第十五話 未亡人

「はい、ロールケーキ。」


 湊音が持ってきたロールケーキだ。綺麗にカットされている。


「ありがとうございます。でも、倫典が来るって聞いてなかったから、ごめんなさい」


「いいのよー。急でも大丈夫。ただ、私たちの分が少し減っちゃうけどね」


 そう言いながら、三葉は仏壇にもロールケーキを供えた。スケキヨはそれをじっと見つめ、心の中で

『それ、俺にくれ……』

 とつぶやくものの、どうにもできない。


 その時、三葉がいつもスケキヨ用に使っている餌皿を出してきた。そこには、見たことのない鮮やかな色のゼリーが輝いている。食欲をそそる色と香りで、スケキヨの口からは思わずよだれが垂れた。


「スケキヨにはこの『ねこねこゼリープレミアム』よ。湊音くんが持ってきてくれたの」


「猫に何が良いのか分からなくて……猫も飼ってないし。でも、CMでよく見る『ねこねこゼリー』なら間違いないかと」


 そう言いながら、湊音は眼鏡を指で押し上げた。その左手の薬指には、結婚指輪が光っている。


『……お前、結婚したんだな。本当に』


 スケキヨは心の中でそう呟きながら、出された『ねこねこゼリープレミアム』を無心で食べ始めた。


「それにしても、倫典くんは偶然だったの?」


 と三葉が聞くと、スケキヨもまだ皿に残ったゼリーを舐めながら同じことを思った。


「いや、推しのアイドルのライブが中止になっちゃって暇だったんです。そしたら、湊音がガラにも合わずシャレオツなケーキ屋のショーウインドーを見てたから声かけたんですよ」


「ガラにも合わずって……僕だって本当は婚約者と行きたかったんです。でも彼、忙しくてね。ちょうど倫典と会って、三葉先生のところに行くって言ったら、尻尾振って喜んで」


 横でニコニコと微笑む倫典。それを見て三葉は微笑み返す。


 この二人の共通点は、あの教育実習のとき。彼らは生徒。担当は美帆子だったが、三葉とも面識があった。そして何を隠そう、倫典は三葉に片思いしていた。スケキヨもそれを見ていたが、三葉はうまくかわしていた。


 その後は特に交流がなく、倫典と三葉が再会したのは、皮肉にも大島と三葉の結婚式だった。


「大島先生……なんだかまだこの家にいるみたいですね」


「えっ?」


 倫典のその言葉に、三葉だけでなく大島も驚いた。それと同時に、スケキヨの体がビクッと動くと、3人はその様子を見て笑った。


「なんでスケキヨがびっくりするの?」


「だよな、大島さんのこと知らないのにね」


「……この子がお腹にいた母猫を和樹さんが助けたのよ。だから間接的には知ってるんじゃない?」


「へーっ、大島さん……猫も助けるんだ」


『なんだとっ!』

 とスケキヨが叫ぶが、隣にいた湊音も倫典を小突いた。それを見て三葉は笑う。


「人は見た目じゃないのよ、倫典くん。湊音くんだっておしゃれなケーキ屋さんに行きたくなるし、和樹さんだって誰かが困ってたら、猫だろうがなんだろうが助けるわよ」


「そうですね、すいません……確かに、僕みたいな落ちこぼれにもいつも気を使ってくれて……おかげで、なんとか腐らずこうして過ごせてます」


「……よかったわ」


 少ししんみりした空気が流れたその時、三葉のスマートフォンに着信があった。


「ちょっとごめんね」

 メールのようだったが……スケキヨはまさかと近寄り三葉の後ろに回り込む。それに三葉がすぐに気づかれてサーっと逃げていった。


「……スケキヨくん、なんか三葉さんのスマホ覗こうとしてませんでした?」

「そうなのよ、なんか最近後ろからヒョイってやってきて。猫って気になるのかしら」

「スケキヨくん、三葉さんのことだいぶお気に入りなんだなぁー、いいなぁー……ずっと一緒なんでしょ?」

 倫典は口の端にロールケーキのクリームをつけたままである。

 スケキヨはちょいと優越な気持ちになって鼻で笑って見せるが伝わらないだろう。


「寝る時も一緒だもんね、スケキヨ」

 と抱き抱えられてなおさらご満悦の様子をスケキヨは倫典に見せつける。

 倫典は悔しそうな顔をする。

「ぬうううう、羨ましいいいいい!」

「スケキヨ、どうしたのよ。べったりじゃないやたらと」

 スリスリスリスリと今度は三葉の胸にあたまを擦り付ける。スケキヨの感覚を通じてスケキヨは悦を感じる。


「……この様子じゃ鉄壁ガードで三葉さんにアタックできないなぁ」

「ええ?」

 スケキヨも反応する。やはりまだ未練は残っていたのか、と。


「三葉さん、大島先生と超お似合いだったしな。結婚式の時……負けたって思った。ああ、残念無念……」

「負けとかそんなことないわ。倫典くんの気持ちは私はわかってたけどこたえられなくてごめんね」

「三葉さん。なんて優しい人っ! ああああ、大島先生! なんでこんな良い人残して死んじゃうんだよ……」

 さっきまで1番ニコニコしていたはずの倫典が溢れるばかりに泣き出した。


 彼が泣いていたのはスケキヨが覚えているのでは数回あったがどれもこれも家族との不和や成績のことであった。

 いつも倫典の相談に乗り、慰めていたことを思い出した。


「倫典くん、大丈夫……大丈夫だから。はい、ティッシュ……」

 スケキヨは三葉から降りて倫典を見る。


「ありがとうございやす……うううう」

 とティッシュで思いっきり鼻をかむ。湊音も倫典の背中を撫でる。


「三葉さんも大丈夫だって言ってるし……確かに死ぬの早い……早いけどさ……まだ僕だって教えてもらうことは山ほどあったはずです」

 もらい泣きしている湊音。さらに泣き出す倫典。


「2人とも……ありがとう、ありがとう……」

 三葉も泣き出した。

 スケキヨは3人が自分のことを思って泣いていることに申し訳なさと無力さを感じた。


「にゃー」


 と声を出すしかできないのであった。

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