轢き逃げされたら猫に転生。やり残し多すぎて詰んでる件

第二話 意外と受け入れるのが早い主人公

「おう、可愛い……可愛い」

　声が聞こえた。大島は突然の意識の途切れから目覚め、ぼんやりとその声に耳を澄ました。

「房江さん、早くタオル持ってきてくれ！」

　次に聞こえたのは、どこか聞き覚えのある男性の声だと。

『この声は！！！』

「ニャーニャー」

　と周りからか細い鳴き声が響いている。生臭い匂いが鼻を突き、大島はますます不安になる。何も見えない。視界が真っ暗だ。

『ああ、そうだ……俺、車に轢かれたんだ……』

　ぼんやりとした記憶が甦る。車が突っ込んできた瞬間、そして血がじわりと流れ出る感触――剣道の道場で、子どもの頃に階段から転げ落ちた時の出血を思い出させるような感覚であった。

　だが今は、それ以上に混乱していた。

『周りの猫の鳴き声、鼻をつく血や肉の匂い――これが一体、何なんだ？　たく、なんだよ……全然見えねぇし、クセェし。なんで俺の周りに猫が集まってるんだ？』

　大島は体を動かそうとするが、思うように動かない。ねちゃねちゃした感触に包まれ、どこか狭く、湿っぽい。何かがおかしい。

　すると突然、体が軽くなり、ふわっと宙に浮いたような感覚がした。

「この子、真っ白で目の周りが黒いわね。まるで……パンダみたい」

　女性の声がそう言いながら、大島は何かに持ち上げられていた。

『え？ なんだ、浮いてる！？』

　大島は焦り、ますます混乱する。視界は真っ暗で、耳だけがやけに敏感に反応する。

　そして聞こえてくるのは、「この子」という言葉……まさか、自分のことを言っているのか？

「目の周り、拭いてあげましょうね」

　そう言うと、突然大きな布で顔をグリグリと拭かれた。布がざらついていて、少し痛い。

『ああっ、苦しい！ 加減してくれよ！ ……って、川本さん！？ さっき猫引き取った川本さんか！？』

　しかし、彼がそう叫んでも、口から出てくるのは「ふギャァッ」「ふにゃあ」といった情けない声だけだった。

『声が……声が……なんでだ！？』

　パニックになる大島。

　そして、彼はついに気づいてしまった。

『……この体、俺じゃない……！』

　大島は絶望と混乱の中で思わず叫んだ。

　しかし、何も見えないまま、時間だけが過ぎていった。

　視界は暗く、ただ生臭さと小さな猫たちの鳴き声に囲まれながら、彼は自分が自分ではない何かになってしまったことを否応なしに受け入れざるを得なかった。

　なにか、はなんとなくわかっていたのだが信じられないようだ。

　そのまま日々は過ぎていった。耳は相変わらず周囲の音を拾っていたが、目は何も見えないまま。

　動きも不自由で、他のものたち同じように寄り添って温もりを感じながら過ごすしかなかった。

『……くそ、いつになったら見えるんだよ……』

　そして一週間が経った頃。

　ついに変化が訪れた。最初はぼんやりとした光のようなものが見え始め、次第にその光が形を持ち始めた。大島の視界が、少しずつ開いた。

『……見える……！』

　目の前に広がったのは、毛皮に覆われた猫の巨大な背中と、横で丸まって寝ている子猫たちの姿だった。薄ぼんやりとした視界だが、確かに大島は今、確信した。

　自分は猫としてこの世界に生きているのだと実感した。

『……これが、俺の新しい世界かよ……』

　周りを見渡すと、そこには川本さんの家の一室らしい場所があった。

　ふかふかのタオルや毛布が敷かれ、子猫たちが快適に過ごせるように整えられている。

　大島の目に飛び込んできたのは、優しそうな川本さんの奥さんの房江が、母猫に餌をやりながら「元気に育つのよ」と微笑んでいる姿だった。

『本当に……猫になっちまったんだな……』

　大島はあらためて状況を受け入れながら、これから自分がどうやって生きていくのか、考えざるを得なかった。

『てか、なんで俺が猫に……？ あそこには猫なんていなかったはずだし……はっ！』

　大島は目の前の母猫をじっと見つめた。そうだ、あの時、助けた猫はお腹が大きかった。もし自分があのまま放っておいたら、この母猫は死んでいたかもしれない。そう考えると、自分はこの命を救った恩人に違いない。

『……まさか、これが転生ってやつなのか……？』

　突然、大島の脳裏にある記憶が蘇った。彼の両親も早くに亡くなり、妹を残してこの世を去っていた。それぞれが亡くなった後、父の時にはてんとう虫が、母の時にはアゲハ蝶が現れて、祖父母が言ったことを思い出した。

「『あんたたちを心配して、虫になって戻ってきたんだよ』……か」

　当時は信じがたい話だったが、あの虫たちは確かに大島兄妹のそばに寄ってきて、不思議なほど何度も姿を見せた。そのことを思い出し、今の自分の状況と重ねて考えると……転生という言葉が現実味を帯びてくる。

『父ちゃん、母ちゃんもそうだったってことか……』

　しかし、大島はふと別のことに気づき、愕然とした。

『って、俺も早く妹と……妻に会いに行かないと！！』

　そう、大島は妻帯者だった。彼には最愛の妻がいて、そして妹を一人残していたのだ。

『これじゃ、どうやって会いに行くんだ……！？』