第30話

 八杯目のビールを飲み干した三谷は、ジョッキの底でテーブルを叩いた。


「とにかく、痺れたんですよ僕は」


 赤くなった顔でそう語る三谷を尻目に、智規は生ビールを追加で注文してやった。

 SNS経由で三谷から「話を聞きたいです」と言われたことが切っ掛けに行われたサシの飲み会だが、いざ始まると三谷は一瞬で出来上がり、智規は聞き役に徹している。


「三谷先生、飲み過ぎですよ」


「今日は飲ませてください」


 追加で来た生ビールを、三谷は早速飲み始めた。飲み放題にしてよかったな、と思いながら智規も酒で喉を潤す。

 唇からジョッキを離した三谷は、ぷはっと息を吐いて喋り出した。


「加賀先生は、そりゃあご立派な作家ですよ。でもあの人がデビューしたのって、めっちゃ昔じゃないですか。加賀先生は現代の競争の激しさを知らないんですよ。自分は安全圏にいるからって、耳触りのいいことばっかり言って……」


 話題はずっと、年末にあった謝恩会での出来事だった。特に、智規と加賀の言い争いについて、三谷は流暢に意見を述べる。


「だから僕、加賀先生に刃向かった魚棲先生のこと、本当にかっこいいと思います」


 謝恩会では情けない姿を曝してしまったと思っていたが、意外にも三谷はあの時の智規を見て感動したと熱弁した。智規としても、あの一件があったおかげで自分の書きたいものを見つけられたので後悔はしていないが、それにしてもこんなふうにキラキラとした目を向けられるとは思わなかった。


「普通に負けましたけどね。ぐうの音も出ない感じで」


「それは確かに」


 三谷も、智規が言い負かされたとは思っているらしい。


「でも、僕らは別に、口の上手さで競っているわけじゃないじゃないですか」


 それは、その通りだ。

 作家なら、作品で勝負しろ。そう思ったからこそ、智規は加賀を絞め殺さずに済んだ。


「僕、あの謝恩会で加賀先生から仕事を紹介してもらったんですけど、先日やっぱり断ることにしたんです」


「それは、どうして?」


「あの人に勝ちたいからです」


 浴びるように酒を飲んだせいで、三谷の声は舌足らずになっていた。まるで、徒競走で負けて不機嫌になっている子供のようだ。


 しかし、ふと思う。

 勝ちたいという気持ちは、童心から来るのかもしれない。


「僕みたいな木っ端作家が、加賀先生みたいな人と張り合おうとするのは分不相応だと思っていました。でも魚棲先生を見て、やっぱり僕もそちら側がいいって思ったんです」


 そちら側。その言葉が指すものを、智規はなんとなく察した。

 分不相応にも、大御所作家に勝つことを考えている人間。

 飯のためではなく、野望のために小説を書くと決めた作家――。


「正直、お金ないですけど、贅沢しなければまだ耐えられます。僕も、ヒット作を出して文豪と呼ばれるような作家になりたい。加賀先生に勝ちたい」


 両目に決意を漲らせて語った三谷は、次第に青臭い発言を恥ずかしく思ったのか、ジョッキを思いっきり傾けて顔を隠した。

 ゴクゴクと喉仏を揺らす三谷を、智規は無言で見つめる。


 ああ、なんだ……。

 探せばいるものなんだな。


 亡者ではない。血湧き肉躍る闘争に身を投じる、戦士のような作家が……。

 智規はジョッキの中に入った生ビールを一気に飲み干した。実は酒はあまり得意ではない。だが一度この男とは、枷を外して語らってみたいと思った。


「三谷先生、二軒目どうですか?」


「行きましょう」


 三谷が即答した。ラストオーダーが近いので、先に次の店を決めておく。


「今日は限界まで語り尽くしましょう」


 智規がそう言うと、三谷は「おう!」と返事をして、ケラケラと楽しそうに笑った。


 スマートフォンで二軒目の店を探しながら、ふと三月末に応募しただいち小説賞のことを思い出す。


 久々に、自分の世界を凝縮した小説を書けた。

 だが智規は現役のプロ作家だった。だから分かる。今回応募したあの小説は、恐らく受賞しない。数年ぶりの大規模な方向転換で、初めての取り組みも多々ある作品だ。書きながら何度も技量の欠如を痛感した。


 だが、今はこれでいい。今はこの新たな作風を大事にしたい。

 講師も辞めて、仕事も絞った。ここからが本番だと強く自分に言い聞かせる。


 今に見てろよ。

 二度目の華を咲かせてやる――。


 中堅作家の意地を武器に、智規は戦場へ向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る