第五話 妻のところにたどり着いた経緯
半年前のことだった。
大島が猫に転生し、妻の三葉と再び一緒に過ごせるようになったきっかけは、彼の葬儀の後に川本夫婦が三葉に声をかけたことだった。
あの妊婦猫を引き取った川本夫婦は、実はボランティアが趣味で多岐にわたるボランティア活動をしていた。高校の近くでもあり、学校に関連するボランティアもしていたため大島とも認識はあった。
そしてボランティア活動の一つであったのが保護猫活動なのだ。
そんな彼らが夫を亡くした三葉を自宅に招き、彼女にこう語りかけた。
「大島先生は、いつも元気よく挨拶してくださったんです。生徒だけじゃなく、私たち近所の人にも優しくしてくださって……」
大島は、剣道部の指導のため、週に3日ほど、時には試合が近づくと2週間も学校の独身寮に泊まっていた。実のところ三葉は彼が勤める高校には一度だけしか行ったことがない。
他人から聞く夫の姿を、三葉は初めて知り、涙を流した。仕事の話は夫婦間ではあまりなかった。自慢してひけらかすような人間ではなかったので尚更である。
ふと子猫たちの鳴き声が聞こえた。妊婦猫が出産した子猫たちが、川本家の猫たちとともに遊んでいた。
自然と三葉の目は、その光景に引き寄せられる。
「そうそう、事故があった日の夜、このお母さん猫を助けてくださったのは大島先生なんですよ」
「……主人が?」
「ええ。夜も遅く、ためらうことなくこの猫を助けてくださって。このおかげで、この子たちもこうして生きているんです」
その言葉に、三葉はさらに涙が溢れる。房江は優しく彼女の背中をさする。
子猫たちは元気にニャーニャーと鳴き声を上げている。
「二匹はもう貰い手が決まっているんですけど、あと一匹だけまだ決まってなくて……あら、スケキヨがすごく鳴いてるわ」
「スケ……キヨ……?」
パンダのような模様が特徴的で、他の猫たちとは異なる風貌をしている。三葉はその名前に反応した。
「この子、他の子たちと少し違って自己主張が強いのか、やたらと甘えん坊で……かまってちゃんなのよね」
と房江が笑いながら話す間も、スケキヨは必死で三葉に向かってニャーニャーと鳴き続けていた。
『三葉っ! 気付け! 俺だ! って……わからんよなぁ』
三葉は動き回るじっとスケキヨを見つめた。
「この子、多分、もう目が見えるわね……ほら、あなたを見てる。お美しいから……オスだしね」
と房江が冗談めかして笑うと、大島は
『よし、もっとアピールだ!』
とばかりに、さらに必死に鳴き声を上げた。
「……でもうちのマンション……猫ダメだった気がする」
涙を拭いながら三葉はそう言うと大島は終わった、と言わんばかりに脱力した。
『ペットはオッケーって書いてあったぞ! 二人で見たろ? 犬か猫飼えたらいいねーとか言ってたじゃん!』
そう、住んでいたマンションはペットも可である。なのにそれを言う三葉。つまり断り文句である。
「そ、そうよね……それにまだ今はご主人を亡くして……でもまた余裕ができて、お迎えしたいなぁとか、思ったらいつでも連絡してちょうだい」
と、くどいようにいう房江、よっぽどスケキヨの引き取り手がいないことを暗喩している。それはもう大島もわかっていた。
三葉は何度かチラチラと目をやるが引き取る気配は無かった。
ああ、もうここに来ることはもうないであろう。三葉が川本夫婦に見送られて家を出て行った。
『三葉ぁああああああ』
スケキヨのその後は引き取られなくても房江が他の猫と一緒に飼うことはもう決まってはいた。今まで長年たくさんの猫を育ててきた愛猫家で猫のミルクボランティアもしているほどだ。だから世話とか餌とか住処には困らない。
しかしこのままでは大島は車に轢かれて猫に転生しただけ、というストーリーを辿ることになってしまう。
別にそれも悪くはないのだがそこまで縁もゆかりもない川本家に居続けるのか、と思いながらもそういうのもありか……と半分諦めていた時だった。
「スケキヨちゃんっ!!」
房江が突然、大慌てで家に駆け込んできた。
「スケキヨちゃん、やっぱり三葉さんが引き取りたいって!!」
「にゃーーーーー」
その瞬間、スケキヨの中にいる大島は喜びを爆発させ、飛び上がった。
『三葉とまた一緒に暮らせる!』
まさに奇跡だ。大島は心の中で叫んだ。
猫に転生した後、断られたと思っていたのに、まさかの大逆転。
もう二度と会えないと思っていたのに、また一緒に過ごせるなんて――大島はこの奇跡に大喜びした。
しかし、待てど暮らせど三葉が迎えに来る気配はなかった。スケキヨの胸には不安がよぎり始めた。
「引き取り手が決まってよかったわね……三葉さん」
「だろうなぁ。でも、あんな美しい未亡人、男たちがほっとくわけがない。すぐに再婚するだろうよ」
その言葉にスケキヨの毛が逆立った。
『なぬっ!!!』
と。
「そうよね……寂しさを埋めてくれる人が現れるまで、かしらね。あと子供できたら尚更……それはちょっと困るからちゃんと飼い方を教えないと」
川本夫婦の視線がスケキヨに向けられたが、大島の心はそれどころではなかった。『自分の代わりに男が現れるなんて……いやいや、そんなこと……』
大島の心は締め付けられ、激しい不安が押し寄せる。
苦しくて耐えきれず、うずくまってしまう。心拍数が上がり、呼吸が乱れ始めた。
「おい、そろそろ時間だろう」
「そうだったわね」
時間……大島の視界は徐々にぼやけながらも、部屋を見渡すと、どこか懐かしい光景が広がっていた。
川本家の部屋は、幼い頃に訪れた祖父母の家に似ている気がして、どこか安らぎを感じた。
「はーい、スケキヨちゃん。あーん」
苦い液体が、定期的にミルクと一緒に大島の口に流し込まれる。大島は知らず知らずのうちにそれを飲み、次第に眠気に襲われていく。
意識は遠のき、体は動かなくなり、聴覚だけが残っていた。
「こいつぁー食が細いしすぐミルク吐き出しちまう。栄養失調って言われてもなぁ……」
「ほんと、大丈夫かしら。今まで引き取った猫の中でも元気なのにねぇ。痩せ細ってしまって……」
『だってミルクみたいなの……飲めたもんじゃないし、この薬も……にげぇえええ』
とまた更に眠気が襲う。
その中で、川本夫婦の会話がかすかに耳に届いた。
「とりあえず書類揃えてからの引き渡しでってなったけど……まだあちらも片付いてないようだからしばらくはまだスケキヨのお世話しないとね」
「いざお別れとなると寂しいなぁ。これで赤ちゃん猫は全員引き取られたか」
「大島先生が救った命、全て受け渡すことができてホッとできたわ」
「にしても……大島先生にあんなべっぴんな奥さんがいたなんてね。てっきり独身だと思ってた」
「いい歳して独身なはずないでしょ」
「でもな、隣の安木さんが言ってたんだ。夜に大島先生が小柄でイケイケな姉ちゃんと歩いてたって……」
「えぇ? あの奥さん、品のある方だったのに」
「そのイケイケな姉ちゃん、葬式にも来てたんだよな……確か……」
その言葉を最後に、大島は深い眠りに落ちていった。自分の意志ではどうにもならない、制御できない眠りだった。
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