第二十一話 遺品整理
三葉はリビングのテーブルで手料理のメモを書きながら、ふと考え込んでいた。
「天津飯に餃子、レバニラ炒め……これが定番ね」
と呟きながら、実家の中華料理屋の味を思い返していた。
「でも、あの二人って……うちの街中華じゃなくて、都会の高級中華とか食べてるわよね。舌が合わなきゃ一緒にいられないかもね、ねぇスケキヨ?」
突然名前を呼ばれて、スケキヨは驚きのあまり体をビクッと震わせたが、何も言わずに一応頷いた。
その瞬間、スケキヨの記憶が蘇った。彼女の実家、中華料理屋には一度訪れたことがある。三葉の両親の店を引き継いだ弟子たちは、しっかりと彼の味を守っていた。
三葉がその味に感動して泣きながらラーメンを啜っていた姿を思い出し、大島は結婚という言葉が頭をよぎった。
『こういう姿に弱いんだよな、俺は……』
スケキヨはあの時を思い出す。あの店の味、中華料理の匂い――そして三葉が作る家庭料理も、その街中華には決して劣らない美味しさだった。
その思い出が胸を温める中、スケキヨは目を閉じて夢見心地になっていたが、突然三葉の声で現実に引き戻された。
「またスケキヨったら、よだれが……病院に行った時、言おうかしら。よだれが多すぎるって」
スケキヨは首を思い切り振った。
『違う、これは自然現象だ! 病院に行く必要なんかない!』
――そんな心の叫びを、彼は体全体で表現した。
「ふふふ、病院って言葉わかるのかしら。不思議ねー。まぁ私も子供の頃、病院嫌いだったし」
三葉は笑いながら、ティッシュでスケキヨの口元を拭った。
「よーし、片付けるかぁ」
三葉が急に立ち上がった。
スケキヨは、彼女がゴミ袋に名前を書いているのを見て何か思い立ったらしいと感じた。
『今日は掃除の日か?』
三葉がやたらと気合が入っている。
『そういえば、明日はごみ収集の日だったな』
スケキヨは心の中で納得した。彼にだって、毎日過ごしていれば曜日感覚くらいは身につくものだ。だが、自分の遺品整理をされるとは思ってもいなかった。
三葉は大島の遺品整理に手をつけていた。湊音が運んできた段ボールは、彼が亡くなってからずっと開けずに置かれていた。しかし、今日は何かが違う。三葉はその段ボールをあっさりと開け、次々と中身を取り出していった。
「スケキヨ、大人しくしててね。私の大事な人のものだから」
と言いながら、三葉は丁寧に遺品を扱っていた。
スケキヨの胸に何かがこみ上げてきた。大島としての自分を彼女が大事に思っているのは感じていたが、今日は何か特別な感情がそこにあるように思えた。潔さというか、覚悟のようなものを感じる。
三葉は、彼が残した写真、趣味だった剣道の道具や雑誌を、一つ一つ手に取りながら、その度に思い出が蘇るような表情を浮かべていた。
そうかと思えば、三葉は意外なほどあっさりとそれらをゴミ袋に入れ始めた。スケキヨは、その光景に驚きと戸惑いを隠せなかった。
「えっ、捨てるのか?」
スケキヨは思わず心の中で叫んだ。剣道の道具、服など……一つ一つが彼にとっても、三葉にとっても大切な思い出だと思っていたのに。
三葉は、剣道の道具を手に取って一瞬迷うかのように見えたが、
「ボロボロだし一応竹刀とコテと面と胴着は残したからいいか」
そのまま淡々とゴミ袋へ入れた。たしかに残してあるものもあり仏壇の前にちゃんと飾られている。それまで捨てられたらと思ったがなんとか残っててホッとしたスケキヨ。
『そういや高校から胴着の寄贈も頼まれてたけど……寄贈って』
寄贈? まさかこれも家に置かれなくなるのか? とスケキヨはショックな気分である。
「……そうね、でもこれをいれる袋ないかしら」
三葉は袋を探しているようだが見つからないようだがなかったようでそれを諦めて違うものを捨てる作業に戻っていった。
雑誌も、服も――宝物のようなものが、次々と袋の中に消えていく。
『これ、もったいなくない?』
スケキヨは思わず、彼女に抗議しようと前足を動かすが、猫としての限界がある。何も伝えることはできなかった。
「……まあ、こういうのもあるわよね」
三葉はそう言って、自分に言い聞かせるように手を止めず作業を進めていく。その表情は淡々としているが、どこか少し寂しさを漂わせていた。
「こうやって整理しなきゃ前に進めない気がするのよ」
スケキヨは彼女のその言葉を聞いて、少しだけ納得したような気もしたが、それでもなんとも言えない寂しさが心に残る。
彼女にとっての「整理」という行為が、どれほどの決意を伴っているのか、スケキヨにも伝わってきた。
「よし、これで全部ね。これで一段落つけられるかな」
三葉は大きく息を吐き、ゴミ袋をしっかりと結んだ。その潔さに、スケキヨはやや呆然としながらも、彼女が自分なりの方法で前を向こうとしていることを感じた。
一応残したものはあるようで、ノートや日誌、手紙や写真はまだ残すようである。だが紐でガッチリと縛られてはいるが。
「こういうのこそ捨ててもいいのにな」
写真もあったため三葉はアルバムを持ってきた。無造作にしまってあった写真を一枚一枚入れていく。
その時、隣にいたスケキヨがすっとかけより、写真を一枚一枚見た。そして選んだ一枚、無言で三葉にそれを差し出すと、彼女は手に取って見た。
「スケキヨ、それどうしたのよ」
きりっとした顔の写真。横には三葉がいる写真だ。二人で初めてデートに行ったときの写真である。
「いい写真あったじゃん……和樹さん。スケキヨもこれいいと思ったの?」
スケキヨは黙って頷いたように見えた。三葉はその様子に微笑みながら、写真をじっと見つめた。
「こっちの方がいいかなぁ。変えてもらおうかしら」
と、彼女は静かに言った。
その瞬間、大島のことがふと頭に浮かんだ。彼との日々、そして彼が突然この世を去った時の衝撃が胸を締め付ける。三葉は感情を押し込めるように、深く息を吐いた。
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