第4話 本当の顔は

 僕らはまるで友達みたいな顔をしてベンチに並んで座った。サガリのスマホを借りて参考画像を見せてもらおうとするも、ここで問題が発覚。彼がエース佐藤を写した写真は無いらしい。始めに見せられたニュースサイトの画像しかない。

 は? なんで?


「え? 写真、一緒に撮ったりとかしなかったの? 好きなんだよね」


「無理無理無理! 好きって気持ちで写真撮るとさ、俺キモくなるから。だから好きになった奴とは写真撮らない」


 がばっと脚を広げてベンチに座るサガリが、なぜか胸を張って言った。


「でも好きになる前は友達っていうか、せめて知り合いでしょ? そこから距離詰めるもんなんじゃないの。僕、そういうの疎いから知らないけどさ」


「無理! 知り合いから好きになっちゃったら、それこそ申し訳なくて写真消す!」


 胸をますます反らしながら言うサガリ。そんなに威張ることなんだろうか。

 まあでも、思い切りの良さ、という話ではある。のか? 理屈は分からないけど、彼なりの誠意みたいなものの表明らしいし。

 ここで止まっていても仕方ないので、飲み込んでやることにした。


「はあ……よくわかんないけど、そのこだわりのせいでこんなちっさいウェブのニュース記事の画像しかないわけね」


「エース佐藤を知らないお前がうとすぎるんだよ。普通知ってるぞ、全校集会で表彰されてんだから」


「興味ないもん」

 

 ニュースサイトの小さな画像を眺めながら、頭のなかでなんとか立体にしていく。

 それから、この人物が笑ったら、怒ったら、困ったら、どんな顔になるのか想像していく。顔の皮膚の張り具合とか筋肉の動きを予想する。

 似顔絵は、表情がその人物らしくないと似ないから。


「全然描かないじゃん」


 集中する俺の顔を覗き込むみたいにしてサガリが言う。


「邪魔だってば」


 ぐい、と彼の横っ面を押してどかしながら、言葉を続ける。


「似顔絵ってのは準備がいるんだよ。エース佐藤ってどんな奴? どこを好きになったの?」


「何? 恋バナ聞きたい?」


「違う。絵に必要なの。性格によって表情とか変わってくるでしょ」


「そんなもんなのか。すごいな。もしかしてお前、絵得意?」


「いまさら…………あ」


 呆れそうになったが、よく考えたら僕はサガリに自分のことを殆ど話していない。この公園にもスケッチのために来ているとか、そういうこと。

 となると僕のヤバい奴度ってさらに跳ね上がるのでは。いや、元美術部員だろうと、絵を描いていようと、擁護にならない程度には僕の絡み方はおかしかったが。でも野生の『絵に一家言あり』よりは素性が知れる分いいのかもしれない。野生で出会うのは何でも怖いからな。野生化したアライグマが害獣化しているなんていうニュースもあるし。うん。僕は野生化したアライグマではなく動物園にいるアライグマです。


「ええと、僕はこの公園にスケッチに来てて、一応元美術部員……です」


 もごもごと呟きながら、スケッチブックを鞄から取り出す。と、サガリは「すげっ!」と小さく驚きの声をあげた。

 鞄のなかに収まるサイズだからA4だし、普通に文具屋で売っているようなものだ。何も珍しいことないと思うんだけど。


「スケッチとか本当にするもんなんだ! な、見せろよ」


 感心のレベルが低すぎて、逆に面白い。思わず吹き出しそうになるのをこらえる。


「後で。今はエース佐藤の話が先だ」


 隣から伸びてくるサガリの手を払ってやると、「ちえ」とだけ言って案外すんなりと引いた。


 そんなわけで、やっとサガリの失恋話……じゃない、彼から見たエース佐藤の人となり情報を聞く準備が整った。知らない人間の似顔絵を描くんだから、人物像とか、サガリの中のイメージを知らないと似ない。彼から見て、「似ている」と思えないと意味がない。

 ほかでもない恋心とやらを紙に写すんだから。


 本気でエース佐藤を似せてやりたい。


 ……申し訳ないけれど、善意からではない。

 頭のなかでエース佐藤を3Dで作っているとき、自分のなかに挑戦心みたいなものが芽生えているのを自覚していた。

 絵に心なんか宿せない、失敗作は燃えるゴミ。そう言った僕が技術で『恋心』とやらを写せるっていうのを、サガリに見せつけてやりたいっていう意地の悪いやる気だ。

 野生ではなくとも、絵に一家言ありであることに変わりはないから。

 

 とはいえ、公園のベンチで恋バナ。というシチュエーションは青春すぎたらしい。

 サガリが話しだして15分ほどとうかという頃だろうか、僕は根をあげた。

 

「ストップ。ちょっと青春酔いしてきた。もういい。大丈夫。黙って」


 片手で額を抑え、もう片方の手ではサガリの肩を軽く押し戻す。(彼は話しているうちにどんどんと距離が近くなるタイプの人間だった)

 不満げな声をあげられるが、もう十分です。

 

 ここまでの話の流れで分かったことは、エース佐藤は見た目通りのさわやかスポーツマンで、背筋が「ヤバ」いということくらいだ。

 話をストップする直前には「他校の女子が校門で待っていたがエース佐藤は紳士的にそれを断って一人で帰っていたのでストイックで最高」という話を楽しそうにしていた。ファンダムの会話か?


 ああ、あとひとつ。サガリと接点が特にないということも分かった。だから、もう十分だったのだ。

 人から聞いた話とか、見かけたときにどうだったとか、そんな話ばかり。これ以上聞いても深い人物像など出ないだろう。


「なんだよ、まだあるぞ」


「いいよ。だって君のエース佐藤情報ってファン目線だし。これ以上深まらないでしょ」


「う。まあ、そうかもしれないけど、はっきり言うなよ」


「うーん」


 顎に手をあてて考える。もしかしてだけど、うん、彼の語りっぷりを考えると。


「君、さては惚れっぽいでしょ。確か、失恋すると絵を埋めるとか言ってたし。友達から好きになるパターンもあるのかもしれないけど、憧れのまま終わるのも多そう」


 指摘してやると、彼は一瞬身を引いた。それから、ぐい、と顔を近づけてくる。いつのまにか、しっかり肩まで掴まれている。

 怒らせたかな、と思っていると、サガリが口角を左右均等にあげて言った。


「自慢じゃないけど惚れっぽい。そんで叶わぬ恋ばかりしてる、可哀そうだろ。でもだからこそ、惚れられても怖くない。俺に見られても怖くない。俺に好かれると、良いことがあるなんて話まであるらしいぞ。神様みたいで面白くね?」


 あは、と笑う彼の声が低い。

 なにか一息に告げるときって、一息じゃないと言えないからだと思う。息継ぎをしたら、喉に悲しみが詰まっちゃうからだと思う。

 僕は少なくともそう。


 だから言った。


「面白くはないよ」


 って。


「君は少なくとも、好きになるときは本気なんだよね? 絵を埋めるっていう行為を通して自分を諦めさせるくらいにはさ。それをおみくじか何かみたいに扱われるのが面白いわけないよね」


 って。


 言ってから、しまった、と思う。

 サガリが一瞬、真顔になったから。そのあと、大げさにしょげる顔を作って見せたから。がっくりとわざとらしく肩まで落として、コントモードだ。

 殻をまとう瞬間が見えるのは、気まずい。


「あ、ごめ……」


「だってよお」


 僕の謝罪の言葉は途中で切られた。


「だって、本気で好きになったら、フラれたときのダメージでかいだろーーー? どうせ叶わないんだから、本気で好きになりきる前に、諦めた方が良いし、相手にも凶か吉か知らないけどおみくじくらいに考えられてた方が、マシじゃね? 全員が助かる道ってそれじゃね?」


 サガリの声が腹から出る。やたらと活舌がいい。

 さっきまでの自然な話し方ではなくなっていた。一発屋芸人町屋ウィキ一番(だったっけ?)の息子、変な名前の町屋サガリというロールに彼が入ったことが分かった。


「あ、え、うん。そうかもしれないけど」 


「エース佐藤も結局、なんか友達の? 姉の? スレンダー巨乳の? 女子大生? と付き合ってるらしいしさああああ」


 気おされて返答する僕に、彼はそう嘆いた。

 両手を広げて、ピエロな男って感じで。さすが芸人の息子というか、コントみたい。でも、面白くはない。芸人の息子っぽさが「っぽすぎる」から。


「なあ、振られ慣れてるとこうなるの、笑えるよなー」


 はは、なんて乾いた笑いを漏らす彼の、膝の上で広げられた手のひらがなんとなく憎らしい。


「知らないよ」


 そう言って叩いてやった。反応を待たずに、言葉を続ける。

 

「だってその彼女って噂の域じゃないの? モテる水泳部のエースが誰とも付き合わないのは、もっとセクシーで大人な女子大生と付き合ってるに違いない、みたいな男子高生の妄想の匂いがするんだけど。どうせ君、告白もせず噂だけ聞いて諦めてるんでしょ。しかもそれで、安堵してるんだ」

 

「あんど?」


「ホッとしてる、ってことだよ」


 僕の言葉に、サガリは一瞬宙を仰いで、それから腕を組んでうんうんと頷く。いちいち動きが嘘っぽいんだよな。

 これが彼の殻なのかもしれないけど。なんだっけ、あの訳わかんない一発ギャグ「曖昧さ、回避!」を全身でやってるときみたいな、近寄りがたさ。


「なるほどなあ。大樹って頭いいなあ。……でもまあ、ちょうどいいじゃん。どうせオープンゲイの告白なんて、相手には迷惑なだけだし。諦める理由を探してもさ」


 ぐいーと伸びをして、サガリが言う。もうこの話はやめたいという言外の意思表示に見えた。


「俺は意気地なしなんだよ」


 ちょっと皮肉なことに、そう言ってこちらを向いた瞬間に、サガリの素直な気持ちが見えた気がした。殻のない顔。暮れかけた冬の空。本格的に沈む前の日が地平線近くに淡い紫色の光を投げている。

 その光を背負って逆光になったサガリの顔が、本当のサガリの顔って感じがした。

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