第31話
風太は冷たいグラスを握り締めた。
「じゃあ、日村の内定が出たことを祝って、乾杯!」
「乾杯。って、水だけどな」
しかも昼の牛丼屋である。
カチン、とグラスを鳴らした後、冷たい水を喉に流し込んだ。
ゴールデンウィークの半ばに日村から内定を掴み取ったと報告された風太は、久々に会おうと返事をした。二ヶ月ぶりに顔を合わせる場所が牛丼屋というのは風情の欠片もないが、就職活動で金欠気味だった日村はむしろ喜んでいた。去年の夏から積極的にインターンシップなどに参加していたため、交通費や宿泊費が嵩んだらしい。
連休中でなければ筆章会に顔を出していたが、焦る必要はない。日村は就職活動が終わったし、風太も今は急ぎの用がなかった。この先いくらでも顔を出す機会はある。
「冬のインターンシップから、そのままストレートに内定だっけ?」
「おう。第一志望でないのは残念だけど、まあ第一志望群には入ってるし、いい結果だと思ってるよ」
へぇ、と風太は相槌を打った。
他人事のような風太の態度に、日村は何も言わない。
「そっちは? だいち小説賞の結果はいつ出るんだ?」
「今年の秋だったかな。当分先だよ」
「もし風太が受賞したら、その時もこうやって祝わないとな」
「いいね。賞金が入るからいい店で奢るよ」
「賞金があるのか。じゃあ卒業旅行しようぜ、海外とかどうよ?」
ヨーロッパとか行ってみたいよなぁ、なんて話をしながら牛丼を食べる。のんびり話したかったが、時間をかけて牛丼を食べるのは難しかった。
「しかし、思ったより早く内定が出てしまったなぁ」
どんぶりを空にした日村が、水を飲んで言った。
「……時間空いたし、また小説でも書こうかな」
「書こう! うん、それがいいと思う!」
「うぜぇ、テンション上げんな。今だから言うけど、俺、お前に小説読まれる度に死ぬほど緊張してたんだからな」
全く知らなかった。
だがそれを告白してくれたということは、次はきっと違うと思っているのだろう。
その後、日村はバイトの面接があるようなので解散となった。元々、卒業旅行は提案したかったらしく、今のうちに金を稼いでおきたいらしい。
暇になった風太は、三月に徳田と話した書店へ行くことにした。広々としたカフェも併設されているあの店は、のんびり本を読めるので風太のお気に入りになっていた。足を運ぶのはこれで四度目となる。
店に入った風太は、まず席を確保しようと奥へ向かう。
その途中、見知った人物を発見した。
「徳田先生!」
ちょっと声が大きかったか、と反省して口元を手で押さえた。しかしそのおかげで窓際の席に座っている徳田が、手元の小説から風太に視線を移した。
驚く徳田のもとへ向かう。
「徳田先生もこの店気に入ったんですか?」
「まあね」
ご一緒していいですか? と訊くと徳田は静かに頷いた。カウンターでコーヒーを注文した後、徳田の方を見て、以前よりも容姿がスッキリしていることに気づく。ダイエットでもしたのだろうか? 髭も剃っているし、清潔感が増していた。
「席、ほとんど埋まっていたので助かりました。ここ、コーヒーも美味しいですよね」
徳田の対面に腰を下ろし、風太はコーヒーを一口飲んだ。あちっ、と反射的にカップを遠ざける。思ったより熱かったので舌を出して冷ました。
そんな風太の様子を見て、徳田は微笑を浮かべた。
「なんか元気いいね。もしかして内定でも貰った?」
「いえ、就活はやめました」
「やめた?」
「司書を目指すことにしたんです。本に関わる仕事がしたくて」
この結論に至るまでには紆余曲折があった。
父の制止を振り切って小説の執筆に没頭した風太は、初めて一作の長編を完成させることができた代わりに、就職活動における最も大事な一ヶ月を丸ごと犠牲にした。
風太は、作家になりたいことを家族に伝え、どうにか納得してもらった。父は絶対に反対すると思ったが、一ヶ月もの間、狂ったように原稿を書き続ける風太を見て腹を括ったらしい。「満足するまでやれ。ただし一度定職にはつけ」と父は言った。
作家になるという目標を中心にして、人生設計を練り直した。少しでも目標の糧になる仕事に関わりたいと思った風太は、やがて司書という仕事に辿り着いたのだ。
そんな風太の新たな目標を聞いて、徳田は顎に指を添えて考える。
「俺、司書補やってたよ」
「そうなんですか!?」
「うん。だから勉強とか教えられるかも」
ありがたい提案だった。珍しい偶然もあるものだなと思ったが、作家志望なんて皆、考えることは同じなのかもしれない。
「実は僕、小学生の頃に出会った司書が切っ掛けで、小説を書くようになったんですよ」
「へぇ、あんまり聞かない切っ掛けだな」
流石にこのエピソードは珍しかったのか、徳田は好奇の目を見張る。
その時、風太は徳田の目の奥に、ゆらりと揺れる熱を見た気がした。
……そうか。この人は、あの時の司書に似ているんだ。
どうりで話しやすいと思った。
「図書館で読書感想文を書いてたんですよ。そしたら急に声を掛けられて――」
風太は楽しそうに思い出を語る。
正面に座る徳田の目が、大きく見開かれた。
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