第2話 町屋サガリという男
「え? お前俺のこと知らないの? 俺って結構有名だと思ってたんだけどなあー! マジかー!」
彼は大げさに言うと、天を仰いだ。
と、次の瞬間。なんの予告もなく、両腕を伸ばして頭の上で合掌をする。そう動くのが当たり前みたいに。保育園のお遊戯の時間に作らされたロケットだかタケノコだかの形みたいだ。
そんな形をとって、
「曖昧さ、回避!」
と唐突に彼が叫んだので、僕は一瞬バカみたいな顔になったと思う。
「曖昧さ、回避!」
彼がくり返す。
なんなんだそれ。
それに声が大きすぎる。舞台俳優かってくらい腹から声が出ている。
そんなに人の多くない公園だけれど、広場には小学生が集まってゲームをやっていた。子供たちの視線が一瞬こちらに向いた気がして、僕は慌てて目の前の不審者にしがみつく。
勢い、手に握っていた絵が地面に落ちるが仕方ない。
「何してんの! 不審者情報に載るよ!? 男子高生二人が~なんてメールで配信されたらどうするんだよ!」
何しろ僕達は制服を着ているのである。所属を喧伝して歩いているわけだから、通報なんかされたら洒落にならない。近頃の子供は通報に躊躇がないと聞く。それは良いことだとは思うけれど、僕らを通報するのは待って欲しい。
彼の両手を掴んで胴に沿うように下ろさせる。手首を掴んで無理に『気をつけ』の姿勢にさせたのだ。
彼は僕より10センチ……まではいかないけれど、7~8センチくらいは背が高い。体格差があっても彼に気を付けをさせられたのは、ひとえに彼が無抵抗だったからだ。助かった。
「いや、知らない? 『曖昧さ、回避!』で売れた一発屋芸人の“町屋ウィキ一番”ってやつ。俺の親父なんだけど」
「え……知らない。何時代の人?」
「歴史の授業じゃねえよ! お前、動画もテレビも見ねえんだな。“類人猿”が懐いてるから未だに結構、親父の名前出るんだけどな〜。一発屋いじりではあるけど、店の宣伝になるから親父もほっといてるわ」
「類人猿? え? やっぱり歴史の話してんの? 店の宣伝っていうのは何? ちょっと、本当に何がなんだか」
彼のテンションが変に高くなってしまい、僕の知らない話がどんどん出てくる。参った。彼の両腕を抑えて向かい合ったヘンテコな姿勢のまま、至近距離で彼のトークを浴びるのはきつかった。説明が一方的すぎる。もっと精神的な引きこもりこと僕にもわかるように話してくれないと困る。
なけなしの社交力を使って聞き取りを行ったところ、“類人猿”というのは最近売れている漫才コンビで、下積み時代に彼の親父さんが可愛がっていた後輩だということだ。それで、今はいくつもバラエティ番組にレギュラーを持つほか、ラジオ番組、彼らの動画チャンネルなども人気なんだとか。それで、町屋ウィキ一番という彼の親父さんの芸名と、芸人を引退した親父さんのやっている焼肉屋(彼の実家だ)をよく話に出すのだとか。
売れっ子になった“類人猿”が親父さんに恩義を返そうとしているのだろう、と語るときの目の前の彼は口をもちゃもちゃと気まずそうに動かした。まあ、そのせいでいつまでたっても親父さんが一発屋芸人だって過去を忘れてもらえないんだから、複雑な顔にもなるよな。と僕は勝手に納得した。
「なるほど、把握したよ。でも、すべての人間が芸能人に詳しいと思わないことだね」
そこで僕は彼の両腕を気をつけの姿勢に固定させたままだったことを思い出し、両手を離した。さり気なく、今こそそのタイミングだし最初からそのつもりで動いていたんだというような顔で。
本音を言うと、ずっと彼を掴んでいたのは恥ずかしい。
聞き取りに夢中になっていた僕も僕だが、されるがままだった彼も彼だと思う。
「俺、学校でもそこそこ有名なんだけどな。しかもお前同学年だろ。町屋サガリを知らないってお前、友達いる?」
「君という存在を知らなかっただけで、友達がいない認定って……。自信家というかなんというかだね。僕は、『町屋サガリ』なんていうくだらない噂に興味がないだけだよ」
「へえ〜。じゃあ友達いんの? 普段どんな話すんの?」
なんだこいつ、グイグイ来やがって。僕の言葉にこめた皮肉に気づいて引けよ。
でも正直、僕の方が彼に失礼なことをしている自覚はあるのでムッとする程度で許してやる。答えてもやる。
「それは、くだらなくない話だよ。…………くだらなくない話なんてこの世にないんだから、くだらなくない話をする友達も居ない。当たり前だよね」
「寂しいやつ!」
「ストレートに言うのやめてよ! 陽キャってなんで捻りなく喋るの?」
「どういう理屈だよ。そんなに言うほど君って有名人なの?」
訊ねてから、しまったと思った。彼が一発芸のモーションに入ったからだ。
「やめろやめろやめろ!」と言いながら、僕は手を伸ばす。水平の高さにまで持ち上げられたサガリを両手を掴んで、再び気をつけの姿勢にさせる。今度も彼は無抵抗だった。調子が狂う。
「曖昧さを回避してやろうと思ったのに」
「いいよそういうの」
「でも大事だぜ。俺って目立つんだよ、父親も有名人だし名前も変。そのうえゲイ。この性格だから隠せないし、周りに『あいつってもしかしてゲイ?』とか噂されるのもキモいだろ。だからオープンにしてんの」
「はあ」
まあ、理屈は分かる気がする。と僕は気の抜けた相槌を返した。
「てことで、オープンゲイの陽キャで、町屋ウィキ一番の息子の町屋サガリは有名人。多分同学年で知らないのお前くらい、だと思いたいなあ」
「……なんでそんなに知られていたいのか分かんないね。自分が知らない相手に自分のこと知られてるなんてぞっとしない?」
「うーん、属性ってやつかなあ」
「属性?」
芸の無いオウム返しをしてしまう。まるで彼の話に興味があるみたいで、ちょっと恥ずかしい。
「そ、属性。父親が元一発屋芸人なんかやってると、どうしても目立つから。それなら自分から学年一、いや、学校一ってくらい目立ってやった方がいいわけ。やられる前にやれ! どうせなら自分から噂になりに行け! 的な」
「なるほど。……なるほど?」
分かるような分からないような理屈なのに、なぜか納得しかける。どうせ目立つなら学校一目立った方がいいって何だ? 目立たないように頑張った方が良くない? あ、でもそうすると、陰で噂されてキモイのかな。
って、なんで僕が町屋サガリの心情を想像して理解に努めるみたいなことしてるんだ。いくら人間が社会的動物だからって、そんな人間的な部分を今ださなくていいよ僕。
彼と話していると、自分がどんどん阿保になっていくような気がしてきた。さっさと絵を返して帰った方がいいかもしれない。
そうだ、絵のことだからってこんな奴に真面目に付き合ってたらバカみたいだ。
似顔絵(とは認めたくないが)を拾うと、くしゃくしゃの紙は土を
どちらの足跡かは分からないけれど、踏まれたみたいだ。
「……ごめん。いきなり人の絵を潰したのは良くなかったかもしれない。すごい汚くなっちゃった。まあ土はもともと君が自分でかけてたんだけどね」
へたくそな絵なんて僕にとっては全部ゴミだし、彼もどうせ埋めるつもりで描いた絵みたいだけど。でも人のものは人ものだ。それがこんな有り様になったのは、八割がた僕の責任と言っていい。
だから社会的動物である僕は謝ったわけだけど。
「一言多いって言われない?」
と、彼はなぜかニヤけながら言った。
「一応、良心の
「伝え方考えた方がいいぞ。正直だったらなんでもいいわけじゃないんだし、って小学生でも知ってることだぞ」
なけなしの社会性を使って謝ったというのに、受け入れようという気がないのだろうか。陽キャのくせに細かい事を気にするやつだな。
その上彼は次の瞬間に、聞きようによっては脅迫にもとれるようなことを言ってきた。
「大体さあ、お前の名前をまだ聞いてないんだけど」
と。
「へ? いきなり何言ってんの? 謝るのに名乗らないのは失礼的な? この流れでいきなり名前聞かれるのは怖いよ」
「怖い? シンプルにお前の名前知りたいなと思っただけだぞ。お前面白いし、気になる」
「いや面白いとかないし。この状況で唐突に名前を聞かれるのは警戒して当たり前でしょ。ていうか僕の謝罪についての返答は? 許されるか許されないか宙ぶらりんなんですけど僕」
「許すか許さないか、かあ。お前ホントに小学生みたいだな。学級会か?」
「が、がっきゅうかい」
失礼極まりないことを言われて、固まる。
ごめんなさいの後は、いいよ or やだよ、だろ。小学生だろうが高校生だろうが、それは変わらないだろ。
え、そこはっきりさせないのが大人的な、そういう話?
固まったままぐるぐると考えていると、ポン、と肩に手を置かれた。
町屋サガリが、両目を糸みたいに細めてにっこりと笑う。
「許すか、許さないか。はっきりさせたらお前、ハイさようならするつもりだろ? 俺、お前のこと気になってるって言ったじゃん。じゃあ宙ぶらりんにしといたほうが都合がいいってやつだ」
「う……」
その通りなんだけど、真正面から普通そういうこと言う? ってことを言われて返答に詰まった。
自分の感じの悪さを棚上げしてる自覚はあるけど、この男性格おかしくないか? いや、そもそも、絵を埋めている不審者だった。そして不審者に関わったのは僕だ。愚か!
「せっかく知り合ったんだしお前の名前知りたいんだよ。俺は名乗っただろ。あ、ゲイは怖いとかある? 偏見ってなかなか捨てられない気持ちも分かるよ~。でもお前全然好みじゃないから、気にすることないって! そういう意味での『気になってる』じゃないから」
にこり。
またも彼の笑みが深まる。女子が黄色い声を上げそうな塩顔イケメンの笑顔を正面からくらいながら、好みじゃない宣言をされるって何。脳がバグる。
「僕は、君と知り合いになるつもりなんか無かったよ。だから名乗らない」
「えー……じゃあ、どうしようかな。俺、お前の名前知りたいからなあ。一応、俺の方が今立場上だよね。お前は謝罪の答えを保留されてるんだしな」
僕の肩に手を置いたまま、町屋サガリが目だけで上を見る。口を小さく尖らせて、芝居がかった思案顔だ。
「じゃあ、これしかないかあ」
という彼の顔も言葉も下手くそな演技っぽくて露骨。
目のまえに絵を突き付ける動きも、ちょっと不自然。
でも僕の肩に置かれたままの片手には自然に力が込められて、ああやっぱり彼はその気になれば僕を半殺しにできる大型犬だなあと思わされる。強い力の予感を手のひらの向こうに感じる。
散歩で出会う黒のラブラドールレトリバー通称ラブちゃん(勝手に呼んでいる)も、顎のデカさと牙のするどさ半端ないからな。賢いから噛まないでいてくれるだけで。
目のまえの彼がラブラドールレトリバーよりも優しくて賢い保証なんてどこにも無いんだったな。
「名乗らなかったら許さないから、名前教えろよ。絵のお詫びに」
くしゃくしゃで土まみれの紙が鼻先につきつけられる。
紙に描かれた絵はへったくそなんだけど、自然と開いていく紙から土がこぼれるのは演出として悪くなかった。脅迫の演出として。
考えてみると『画』になる場面だ。
残念なのは絵が下手すぎるってところと、やっぱり絵は埋めないでゴミ箱に捨てるべきなんじゃないかってことくらいか。
なんかもう、面倒くさいなと思った。このまま意地をはる方が面倒くさい。
はあ、とひとつ溜息をついた。
「……
名乗ったとき、口のなかでジャリ、と土が存在を主張した。
顔の前に絵をつきつけられたときに、口に入ったらしかった。やだな。歯も舌も気持ち悪いし、何より変な味がする。
「良い名前じゃん。よろしく、大樹」
やっと僕の肩から手を放してくれた町屋サガリが、口の両端を均等に持ち上げてグラビアみたいに笑った。
「ああ、はい。よろしく」
そう答えながら口のなかはずっとじゃりじゃりしていて。
土の味とともに、町屋サガリとの奇妙な縁は始まったのだった。
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