第五章 吟味
第二十二話 当日
さてさて、とうとうこの日がやってきた。
スケキヨは三葉が、この会食のために献立や盛りつけ方を考えていたのを知っている。
彼女は倫典と倉田に振る舞う料理の見栄えをさらに良くし、味にも磨きをかけようとしていた。
『俺の時もそうだったのかなぁ』
スケキヨは交際時から彼女の熱心さを思い出し、今回もどれほど真剣に準備していたかをこの目で見ていた。彼女は少し完璧主義。
そして部屋も綺麗に片付けられ出迎える準備はバッチリである。
料理をする三葉の姿を、いつも横で見守っていた。生前、自分はほとんど料理をしなかった分、彼女に甘えていたこともあるが、彼女の手つきは驚くほど見事だった。大島ができなかったことを彼女が自然にやってのける姿に、感心しつつもほのかに感じる申し訳なさがあった。
でも三葉はそれでいいのよと。彼女自身も夕方すぎまで仕事があるのだがそれよりも遅くなる大島のために家事をしていた。
今はスケキヨとしてそのキッチンに立つ三葉を見守っている。彼女が包丁を握り、軽やかに食材を切り分ける音が響く。大島だったころと同じように、時折、三葉は
「ちょっと味見してみる?」
と、まるで大島がそこにいるかのようにスケキヨに問いかけた。
「なんてね。スケキヨ、貴方も食べられたらいいのにね。でも無理ー」
と、彼女は笑って言う。
「美味しい匂いがするから、ずっとそばにいるんじゃないの? でも、食べられるものはないんだからね」
とからかうように言いながら、彼女は手際よく料理を進めていく。
スケキヨはその匂いに惹かれるように、つい彼女のそばにいたくなる。まるで大島としての自分を認めてもらっているような安心感と、彼女に寄り添っている感覚が胸に広がる。
以前もこうして、彼女の作る料理を何度も味見させてもらったことを思い出しながら、スケキヨとしてその日常を眺めることに、少し切なさを覚える。
チャイムが鳴った。
スケキヨは三葉に続いて玄関へと向かった。インターフォンの画面は見えなかったが、いつものひょうきんな倫典の声と聞き慣れない声。どうやら倫典と倉田が一緒に来たようだ。
三葉は急いで着古した赤いエプロンを外し、スゥエットを脱いでたたみ、上下黒のセットアップに着替えた。その服は、彼女の体のラインが強調されている。
スケキヨは
『今日くらいはもう少しゆったりした服でいいのに』
と内心思った。しかし、三葉のストイックさを象徴するその選択は、彼女が普段からこまめに体のケアをしている証拠でもあり、自然と彼女の内なるセクシーさがにじみ出ていた。
『この下の体は、もっとすごいんだけどな』
と、スケキヨはドヤ顔を浮かべる。
しかし、今日は猫として振る舞わなければならないと自分に言い聞かせ、できるだけ冷静に構えるつもりでいた。
だが、やはりその冷静さを保つのは難しかった。玄関先で、三葉が緊張しているのを敏感に感じ取っていたからだ。
「おじゃましますー!」
ひょうきんな倫典の声が玄関に響いた。彼が来た、とスケキヨは思った。
「おじゃまします」
続いて、落ち着いた低い声が続く。それが倉田だった。これまで写真でしか見たことのない倉田という男が、どんな人物なのか確かめたかった。
三葉が玄関を開け、二人が入ってくるのをスケキヨはじっと見つめていた。倫典はいつも通り明るく、場の雰囲気を和ませるような笑顔を浮かべている。一方、倉田は表情をほとんど変えず、冷静に辺りを見回している。
スケキヨは倉田の存在感に少し圧倒されながらも、彼の動きをじっと観察した。まずかなり背が高い。倫典の身長が165センチほどというのもあるのだが。
また三葉も倫典と同じくらいのため2人がかなり見上げているということは倉田は180センチは余裕で超えているだろう。
「湊音はかくかくしかじかで」
「あら、そうなの……残念ねぇ」
てことはこの2人のみか。
強い静けさを纏った彼の姿は、写真以上に現実感があり、緊張感が増した。
『い、イケメンというやつだ……これは』
倫典はいつも通りのパーカーにジーンズという感じだが倉田はビジネスカジュアルと言ったら良いのだろうか、硬すぎずゆるすぎず。ちゃんとどういう場か弁えているようだ。
スケキヨは部屋の隅で静かに様子を見守っていたが、突然、倉田が近づいてきた。
「あら、これが例のスケキヨくんか」
と言いながら、倉田は優しくスケキヨの頭を撫で、顎までも撫でてきた。彼の手つきは慣れたもので、スケキヨは一瞬驚いたが、抵抗することもできず、ただされるがままに撫でられていた。
さらに、自分の名前がすでに知られていたことにも少し驚いた。三葉と倉田がメールをしているのは知っていたが他にどんな会話がされているのかも気になって仕方がないスケキヨ。
「本当だ、あのミステリー映画に出てくるスケキヨみたいだが実に愛嬌のある子だな」
と、倉田は微笑みながらそう言った。その微笑みを見た瞬間、スケキヨは心臓がドキッとしたが、それが気のせいであってほしいと強く願った。
倫典が倉田に話しかける。
「倉田さんも猫を飼ってるんですか? 平気なんすね」
「ええ、そうなんです」
と倉田が頷く。スケキヨは、なるほど慣れた手つきの理由がこれか、と納得した。
倉田は三葉に手土産を渡した。高級デパートの紙袋からは、有名スイーツ店の美しい箱が現れた。スケキヨは目を輝かせた。剣道部の部員や生徒の父兄からたまーにもらう菓子折りで戴くたびに多幸感を味わっていた。
「飼ってるというか、実家にもいたんだけど今の霊園の隣のお寺の境内には、たくさんの猫がいてね。いろんな種類の猫が集まるんだ。スケキヨくんも、あそこに行けばモテモテだろうね、こんなイケメンなんだから」
と倉田が言うと、三葉も
「イケメンだって、よかったわね、スケキヨ」
と笑った。
スケキヨは思わず「ふふっ」と笑いそうになったが、内心では少し不安が募っていた。もし三葉が倉田を選んだら、自分は家ではなく、その神社の境内に連れて行かれるのでは……という、根拠のない不安が頭をよぎったのだ。
「外で暮らすのは勘弁だ」
そこに、倫典が
「イケメン……ねぇ。こないだ僕が来た時、スケキヨはむすっとした顔してたけど、三葉さんに抱っこされてる時と今の顔は全然違うな」
と。
倫典の言葉に、スケキヨは少し気まずさを感じつつも、心の中で
『そうか?』
と思いながらじっとしていた。
倫典もまた、デパートの紙袋からフルーツの詰め合わせを取り出し、三葉に手渡した。それを見たスケキヨは少しホッとした。
倫典もちゃんと気を使えるんだな、と彼の成長を感じたからだ。
だがその直後、倫典は明るい声で
「さてさて、三葉さんのご飯食べたい! もうお腹ぺこぺこだよ」
と言い出した。その無邪気な言葉に、スケキヨはもう少しは我慢しろよ、と内心でつぶやきながら、三葉がどう対応するかを見守ることにした。
三葉はそんな倫典に微笑みを浮かべながら、
「もう少し待っててね、すぐ用意するから」
と優しく答え、台所へと向かった。
倉田も
「僕もぺこぺこです」
と。
意外とラフな男なんだなと想像とは違う印象であった。だが倫典が倉田に対してなにか闘争心を抱いているような気がしてならなかった。スケキヨの目でもわかるくらいだった。
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