明日、僕らの恋心を埋めに行く。

髙 文緒

第1話 へったくそ

 冬だったからいけない。

 あの日彼を隠していた灌木かんぼくが、葉を落として枝だけになっていたから、彼の手元が見えてしまった。

 町屋 サガリと僕――牛頭ごず 大樹たいじゅが出逢ったのは、あの木に葉が残っていたせいだ。

 


 美術部を辞めたばかりの僕は、放課後を持て余していた。

 仕方なく、行動範囲内の公園を日替わりでめぐって、スケッチなんかをしていた。

 ある日、スケッチに行った先の公園で、灌木の向こうに同じ制服の背中を見た。モスグリーンのブレザーなんてこの辺では僕の通う高校くらいだから、同じ高校の生徒だってすぐに分かったんだ。

 彼は土を掘り返して、何かを埋めているか掘り出しているかしているみたいだった。

 明るい茶色の髪が見え隠れしていた。

 うちの高校は日和見主義で、校則で髪色を制限するなんてナンセンスという世間の風潮と、とはいえあまりに派手な恰好を許さないで欲しいという保護者の本音の双方にいい顔をした結果、『当校生徒にふさわしい範疇はんちゅうの髪色』という規定を設けて現場の裁量(と責任)に任せている。

 そんなわけだから、彼の明るい茶色の髪は明確な校則違反ではないのだけれど、とはいえ明確にオッケーとも言えない程度には明るく、茶色よりはベージュに近かった。


 ……どう考えても、ヴァージンヘアーの純朴可憐な僕とは別世界の人間だ。

 そんな相手が不審な挙動をしている。普段だったら確実に無視するところなんだけど、彼の手元が目に入ってつい足を止めてしまった。どころか、声を掛けてしまった。

 

 彼が埋めていたのが、絵だったから。

 

「……何してるんですか? ゴミは持ち帰った方が良いですよ」


 学年が分からないので、一応敬語でたずねてみる。すると彼はびくっと肩を持ち上げてから、おそるおそるといったふうに振り向いた。


「うわ~、驚いたわ」なんて言いながら。

 

「驚いたときに驚いたっていう人初めて見た」


 タメ語に切り替えて答える。

 振り向いた彼のネクタイが鈍い金色のストライプだったので、同じ学年――二年生だと分かったからだ。それなら敬語でいる必要はない。

 姿はチャラいが、反応を見た限りガラも悪そうではないし、近づいても大丈夫だろう。そう判断して灌木かんぼくの隙間を縫って彼の隣に行く。埋められようとしている絵が気になったから。

 

「なに? え、お前誰?」


 彼の当然の疑問を無視して、無言のまましゃがむ。絵の詳細はまだ見えない。でも確かに絵だ。彼の足元に置かれた紙に、無数の線が引かれている。意思をもって引かれた線。

 僕の指が、意図せずそわっと動いた。


「なあ、黙ってられると怖いんだけど?」


 顔を傾げる彼は、動きだけならば愛嬌があると言えるのかもしれない。が、睨まれているようにしか思えない。怖いのはそっちだ、という気持ちのまま目を逸らす。

 緊張がたかまって、まずい、これは。


「名乗る必要性は感じないな」

 

 そう口からこぼれた瞬間、終わった、と思った。

 やっぱり面倒は避けたらよかった。と後悔してももう僕の口は止まらないのだ。


「それよりも、ゴミはゴミ箱へって常識だよね。でもこの公園にはゴミ箱は無い。だからって埋めていいわけじゃないからね。持ち帰ればいいだけの話だ。君の手元のその紙ゴミをね」


 ほらもう。やっちゃったよ。しかも早口で。

 感じよく喋れないわけじゃない。ただ、落ち着いた状況で準備も万全にしないと無理だってハナシ。加えて、目の前の彼みたいな陽キャへの反発心が僕の舌をなめらかにしてしまうわけで。


「ゴミだあ? 人の絵をゴミって言ったか?」


「だって不要なんだよね、それ」

 

 僕の答えに、ピキッと音が鳴りそうな勢いで彼の眉がひきつる。怖い。

 もう誰か僕を黙らせてほしい。 


 はああ。という溜息とともに、彼が肩のあたりを動かす。


「回りくどい喋り方すんなよ」


 低い声が響いた。殴られる、反射的にそうと思って目をつぶる。……が、何も起こらない。強いて言えば、少し土の匂いが近くなった。

 掘り返された、水をふくんだ土の匂いだ。


 恐る恐る目を開けると、鼻先に彼の指があった。土にまみれた紙をつまんでいて、彼の爪も土に汚れていた。


「…………なに?」


「これはゴミじゃない。だからゴミ箱には捨てない。第一それじゃ絵を描いた意味が無いからな」

 

 彼は絵を掲げて、なぜか自信満々に言った。 

 別に僕の物言いに怒っているわけではないらしい。


「意味が無いってなに? 埋めたらなんか意味あるの?」


「ある。これはただの絵じゃないから!!」


 ふすーっと彼の鼻から長く息が漏れる。なんだろう、話を聞いてほしくてたまらない子供みたいだ。昨年、授業でボランティアに行った先の小学校の生徒がこんな感じだった。


「ただの絵じゃないって何? 僕、絵にはうるさいよ」

 

 軽い苛立ちを覚えながら、睨みつけてみる。至近距離で睨んでやったというのに、彼は平然と見つめ返してくる。気まずい。


「ふふ、これはなあ……」


 なんて思わせぶりにタメを作られて益々ムカつく。

 そんなムカつく彼の顔は、よく見ると整っていた。なるほどイケメンゆえの自信ってわけね。

 顔を分析するとき、僕の頭はスケッチの対象を見るように切り替わる。

 明るすぎる髪色が浮かないくらい、肌の色は白いし、目は奥二重で左右の高さがそろっているし、太過ぎない鼻筋に自然な角度の鼻先に至っては完璧。唇は薄いけれど、きゅっと持ち上がった口角は女子ウケしそうだ。

 つまり、似顔絵の描きにくい癖のないイケメンというやつ。僕の、彼の顔に対する評定としてはそんな感じ。



「これは、俺の恋心だ」



 ドーン。って字を背負ったみたいな顔で言われたわけだが。

 そうですか、とは思えないわけで。


「……? 意味が分からないけど、心がこもっている的なこと? くだらないね」

 

 と素直な感想を述べつつ、ちらりと彼の顔を覗く。ブチキレの予兆は見えないので、言葉を続けることにする。


「ていうかどんな絵でも、絵は絵でしょ。上手かろうが、心がこもっていようが、絵。そして君は絵を捨てようとしている人。捨てられるものは一般にゴミと呼ばれているよ。資源ゴミ、と言いたいところだけれど、もう汚れているから資源ゴミにはならないね。大人しく燃えるゴミに分別するといいよ」


「だからゴミじゃねえって。心を込めた絵と込めてない絵は違う。それに捨てるんじゃ意味ないんだよ。なぜなら恋心っていうのはな……」

 

 にやり。彼が笑う。

 だからこの『タメ』の癖はなんなんだ。漫画の読みすぎじゃないのか?


「なぜなら恋心っていうのは、捨てるものじゃない。


 ドーン、を背負う彼。絵になるのがなんかイヤであるが、やっぱり漫画の読み過ぎだろう。


「意味が分かんない」

 

 素直にそう答えた。

 僕の素直っていうのは、いささか攻撃的なものだと自覚している。でもこのやたら明るい茶髪の彼は僕の言葉に怒らない変人だっていうことが分かってきたので、遠慮がなくなってきた。

 そう、彼は変人なのだ。そうに決まっている。

 恋心を埋めて失恋を忘れるって何? たかが絵なのに。そして不要な絵はただの紙。紙ゴミ。燃えるゴミなのに。


 ……僕は、僕はそうしたよ。僕の絵を燃えるゴミにしたよ。

 僕の一番焦がれていた絵を、あの子と一緒に燃やした。他の絵は、燃えるゴミの日に出した。全部燃えたんだよ。


 ぐ、と喉に力がこもる。

 ビー玉くらいの大きさの空気が喉に詰まったみたいな感じがある。思わず、口と体が動いていた。

 

「じゃあ見せてみてよ。捨てたらいけない絵ってやつをさ」

 

 僕の勝手な事情で八つ当たりしている、という自覚はある。僕が絵を捨てたことなど彼には何も関係ない。

 でも止まらない。

 僕の手は彼から絵を取り上げていた。

 彼が指先でつまんでいた紙は、不意打ちで僕が引っ張るだけで簡単に彼の指をすり抜けて僕の手元へ。

 折りたたまれた紙の隙間から、ざらざら、と土が落ちた。

 

「あ、ちょ、何すんだよ」


 というゆるめの抗議の声を無視して、紙にのった土を払う。

 出てきたのは……。


「これ、似顔絵? ……本気で言ってる?」


 下手すぎる絵だった。


 いや、そりゃあ上手い絵だろうとは思ってなかった。ちらっと見えた線が素人丸出しだったし。それにしてもこれは、下手すぎる。揶揄として『画伯』と呼ばれるタイプの絵だ。

 だって、誰か分からないどころじゃなくて、人かどうかすらも分からない。

 いびつな丸に、ぎょろっとした目らしきもの。数字の3を横にしたみたいなものが中心に描かれているけれど、それが鼻なのか口なのかも分からない。

 どんな神経をしていたらこんな絵を指して、自分の恋心だなんて言い放てるんだ?


「似顔絵だろ、どう見ても。水泳部のエース佐藤だろ」


 そう言われても、僕はその水泳部のエース佐藤とやらを知らない。確実に言えるのはひとつ。

 

「へっっったくそ」


 くしゃっと、紙を握りつぶしていた。

 弁解させてもらうと、さすがにわざと握りつぶすほど良い性格をしているわけではない。脱力感とか、いら立ちとか、謎の疲労とか、そういうのが一体となって思わず握りしめてしまったのだ。手の平に土の水気が伝わって、つめたい。


「おいおいおい、潰すなって」


「ごめん、つい……。ていうか佐藤さん? って人は知らないけど、これがそのエース佐藤さんっていう人に似てもにつかないだろうってことは分かるよ」


「は? 本人も知らないのに似てないってなんで分かんだよ」


「改めて言うけど、下手だからだよ」


 大きな体を寄せてきてぎゃんぎゃんと吠えるのでうるさい。でも、怖くはない。変なやつだと分かったからだろうか。

 散歩中のラブラドールレトリバーが飛びついてきたときみたいな感じだ。ラブちゃんという名前の黒のラブラドールに下校時によく逢うのだが、なぜか気に入られている。ラブちゃんは可愛いが、こいつはそうでもない。共通点は、どちらも本気を出したら僕なんか半殺しに出来るんだろうけど、絶対にしないという雰囲気を纏っていることくらい。


「じゃ、見てみろよ! ほらこれ、この前県大会優勝したときのニュース! あークソ! かっこいいなもう! 好きすぎる! かっこいいよな!」


「ちょ、見るから耳元で叫ばないでくれる?」


 彼は一瞬僕の方に画面を向けたものの、結局自分で画面を見て勝手に盛り上がりだす。千切れんばかりに振られる尻尾を幻視してしまう。

 こいつがこんなに興奮するエース佐藤っていうのはどんな子なんだ? 県大会優勝とか水泳部とか言ってるから、水もしたたる体育会系美少女なんだろうか。僕には一生縁がなさそうだが、健康的な日焼け肌とか、白い歯とか、イルカの皮膚みたいな水着がひきしまった体にはりついているところとか、そういうのを期待しないでもない。ありていに言うと見たい。見たいです。

 彼の手の中のスマートフォンを覗き込んだ。

 そこに移っていたのは、やっぱり似顔絵とは似ても似つかない体育会系の日に焼けた男で。

 

 男……。


「……エース佐藤って、男?」


 思わず口に出していた。

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