第5話 僕はチョロいかもしれない

 自然、視線を逸らしていた。本当のサガリの顔は繊細で、あまり見てはいけない感じがしたから。


「じゃ、描こうかな。はい。見せてくれてありがと」


 顔を見ないままスマホを返す。受け取った彼の方から戸惑いの空気が伝わって来た。


「見ながら描くんじゃないの?」


「もう見たし、君から話も聞けた。20分……いや、15分でいいや。適当にスマホでも見て待ってて」


 スケッチブックを開いて、2Bの鉛筆を手に取る。

 ふと淡い髪色が視界の端に入る。白い紙にさっと影が差す。


「え、なに」


 思わず顔を上げると、思ったより近くにサガリの顔があった。瞳の色が薄いんだな、と思う。瞳孔が目立つ目は、そうじゃない目よりも『見られている感じ』が強いみたいだ。

 だからだろうか、心臓がどきんと跳ねる。落ち着かない。

 そんな僕の動揺なんか知らないサガリは、更に身を乗り出してスケッチブックを指さした。


「ん? スケッチブックに描くとどういう感じかなと思って。俺はいつもプリンタ用紙。プリンタから一枚取ってきて描く。用紙が減ってくるとさ、補充しとけって妹にキレられんの」


 なにかと思えば、そんなことか。ていうか妹いるのか。

 サガリの胸にグーの手をつきつけて、押し戻しながら言葉を返す。


「君、聞いてない個人情報どんどん話すね。陽キャの特徴だな。距離も異様に近いし」


「あ、わり


「まあ、やっぱり道具で変わるとは思うよ。気分もね。好きな人を描くのに、プリンタ用紙は無いでしょ。真面目に、好きな気持ちを絵に乗せてるつもりなんでしょ? スケッチブックくらい買うといいよ」


 なんとなく出た言葉だ。

 本当に何も考えずに自然に。そのまま姿勢を直して、スケッチブックに輪郭の線をとりはじめるくらいに自然に。


 すぐに僕の目には、絵しか映らなくなる。

 心が浮き立つのを感じる。

 鉛筆の先が、紙で削れて、鉛の粉が出る。それが線になる。その感触を指先で感じる瞬間が好きだ。

 頭の中がすっきりする。


 絵を描いていないときは、ずっと晴れない雲が頭にうっすらかかってる。

 体がなんのためにあって、どう動いて、心とどう繋がって、そして僕らはなんで生きているのか、っていう疑問がもやになっていつでも頭の中の数パーセントくらいを占めている。


 絵を描いているときだけは、そのもやが晴れる気がする。


 そうやって夢中になってエース佐藤を紙に写していた。


 だから、サガリが隣で大げさに感動していることに気づかなかった。


「…………っ、大樹!」


 息を呑む音とともに名前を呼ばれて、やっと僕は集中をといた。


「ん、どうしたの?」


「いや、真面目って認めてくれんの? 俺の恋心を?」


 いやにキラキラした目で見つめるサガリを横目で見て、なに言ってんだと思う。

 そんなことで僕を絵の世界から連れ戻さないでくれ、とも。


「マジだから、怖がるんでしょ」


 そうとだけ答えて、視線を紙に戻す。

 エース佐藤の表情を描いていく。

 きっと笑顔が好きなんだろうとか、笑った時にちょっと前歯が出そうな口元が良く見えたりしているんだろうとか、瞳の光は三倍くらい強くみえてるんだろうとか。

 ……ふと振り向いて笑いかけられたりするんだろうとか。その笑顔はサガリじゃなくて、サガリのいる方角の誰かに向けられていて、よく見ると視線がずれているんだろうとか。


 そういうイメージを紙の上に表していく。いつだって、この瞬間が一番楽しくてスリリングだ。

 頭のなかだけにあったものが現実に現れるんだから。


 ――そうなんだ、絵に写されるものって、現実にないんだ。それが絵だから。


 ――でももっと、もっと技術があれば、僕はまいの元気な姿を現実に出来たんじゃないか。


 ――大切な妹との約束が守れたんじゃないのか。

 

「へえー。すごいな、どんどん出来てく。下書きがあるみたいだ」


「……っ! ま、まあ、完成形を写してるだけだから」


 思い出に浸っているところに突然声を掛けられて、びくっと自分の肩が震えるのが分かった。


「完成形?」


「あ、ええと、頭の中のイメージが紙の上に見えてるっていうか。……ちょっと、陰になるからあんまり寄らないでくれる?」


「あーごめん。だってもうちょっと輪郭とかさ、頭の形とかさ、目とか描かれただけでどんどんエース佐藤になってくから。面白くて!」


「ふうん」


 褒められているんだろうけど、うまい返しが分からない。


「大樹って愛想無いな。そういうとこだぞ、友達が俺しかいないの。お、眉毛すげー似てる」


「いつ君と僕が友達になったのさ。……眉毛はエース佐藤の似せやすいポイントだね。眉尻に向かって三角っぽくなってるのが特徴的だ」


「そうやってとらえるのか。なるほどなあ」


 サガリが感心したように言ったあと、前触れなく会話が途切れた。シャッシャッと鉛筆の走る音だけが響き、手元にはサガリの視線を感じ続ける。

 エース佐藤がほとんど出来上がり、あとは少し目だけ修正しようかなという頃合いになっても、サガリは喋らない。じいっとただ、見ている。

 絵が完成に近づくにつれて、なんだこの、これ。と思った。公園のベンチに並んで、僕の描く絵を至近距離からサガリが見ていて。しかもこいつ、……友達だとか言ったな。僕と?


 ああもう、絵を描いている途中にわけわからない事言って惑わせないでほしい。

 

「で、僕と君はいつ友達になったんだよ。まだ答えてもらってないけど」


 思わず訊ねていた。正確には、訊ね直していた。一度聞いたけれど、すぐに似顔絵の話になってしまい答えをもらえなかったからだ。


 サガリは一瞬きょとんとした顔をした。

 それから、ああそうかというように口を開けたまま二三度軽くうなずくと、……なんと僕の肩に腕を回してきた。

 陽キャの距離感は分からない。

 

「答えなかったからって、すねるなよ~」


「息をするように肩組んでくるの怖……」

 

「公園で並んで恋バナして、しかも俺のために似顔絵描き直してくれてんでしょ? 友達じゃね?」


「肩組んでくることについて引いてるのに説明がないのも怖……」

 

「しかもこれから一緒に絵埋めてくれるわけだし。もはや親友じゃね? だってそんな友達、今まで一人もいなかったし」

 

「話聞いてなくて怖……。え、なんで一緒に埋めてくれるとか期待してんの?」


「ん~? 大樹が嫌そうに見えないから、いいかなって」

 

 なんて言いながらこちらを上目遣いに見てくる。僕よりデカい男にされても全然可愛くない。そして「嫌そうに見えない」はどちらにかかるんだ? 一緒に埋めること? それとも肩を組まれること?


 どっちも嫌だが? と言いたいところだが、どっちも、別にいいかもしれないと流されかけている僕がいる。

 町屋サガリのノリと、単純に接触したことで親しみがわいてしまっている気がする。人間の体と心は基本、バカなのだ。しかも友達の居ない僕の心は、わりと深刻な問題としてチョロい。


「ふうん、あ、そ」

 

 曖昧にそうとだけ答えて、僕はスケッチブックに再度集中することにする。

 絵の仕上げに、こちらを向いていた瞳の焦点を少しずらす。うん、やっぱりこの方がきっと、サガリの見ていたエース佐藤に近くなる。

 その瞬間、ごくり、と僕の耳元でサガリの喉がなった。


「……ああ、こういう感じだ。ホントすげー……やば! 魔法? はは!」


 明るいけれど、なんとなく声が張り詰めている。肩に回された手から、じっとりとした熱を感じた。

 なんとなく居心地が悪くなって、サガリの方を見ないようにしたまま、急いでスケッチブックのページを切り取った。

 

「ほら、似たでしょ。あげる。君の絵を埋めるよりマシだよ、多分ね」


 サガリから顔をそらしたまま、立ち上がる。と、手を掴まれた。

 今日、こいつの力の強さを感じるのは何度目だ?

 振りほどこうと思えば振りほどけるはずなのだけれど。


「待てって。一緒に埋めようって言ったじゃん」


 やだよ、って答えたかった。

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