第21話

 十一月。風太は就職活動の合間に大学へ赴いた。

 この日は遠山大学の大学祭で、キャンパスが盛大に賑わっている。順調とも不調とも言えない就職活動の中、少し気が滅入っていた風太にとって、この騒がしい雰囲気はいい気分転換になった。少し寄り道してフットサルサークルの露店で焼きそばを購入し、筆章会のブースがある方へ向かいながらのんびり食べ歩く。


「お疲れ様でーす!」


 室内にある筆章会のブースを見つけ、挨拶を交わす。カウンターの奥にいた後輩の男が風太の来訪に気づき、軽く頭を下げた。


「暇だから来ちゃった。何か手伝うことある?」


「すみません、丁度よかったです! 俺、トイレ行きたくて、少しだけ代わってもらっていいですか?」


「お安いご用さ」


 可愛い後輩だな、と思った。

 筆書会には真面目なメンバーが多い。他の文芸サークルは遊び人も多いそうだが、筆章会は何故か生真面目な性格の人が圧倒的多数を占めている。

 他の文芸サークルと違って、読むだけでなく書くことに重きを置いているサークルだからだろうか。小説は真面目な人間にしか書けない。頭を空っぽにして、後先考えずに適当に書いてしまうと、自らの拙い文章を前にして恥ずかしくなってしまうからだ。

 小説は鏡のようだ。軽薄な気持ちで書いた文章は、後で読み直して自己嫌悪に陥る。

 では、どうしても長い物語を綴ることができない自分は、中途半端な人間なんだろうなと風太は思った。


「風太?」


 ブースに一人で立っていると、黒いコートを着た日村がやって来た。

 三年生はこの時期になると就職活動が忙しいので、サークル活動は基本的に自由参加となっていた。大学祭の出し物の手伝いも同様なので、風太と日村がここで顔を合わせたのは完全な偶然である。

 日村は苦笑いして風太に近づいた。


「お前、就活ちゃんとやってんのか?」


「流石にやってるって。今日はちょっと、人と会う予定があるから来ただけ」


「人と? 誰とだよ」


「大黒先生」


 大黒三郎。先日、ファンタジー小説大賞を受賞したことでデビューが決まった作家だ。

 なんと彼女は筆章会のOBだった。大黒のインタビュー記事でそれを知った風太は、SNSで彼女のアカウントをフォローし、駄目元で講義してくれないかと頼んだ。

 忙しいから断られるに違いないと思っていたが、大黒は快く引き受けてくれて、例の小教室で筆章会の面々に小説の講義を行ってくれた。三年生はあの頃から既にサークル活動が自由参加だったが、当日は久々に全員が集まった。


「うわ、マジか。大黒先生が来るなら俺も時間作っとけばよかった」


「時間ないの?」


「キャリアセンターに来るついでに顔を出しただけなんだよ。夕方に面接があるし、その準備もしたいから帰らなくちゃいけないなぁ」


 本気で後悔しているらしく、日村は額に手をあてた。


「ていうか、大黒先生が来るなら教えてくれよ」


「いや、なんか今日は個人的な用事で俺に会いたいみたいで」


「え? あ、もしかしてお前らってそういう関係?」


 そういう反応をされると分かっていたから、大黒が今日来ることは後輩たちにも教えていないし、風太も暇だから来たとだけ伝えているのだ。


「違う。そういう雰囲気でもなかったし」


「なんだ、つまんね」


 日村も本気で怪しく感じたわけではないのだろう。この話題はすぐに終わった。


「他の同期は今頃、どうしてるんだろうね」


「安部はもう内々定を貰ったって言ってたな。山岡はこの前、偶々同じ会社のインターンシップ受けててちょっとびっくりした。鈴木は院に行くことを決めたってさ」


 残りの同期三人についてすぐ説明してみせた日村に、風太は微かに驚いた。

 妙に詳しい。自分がいないところで飲み会でも行われていたのだろうか?

 少し寂しいが偶にあることだ。日村以外の面子で飲み会をすることもある。毎回固定のメンバーでしか遊ばないというのは面倒だし、このくらいの距離感が丁度いい。


「すっかりバラバラになっちゃったなぁ」


「今は仕方ないだろ。全部終わってからまた集まろうぜ」


 終わるって、どういう意味だろう。

 就職活動が?

 それとも、小説に対する愛着が?

 じゃ、と日村は片手を上げて去ろうとした。


「ちょっとは手伝ってくれてもいいだろ」


「手伝いが必要なほど繁盛しないだろ」


 伊達に文芸サークルに三年も所属しているわけではない。大学祭における文芸誌の売り上げに詳しい男だった。

 その後、後輩がトイレから帰ってきたので、今度は風太がトイレに行った。家で昼食をとってきたのに焼きそばまで食べてしまったので、少し腹が苦しい。

 ブースに帰ってきて後輩とだらだら喋っていると、白髪のお婆さんがやって来た。


「あのぉ、すみません」


「はい、一冊五百円になります!」


「ああ、いえ、もう買ったのよ。そうではなく、少し質問したくてねぇ」


 風太は首を傾げるが、お婆さんもどこか不思議そうな表情を浮かべていた。降って湧いた違和感を持て余し、取り敢えず質問してみることにしたといった様子だ。


「こちらに、風太君はいらっしゃいますか?」


「……風太は僕ですが」


「あら、そうなのね」


 お婆さんの小さな黒目に、キラリと好奇の光が瞬いた気がした。


「貴方の小説、とてもよかったわ。小説はいつ頃から書いているのかしら?」


「一応、小学生の頃から書いていました」


「まあ、どうりで文章が上手いこと」


「いえ、マトモに書けるようになったのは大学に入ってからですよ。子供の頃に書いていたのは小説っていうより、日記みたいなものですし」


 謙遜と受け取られたのか、お婆さんは孫を見るような目で風太を優しく見つめた。


「これからも小説、書いてちょうだいね」


 お婆さんが去る。

 小さくて温厚な背中を、風太は無言で見届けた。


「凄いですね。あんなふうに褒められるなんて」


「いやぁ、普通に嬉しいね。筆章会以外で褒められる機会なんてあんまりないから」


 ネットに投稿した小説もわりと称賛されがちだが、ネットの感想は顔が見えないので本気で称賛してくれているのか分からない。

 少なくとも先程のお婆さんは、本気で喜んでくれていた。


「ていうか風太先輩、そんな昔から小説を書いてたんですか?」


「暇潰し程度にだけどね。……小学生の頃、丁度、今みたいに大人から文章書くのが上手いねって褒められたことがあって。それを真に受けてしばらく書いてたんだ。まあ、中学になったらすぐ飽きて書かなくなったけど」


 そして大学で再開してみたら、あっさり夢中になってしまった。

 小学生の頃と比べたら、今の方が語彙力も想像力も人生経験も明らかに厚みを増している。あの頃は表現できなかったものが、今では色々表現できるようになった。その違いを体感できて楽しかった。


「あ、そうだ。さっき大黒先生が来てましたよ」


「え、ほんと?」


 トイレに行っている間に来たようだ。

 椅子が並んでいる休憩用のスペースを見ると、そこに大黒と見知らぬ女性がいた。大黒が風太の視線に気づき、会釈した後、隣の女性を一瞥して苦笑する。隣の女性は真剣な顔つきで筆章会の会誌を読んでいた。彼女が会誌を読み終えるまで待ってほしいと大黒は言いたいのだろう。風太は首を縦に振る。


 以前、大黒が筆章会を訪れた時、自分にはライバルがいると言っていた。青井奈々という名前だったはずだ。後日、筆章会の過去の会誌を探したところ、ナナという筆名の小説があったので読ませてもらったが、確かに魅力的な文章を書く人だった。

 もし大黒の隣にいる女性がその青井奈々だったら、彼女とも話してみたい。

 しばらく待っていると、大黒が手招きしたのでそちらへ向かう。


「大黒先生、久しぶりです!」


「久しぶり、風太君」


 大黒に頭を下げた後、隣の女性とも挨拶する。

 予想通り、青井奈々だった。しかし、お二人はライバルなんですよね? と言うと、青井の顔が微かに強張る。


 出会って早々、軽率な発言をしてしまったと反省した。

 この青井という女性は、デビューが確定した友人の隣で、自分はライバルだと図々しく言えるような人間ではないのだろう。

 本気でプロを目指している証拠だ。本気で目指しているからこそ、プロになることが決まった友人に複雑な気持ちを禁じ得ない。そんな青井の気持ちが伝わってきた。


「風太君、プロになるためにどんなことしてるの?」


 取り繕うような青井の質問に、風太は乗ることにした。彼女を動揺させてしまった責任は自分にある。


「この前は専門学校の体験講義を受けてきました」


「講義か……私は受けたことないなぁ」


 日本語で文章さえ書けたら、一応、小説を書く技術は揃うことになる。

 日記さえ書けたら小説も書けるのだ。日記に架空の人物を一人追加するだけで小説は完成する。だから小学生の風太でも、取り敢えず書くことはできた。

 参入の壁が低いため、学校の必要性に懐疑的な者が多いのは仕方ないが、いざ講義を受けると色々勉強にもなった。小説も学問として見るとなかなか奥が深い。


「結構面白くて専門学校に通うのもアリかなって思ったんですけど、講義の最後にちょっと変な質問しちゃって、気まずくなったので入学は見送りました」


「え、どんな質問したの?」


「プロの先生に向かって、貴方はどんなものを書きたくてデビューしたんですか? って聞いちゃって」


 青井が苦笑した。

 風太としては、あれだけ多くの小説を書くモチベーションがどこから湧いているのか純粋に気になっただけだ。長編を書けずにいる風太ならではの深刻な質問である。


 魚棲清水。彼もまた、強い情熱と共に小説を書いている人間なのだろう。

 その情熱を、ほんの少しでもお裾分けしてもらいたかった。


「風太君、他にも小説書いてるの?」


「あ、はい。でも数えるほどしか書いてないですよ。短編だけですし」


「短編だけ? 長編は?」


「一度も書けたことがないんです。構想は何度も練ってるんですけど」


 正直に打ち明けると、青井は不思議そうな顔をした。

 その反応で分かる。――ああ、この人も向こう側の人間か。

 大黒三郎のように、魚棲清水のように、青井奈々も本気で小説が書ける人間のようだ。


 ――何が違うんだろう。


 頑張れる人と、そうでない人。その差は何だろう? 俺はどうして後者なんだろう?

 もはやここまで来ると羨望というより疑問だった。

 やる気の維持。集中力の持続。技術に問題ないなら精神的な問題に違いない。しかし風太は別に、人間関係が偏っているわけでもないし、生活に支障を来すほどの怠惰な性格というわけでもなかった。友人の数は平均的だろうし、大学の成績だって一度も単位を落とすことなく、どちらかと言えば優秀な方である。


 なまじ他の分野では問題ないからこそ、余計に意味が分からない。小説を書く時だけやる気が続かないなんて、どういう理不尽だ。

 いや……よく考えたら、小説を書くという行為は特殊なものか。

 普通の人間が、ぶっ続けで十万文字の文章を書くことはない。


「ごめん。私、そろそろ帰らなきゃ」


 青井がそそくさと帰り支度をした。


「青井さん。もしよければなんですけど」


 立ち去ろうとする青井の背中に、風太は呼びかけた。


「一月に作家志望の集まる新年会があって、よければ参加してみませんか? 色んな話を聞けると思いますよ?」


 青井にとってメリットになりそうなものを提示しつつも、本心としては風太が青井との縁を今日限りのものにしたくないだけだった。

 本気で頑張れる人間のことを、もっと知りたい。

 自分も、本気で頑張れるようになりたいから。


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