道すがら
第28話
ゴールデンウィークの初日、拓人はスーパーで働いていた。
連休の影響で学生のバイトがあまり入らなかったので、拓人が皺寄せを受けて五連勤することとなった。人手不足の一方で客はいつもより多い。これがあと四日も続くのかと思うと唇から勝手に溜息が零れた。
「戸部さん」
若いバイトリーダーの男に呼ばれ、拓人は振り返った。
「牛乳が届いているんで、冷蔵庫に運んでもらっていいですか?」
「分かりました」
すぐ行きますと伝えると、青年は目を丸くした。
たっぷり十ダース前後の牛乳を積んだ台車が三台並んでいた。通路を半分塞いでいて不便なので早めに運んだ方がよさそうだ。手前の台車を両手で掴む。
「戸部さん。なんか、変わりました?」
背後から、バイトリーダーが疑問を投げかけた。
「どうでしょう。あまり実感はありませんが」
だが確かに、変わろうという意思はある。
三月末、だいち小説賞へ原稿を送った拓人は、すぐに髪を切り、更に電動のひげ剃りを購入した。金に余裕がないため服の購入は一ヶ月遅れたが、その代わりにファッションについて調べる時間ができたので、半月前に満を持してシャツとスラックスを通販で購入した。今着ているのがそれだが、まあ悪くないんじゃないかというのが主観での評価だ。
自分は今、満たされている。その自負が拓人の心に余裕を与えた。野心と共に目指すべき夢があることを、全身全霊で打ち込めるものがあることを、拓人はこの上ない誇りだと感じている。至上の幸せだと胸を張って言える。
だから、以前と比べてバイトにも力を入れられるようになった。相変わらず仕事は酷くつまらないが、人生が充実しているとストレスにも寛容になれる。こんなに幸せなんだから少しくらい根性見せろ。そう自分に言えるようになった。
視野が広がったおかげで欲しいものも増えた。今はこの、でっぷりとした腹を絞りたいのでランニングシューズが欲しい。頑張って稼がないとな、と思う。
「奥の方に古い牛乳があるので、一度そっちを出しますね」
軽く報告してから、拓人は冷蔵庫の奥へ入った。
台車を引っ張ろうとすると、何故かバイトリーダーも一緒に冷蔵庫に入ってきた。
「手伝いますよ」
「ありがとうございます、リーダー」
「リーダーって、いや、そこは名前でいいですよ」
拓人は顔を引き攣らせた。そういえば名前を知らない。
青年は拓人の焦りに気づき、小さく笑った。
「田島ですよ。覚えといてくださいね」
田島は若い男らしく、パワフルな所作で台車を冷蔵庫の外に出した。
そりゃあ、嫌われるか……。
この青年とは一年以上の付き合いになる。なのに拓人は今まで名前を覚える気が全くなかった。意識してなかったが、きっと彼を呼ぶ時は適当に「おい」とか「ちょっと」みたいな言い方をしていたのだろう。
先に礼を欠いたのは、自分だった。
田島。その名を記憶に刻みながら、ふと旧友のことを思い出す。
北本には何度かメッセージを送っているが、未だに既読がついていない。多分ブロックされているのだろう。それでも諦めるわけにはいかなかった。自己満足かもしれないが数日に一回メッセージを送り続けている。全ては、あの日の発言を謝罪するために。
謝罪する相手はもう一人いた。妹の美由だ。
悩んだ末、家族への謝罪は少し時間を置くことにした。もはや言葉による謝罪は上辺だけと捉えられるほど、家族の拓人に対する不信感は募っている。だから、次会う時はちゃんとした身なりで会って、行動で謝りたい。服や体型に気遣っているのはそのためだ。お盆までには、マトモに見える人間になりたいが……。
牛乳の乗った台車を運ぶ。昔は、こういう仕事に従事することがみっともないと思っていた。この狭い社会で汗水垂らす時間が惨めだと感じていた。
今はそう思わない。何故なら、この胸には誇りがある。
俺には夢中になれるものがある。
だから、どんなところで息をしても、惨めに思う必要はない。
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