第二十話 大森家

 それから数日後、倫典は勤めているドラッグストアの店舗を回りながら仕事をしていた。


 各店舗を巡るのは慣れた作業だが、やはり他の家族が医者として仕事をしている現実を見て何だかなぁとへこたれる毎日。だが三葉との食事会が楽しみでしょうがない。


 久しぶりに会った彼女は出会った頃とは変わらず倫典にとっての絶世の女神であり、他の女性たちと交わした逢瀬の記憶を吹き飛ばすほどの人間だと。

 考えるだけでもにやけてしまう。


「何ニヤついてるんだ、仕事中に」


 そこへ、偶然にも次兄の誠二が現れた。彼とは年子であり少し歳の離れた長兄の一成よりも誠二と倫典は子供の頃から常に比べられたものである。


 倫典は瞬時に顔をしかめ、すぐに目を逸らした。

「大森家に関わる会社の一員としてその名札を下げてる自覚を持て」


 倫典と誠二との関係は良好とは言えない。子供の頃から、いつも比較されてきた。優秀で何でもそつなくこなす誠二に対し、倫典は何かにつけて「劣っている」と感じさせられてきた。(長兄の一成に関しては2人よりも少し年が離れており、海外で医師として仕事をしている分、比較対象ではない)


 無視して仕事を片付けるふりして通り過ぎようとする倫典だったが、誠二は肩を軽く叩いた。

 倫典はその手を振り払おうかと一瞬考えたが、店内での場違いな行動が問題になることを恐れ、深く息をついて振り返った。


「何の用?」

 倫典の口調は冷たい。


「何の用って……お前が仕事してる姿を見るのもダメか? たまたま通りがかったんだよ」

 誠二の口調は柔らかく、どこか挑発的だった。一成よりも誠二のほうがモラハラ味がある倫典が忌み嫌う父親に似ているとは思っている。


「わざわざ立ち寄るなんて、お前らしくないじゃん。忙しいんだろ?」

 倫典は目を合わせないまま、素っ気なく返す。

 きっと何か裏がある、しか思えないようだ。


 誠二は少し笑いながら首をかしげた。

「まぁな、だけどお前がどうしてるか気になったんだよ。家族だろ? それに、親父もお前のことを心配してる」


 その言葉に、倫典の胸の中にイライラが湧き上がった。「家族」――その言葉は、彼にとってただの形式に過ぎないように感じていた。


「俺のことなんか気にしなくていい。お前のほうが親父にとって自慢の息子なんだから」

 皮肉を込めた倫典の言葉に、誠二は少しだけ表情を曇らせたが、すぐに笑顔を戻した。


「そういうの、まだ気にしてんのか。俺たちもう大人だろ? 過去のことは置いておけよ」

 誠二は少し優しげに言うが、倫典はその言葉を簡単には受け入れられなかった。


「俺は忙しいんだ。話したいなら、他のところでやってくれ」

 倫典は話を打ち切ろうとし、その場を去ろうとしたが、誠二はその背中に再び声をかけた。


「倫典、そういえば聞いたよ。今度、倉田さんとご飯食べるんだろ?」


 その言葉に、倫典はつい振り返ってしまった。


「何でそれを知ってる?」

 倫典は眉をひそめて問いかけた。


 誠二はニヤリと笑って答える。

「先日、倉田さんと船上パーティでご一緒してね」


 また俺の方が上だ、とアピールしたいのか。倫典はため息をつきたくなるが、その言葉に反論できず、言葉を飲み込んだ。


「倉田さん、縁談を進めている女性に手料理を振る舞ってもらうことになったらしいけど、なぜか大森家の三男坊も一緒にって。ちょっと困ってたぞ。まぁあの人、誰にでも興味を持って、分け隔てなく接する人だからな。でも、正直言ってもう少し人を選んでほしいもんだよ」


「別に、お前には関係ないだろ」

 倫典は冷静を装いながら返すが、内心は焦っていた。


「いや、関係あるだろ。お前、倉田さんに勝てると思ってるのか? 金も地位もある。お前なんか相手にされるわけないだろ」


 倫典は拳を握りしめ、怒りを抑え込む。確かに、倉田さんのような大物と比較されると、自分の立場は小さく見えてしまう。それでも、三葉さんへの想いを諦めることはできない。


 誠二はさらに話を続けた。

「にしても、倉田さんが高校教師の未亡人と結婚するなんて、ちょっと意外だよなぁ。社長夫人っていうより、秘書か家政婦扱いになりそうだな。それに後継ぎを産ませて、あとはお役御免って感じかもな。三葉さん、確か養護教諭……保健室の先生だったよな? きっとすぐ辞めさせられるだろうな」


 倫典は、三葉が養護教諭として誇りを持って働いていることを知っている。その誠二の心ない発言に、ますます怒りが込み上げてきた。


「結構な美人らしいじゃん。倉田さんは性格がいいとか言ってたけど、どうせ見た目で気に入ったんだろ。スタイルがいいとか、やたらと褒めてたぞ」


 倫典は、まだ倉田に会ったことがない。それでも、誠二の話を聞いているうちに、倉田に対して強い嫌悪感が湧いてきた。三葉をそのように扱う男に、彼女を譲るわけにはいかない――その思いがさらに強くなっていく。


「まぁ、せいぜい頑張れよ」


 誠二は捨て台詞を残し、その場を去った。倫典は深く息を吐き、決意を固めた。三葉を倉田に奪われるわけにはいかない――そう強く心に誓った。


「大森さん!」

 ふと我にかえると店員に声をかけられた。

「あ、はい!」

「次の店舗の方からまだですかって電話が……」

「あ、すいません」


 少し幸先は悪い気もするが……。

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