだろうな……」
三葉は信じていた医師が夫を轢き、そのまま逃げ去ったことが、まるで悪夢のように感じられ、静かにうつむいた。
倫典も複雑な表情を浮かべ、ネットニュースで事件の報道を見たが、あちこちで事実以上のことが書かれているのを目にし、心が重くなっていた。
「ニュース、見たくないですよね」
と倫典がそっと聞いたが、三葉は首を縦に振って応えた。
「……夫の死を思い出したくないの。あの時のことを」
その答えに、倫典は
「ごめんなさい」
とつぶやいたが、三葉は力なく笑い
「どうせ知ることだから」
と、彼を責める気などないと首を振った。
その言葉に倫典はほっとしながらも、やりきれなさが胸を締めつけた。
すると三葉のスマホが震え、画面には北海道に住む大島の妹からのメッセージが表示された。
「明日の朝、そちらに夫と向かいます」
とのことだ。
「三葉さん、あんまり無理しないでくださいね。貧血で倒れたばかりですし」
「ありがとう、倫典くん。でも、明日は警察に行かなければならないし……大丈夫よ」
そう言いながらも、三葉の瞳にはどこか不安が浮かんでいる。
それを感じ取ったスケキヨも、なんとか三葉を励ましたい気持ちでいっぱいだった。
だが、猫の身体では何もできず、ただ傍らで見守ることしかできない。たぶんまた警察まだ行くのは無理であろう。
スケキヨはやきもきした思いでスケキヨの耳を動かし、何かを伝えようとするように三葉の体に擦り寄った。
「倫典くん、明日の帰りに迎えをお願いしてもいいかしら?」
すると、倫典は目を輝かせて言った。
「行きも僕がご一緒しますよ! 三葉さんが安心できるように!」
三葉は微笑んで、少しだけ肩の力を抜きながら
「頼りにしてるわ、倫典くん」
と優しく声をかけた。その言葉に倫典は一瞬でデレデレとした表情になり、
「お任せください!」
と胸を張る。スケキヨはその様子を見て、彼の気持ちの純粋さをありがたく思いながらも、心の奥では不安を抱えていた。
『でも……大丈夫か? 本当に、三葉の力になれるのか?』
スケキヨは、心の奥底では明日自分も三葉に付き添って警察に行きたかった。だが、今の自分にはその意思があっても猫の体で思うように動けず、ただ倫典に頼るしかない状況がもどかしい。三葉のために何もできない無力感が胸を締めつけた。
倫典の付き添いで部屋に戻った三葉。部屋に入ると、倫典は
「スケキヨの世話なら任せてください」
と張り切って、餌を用意したり、遊び道具を揃えたりしてくれていた。
スケキヨは、倫典が一生懸命な様子には感謝しつつも、慣れない手つきで手間取っているのを見て
『ここはこうだろうに』
と心の中で思わず突っ込みたくなる。それでも、自分ができるのは三葉に寄り添うことだけだから、安心して彼に任せることにした。
「よかったら僕、朝まで一緒に……いや、いやらしい意味じゃなくて、三葉さんが心配なので……」
と慌てる倫典に、三葉は
「気遣いありがとう。でも、そこまでは大丈夫よ」
と優しく笑った。
「でも、朝早く来てくれたら助かるわ。警察署の中までは付き添えないだろうけど」
と、疲れた表情のまま話す三葉に、倫典は小さくうなずいた。
「……こういう時に、もし警察官の知り合いでもいたらよかったなあ。同じ公務員でも、湊音は教師だし」
ぼやく倫典。
その時、ピンポーンとインターフォンが鳴り、三葉が立ち上がろうとしたところを倫典が制してモニターに向かった。
「スケキヨ、ご飯ができたから食べてね」
と三葉が言うと、スケキヨはお腹が空いていたことを思い出し、夢中で餌を食べ始めた。
「三葉さん……」
モニターを確認した倫典が少し緊張した顔で振り向いた。
「倉田さんが来ました」
「えっ?」
と三葉が驚くと、スケキヨも
『えっ?』
と思わず餌を食べる手を止めて顔を上げた。
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