第十七話 冷や汗

「湊音くんの結婚……本当によかったわね……きっと和樹さんもホッとするし喜ぶと思う。」


「一番気にかけてくれましたし、こうして三葉さんにも報告できて良かったです」


 湊音は結婚までの道のりを穏やかに語った。同性婚というと、まだ社会的な理解が十分とは言えず、二人の道のりも平坦ではなかったのだろう。


「式は二人きりで挙げる予定です。彼の方は家族と縁を切ってるし、僕の両親も、一応認めてはくれたんですけど……前の結婚や同性婚のことをあまり良く思ってないんですよね。それに、僕らももういい年ですから、あまり気にしてません」


 スケキヨは

『それで本当にいいのか?』

 と一瞬疑問に思ったが、湊音の落ち着いた表情を見て、彼らの決断を尊重することにした。そして、2本目のねこねこゼリーをペロリと平らげ、静かに話を聞いていた。


「でも、式があったら見に行きたかったなぁ。ねぇ、倫典くんもそう思わない?」

 と三葉が倫典に話を振った。


 しかし、倫典はどこか上の空でぼーっとしている。


「倫典、どうしたの?」


「あっ、え?……ううん、なんでもないよ。ちゃんと聞いてたさ。僕だって親友の結婚式に行きたいさ。だって、前の結婚の時だって結局式は挙げてないんだろ?」


「……まあ、そうだね」

 湊音は少し苦笑いを浮かべた。前の時とはもちろん美帆子との結婚だったがその時はまだ湊音は大学一年、これから……という時に美帆子と駆け落ち婚をしたせいでいろいろと修羅場だったと思われる。


 それはさておき倫典はさっきとは打って変わって覇気がなくなっていた。あれほど三葉に熱心に迫っていたのに、今はまるで別人のようだ。彼の瞳にはどこか虚ろさが漂い、落ち込んでいるように見えた。


 三葉もその変化に気づいたが、言葉を選ぶように少し間を置いた。


「倫典くん、もしかして……なんかあったの?」


「いや、とくに……はい」

 と苦笑いしているのも無理はない。三葉がさっき倉田に3人でご飯を食べることをメールで送ってその返事がまだないのである。と言っても送って30分である。

 そのせいで気がそぞろなのである。どうやらそれに気づいた三葉。


「緊張しなくていいんだから……私自身倉田さんのことも全然知らないし、倫典くんのここ最近も知らないわけだし。なんなら今倫典くんのこと聞いてもいいのよ」

 やはり心遣いがよい三葉。倫典は頭を下げて


「僕は家や家系はすごいかもしれませんけど僕自体はポンコツですし、ただ生きてるだけ、なんとかやってけれてます。そんな僕が三葉さんを……」

 と言いかけた時に電話の着信が。


 三葉は倫典の話を聞こうと電話に出ない。だが倫典は出てください、と三葉に促して彼女が画面を見ると

「倉田さんだわ」

 と言ってキッチンの方に電話をしに行った。


 そんな空気の中で、スケキヨはテーブルの上のねこねこゼリーの空き皿を見つめて、もう1杯おかわりが欲しいと密かに思っていた。



 部屋には湊音と倫典、そして猫のスケキヨが残されていた。


 倫典は心配そうにしていた。倉田が電話してきたことに対して、不安そうな表情を浮かべている。メールではなく、わざわざ電話をしてくるということは、やはり何か悪い知らせがあるのではないかと考え、少し落ち込んでいた。


「まぁ、そりゃ倉田さんNG出すだろうよ。好意を抱いてる女性と二人きりで食事したいのに、なぜお前がついてくるんだ? ってなるよな。しかも僕まで一緒なんだし……。やっぱりそれじゃダメだよなぁ」

「そうだな……うん、ダメだよな」

「それに、今さら三葉先生に『好きだ』なんて言うつもりか? 彼女に振られたばかりの男が?」


 湊音の言葉に、スケキヨは体をむくっと起こし反応した。


 倫典は慌てて「シー」と人差し指を口元に立てた。

「大丈夫だって。奥で喋ってるし、電話も長引いてるみたいだから」

「でもな……絶対に後で言うなよ!」

「はいはい、でもさ、ずっと見てた感じじゃ、三葉先生に一途だって言ってるけど、大学時代から最近まで遊びまくってたのも事実だろ?」

 スケキヨは耳をピクっと立て、毛を逆立てた。聞き捨てならない内容に反応している。


「おい! そんなことは絶対言うな! 過去のことなんだから! お前だって、今の彼氏の前に彼女がいて、その彼女をセフレ扱いしてたクズ野郎だっただろうが!」

「……クズじゃねえよ。あれはただ結果的にそうなっただけだし、今の彼だってそのことを理解して一緒になってくれたんだ」

「うわー、ドン引きだな。最低だわ」

 二人は小声で罵り合い始めたが、スケキヨはこの二人の口喧嘩を幾度も見てきた。

 どうでもいいようなことを言い合っているだけで、結局仲が良い証拠だと。今もそのやり取りを微笑ましく眺めていた。


「まぁ、ドン引きって言えば大島先生もだけどな」

「えっ?」

 スケキヨが反応した。何が? と頭の中で疑問が浮かぶ。


「亡くなった人のことを言うのはアレだけど……大島先生、あんな美しい奥さんがいたのに、寮に女を連れ込んでたって話、知ってるか?」

 !!!! スケキヨは必死に首を振った。否定したかったが、スケキヨの体ではそれ以上の反応ができない。


 倫典は何とも言えない表情をしている。

『……湊音、お前、どうしてそんなこと知ってるんだ!』

 スケキヨの心の中で叫びがこだまし、冷や汗が流れる。


「マジかよ……あんなにスタイルの良い三葉さんがいるのに、他の女を連れ込んで……ずっこんばっ……」

 倫典が言いかけた瞬間、三葉が部屋に戻ってきた。慌てて冷静を装う二人と、猫一匹。


「ごめんなさいね、倉田さんと話が長くなっちゃって」

「い、いえ……」

 その場の緊張が一気に高まった。


 三葉はにっこりと微笑んだ。

「倉田さん、倫典さんたちも一緒に食事会するの賛成だって」

「えええ! 本当に? やった! 嬉しい!」

 倫典は大喜びし、さっきまでの不穏な会話を取り繕うように振る舞った。


 すると三葉はスケキヨに目を向けた。

「スケキヨ、なんだか元気がないけど、大丈夫?」

 スケキヨは震えが止まらず、伏せていた。


「スケキヨ! スケキヨ!」

 三葉が何度も名前を呼ぶ中、スケキヨの意識は薄れていき、体は力なくその場に倒れ込んだ。

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