第16話



 「何、それ、オレが言ったの?」


 うわー忘れてるよ! この人の記憶にございませんよ!

 こっちが以前のように、舞い上がっちゃうぐらいの態度をとっておいて。

 ああ、でも記憶にないのも、仕方ないか。

 所詮わたしはその程度の存在ってことですよね。

 

 「いつ?」

 「大学の時、映画に行った翌日、教室で偶然聞いたんですよ」

 「……なんて言ったオレ」

 

 言うか? 言ったらいいよ。そんでフェードアウトだよ!! もうアレコレ自分以外のことで思い悩まなくて済むよ!!

 わたしの心の中で投げやりな言葉が全身に廻る。


 「同じサークルの男子に『雪村とゼミのコンパでいい感じだったんじゃね? お前のセレクトにしてはまた規格外だな』って言われたら『あー俺、まだ処女とヤったことないからさー、アイツ絶対処女だろ?』って返してませんでした?」


 あーあーもう言っちゃったよ。

 ほんと思わせぶりな態度ばっかりとるのは辞めて下さいよ。

 あの言葉は忘れられないですよ。


 「あ、それ憶えてる……それの間になんか会話があったと思うんだけど」


 憶えてるんですか? そして、居直ってますよこの人。あーそういう人なんだ。


 「そこは小声であんまりよく、でもそう言いましたよね?」

 「『雪村とゼミのコンパでいい感じだったんじゃね? お前のセレクトにしてはまた規格外だな』のあとに、『あいつデートもしたことないんじゃねーの? ディズニーランドに彼氏と行くとか絶対無さそー』って続いたんだよな確か。そんで『あーまだ(ディズニー)未体験の女と行ったことないからさー、アイツ絶対未体験だろ? 連れて行って反応見たいんだよねー、他の女子とは違って絶対に喜ぶから』って続いたハズなんだけど?」

 

 ……。


 『あー俺、まだ処女とヤったことないからさー、アイツ絶対処女だろ?』

 『あーまだ未体験の女と行ったことないからさー、アイツ絶対未体験だろ?』

 『未体験』と『ヤッた』の部分が違う。


 30秒は確実に思考が止まった。


 わたし……。


 もしかして、声だけだったし、聞いた場所もちょっとドア越しだったし距離もあったけど……間にある会話を、いろいろ聞き洩らし、あげく、聞き間違いしてたってことですか? 

 未体験=未経験=処女で脳内変換してたってことですか?

 そんで『行った』を『ヤッた』と聞き違えたってことですか?

 その聞き間違い脳内変換で思考回路がショートして、あの場を遁走したために、事実は……。

 それ……って……。


 いやああああああっ!

 

 もうやだ、穴掘って埋まりたいっ!!

 誰か埋めてええええええぇっ!!

 あの時のわたしはそこまで舞い上がっていたのか! 

 各務氏を意識しすぎてそんな言葉を聞き間違えて脳内変換するほどに!!

 両手で頭を抱えてうずくまってしまった。




 「雪村?」

 「……」

 

 もう何も言えない、恥ずかしさとバカバカしさで泣けてくる。

 ていうか各務氏は帰れ、帰って下さいよ。ほんとうにもう。


 「そこにオレの自称彼女が雪村に言ってきたのか……勘違いしないでねと、すげータイミングだな、そりゃー引くわな」


 違う。

 どんなに否定したって、結局あの時の彼女の言葉は図星だったのだ。

 だからこんなバカな聞き間違いにずっと囚われていたんだ。

 各務氏の手の平がわたしの頭をポンと撫でる。

 そして顔を覆っていた手を掴んでわたしを上に引き上げた。


 「美幸」


 そう耳の近くで名前を呼ばれた。 

 ぎゅうっと身体が拘束される感じは、各務氏がわたしを抱きしめていたからだ。


 「ほんと、ばーか」

 「どうせバカです……放っておいてください……」

 「バカな子ほど可愛いからダメ」

 

 骨がきしむほどの力が加わる。

 息もできないほどだった……。


 「……し……」

 「うん?」

 「苦しい……です……」

 

 少しでも呼吸をしたくて離れようとするけれど、それも出来ない。

 絞り出すようになんとか言葉が出る。

 お、男の人ってこんな力があるんだ……って、初めて思い知った。


 「離して……」

 「ヤダ」


 なんですとー!?

 ちょっ、酸欠で死ぬ!

 つーか、勘違いと聞き間違いの罰ですか? 

 

 「すぐ逃げて家に駆け込んじゃうだろ」


 そりゃ当然、逃げて家に駆け込みたいですよ!

 こんな聞き間違いと脳内変換を、何年も真実だって思いこんでたんですから。

 おまけに各務氏の人と為りを疑惑の目で見ていた。

 ごめんなさい、悪かった、謝ります。

 だから、その手をなんとかして下さい。

 マジで酸欠になる! 骨が痛いっ!!

 恥ずかしさだけじゃなくて痛みだって加わって、涙ちょちょぎれそうなんですが、これどーすりゃいいの!?

 ていうかもう既に半泣き状態です。

 そんなわたしの状態に気がついてくれたのか、ようやく各務氏の腕の力が緩んでくれて、酸素を取り込むことができた。

 ただ、いくらかは力が入ってないけど、ここでまた逃げようとしたら、思いっ切り絞められるのは間違いないよね……。

 動かない方が……いいのかな……。


 「そんでオレのこと不審人物扱いなわけだったんだ」

 「……不審人物って」

 「警戒人物でもいいけど」


 ため息混じりにそう呟かれて、わたしは各務氏を見る。


 「ご……ごめんなさい……」


 「なんでそんな、美幸からみたら男慣れしてなさそーな女にコナかけてポイするような男なのに、今日の食事とかOKしたの?」

 「だって、関係ないと思ったから……」

 「関係ない?」

 「各務氏は大学の同期でただそれだけだって思えば……。きっと各務氏からみたら金のかからないブックオフだろうし、本の貸し借りだけで直接関わらなければ関係ないからまあいいかなって」

 「関係ないってそっちかよ」

 舌打ち交じりに呟く。

 時々見え隠れする各務氏の、男の人って感じがする言動が、ちょっと怖いなーとは思う……。

 「……すみません」

 「やだ、地味に傷ついたよ、オレ。そんな人を弄ぶような男に見られた上にー」

 「ご、ごめんなさい」

 「表面的は友好的でいてもそれは表面だけ、その実は関係ないとか思われてたってことか」

 「すみません」」

 「今後、もー無視とかフェードアウトとかなしだから」

 「……」

 えー、なんでそうなるかなー。

 わたしが各務氏なら、もうそんな勘違い女は放置で、関わらない方向でいくところですよ。


 「雪村、じゃなくて美幸って呼ぶし、メールも電話もデートも拒否ったら許さない」 


許さないって、かなり怒ってるってことですよね。

 でも、あれですよね、そんなにムカツクなら、存在そのものをスル―すればいいのに、そうしないのか。

 ……なにつまり、あれですか。三行で言うと。


 勝手に思い違いされて傷ついた。

 ムカツクし放置するのも手ぬるい。

 仕返しというか詫び入れる気があるなら傍で下僕扱い。


 そういうことですかっ!?

 下僕ならば名前呼び、メールも電話も当然、各務氏はデートとはいうものの、言い方がソフトなだけで、つまりそれはいろいろと付き従えってことですよね?

 けど、わたしも悪いところは多々あるのだし。それに……あれですよね。

 各務氏に想う女性が出来たり、そしてお付き合いが始まったりすれば、わたしはお役御免で放置になるはず。

 期間がどれくらいかわからないけれど、まさか10年20年も、そう言う状態になるわけではないでしょうし……。


 「わかった?」

 「わかりました」


 まあ、いつまでかはわかりませんが、とにかく、ちゃんと向き合いますよ。各務氏にいいお嬢さんが現れるまでは。

 

 「じゃ、各務氏はやめて名前で呼んでみて」

 「え? 『ご主人様』じゃないのですか!? それじゃ下僕の意味がないのではっ!?」


 わたしが即答すると各務氏は眉間に皺を寄せる。


 「……」

 「……え?」

 「お前、やっぱりわかってないね……」

 「え?」

 

 わかってないって、どこか間違ってる!?

 どこが間違ってるのですか!?



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