第22話

 大波の中で揺蕩っていると、あっという間に年末になった。

 専門学校を覗いてみたり、デビューが決まったOBから貴重な話を聞いてみたりと、それなりに藻掻いたつもりだったが、大波を抜け出すには至らなかったらしい。所詮はいつ砕け散ってもおかしくない小さな流木。波のうねりに抗うことはやはり不可能なのか。


 品川駅直通のオフィスビルに入り、コートを畳みながらエレベーターに乗った。

 冬になってから、色んな企業がインターンシップを募集するようになった。この日はスマートフォンゲームを開発しているIT企業のインターンシップに参加する。小説家になりたいという気持ちに引っ張られて、シナリオライターみたいな物語を作る仕事に惹かれた風太は、ゲーム業界を中心に就職活動を行っていた。


 正直、身が入っているわけではない。ゲーム業界に惹かれているといっても、比較的興味があるだけで、本心ではやはり小説家だけを目指したかった。この半年以上にもおよぶ就職活動では、そういう半端な気持ちを隠すことばかりが上達している気がする。


 エレベーターが到着し、受付から名札を貰って会場に入る。ゲームを作る会社ということもあって遊び心を意識しているのか、カラフルな部屋だった。クリーム色の凸凹とした壁に、背もたれが緑色の椅子。社員の服装もスーツではなくラフな私服で、中には髪を青色に染めている人もいる。


 インターンシップの内容は、五人一組のグループに分かれて面白いゲームを企画しようといったものだった。四時間で一本の企画を完成させた後、皆の前でプレゼンする。そして最後に社員たちが講評するといった流れのようだ。


「渡会さん、小説書いてるんですか?」


 グループに分かれて自己紹介を始めたら、メンバーたちが食いついた。


「え、凄いですね」


「じゃあシナリオライター志望ですか?」


 まあそんな感じですね、と適当に流しながら、グループワークを進める。

 メンバーは風太以外、全員がゲーム好きだったので、ディスカッションを十分もすれば企画の大枠を作ることができた。風太も最近のゲームに詳しくないだけでゲーム自体には親しんできたので、問題なく会話に参加できる。


「その意見、凄くいいね」


 一人、場を回すのが上手な男がいた。彼は誰かが意見を言うと必ず褒める。褒められた人は更に意見を出すようになる。好循環が生まれた。潤滑油のような人とはまさに彼のことだろう、と風太は思った。

 しかしその一方で、風太はどこか疎外感のようなものを感じていた。

 二時間後、昼休憩となる。


「よければ皆で食べに行きませんか?」


 潤滑油の青年が提案した。反対意見は出なかったので、五人で適当に空いている居酒屋に入る。昼営業もしている居酒屋らしく、風太はとり天定食を頼んだ。


「私はちょっとだけイラストを描いてて」


「あ、自分も同じです」


 料理が届くまで雑談していると、同じグループにイラストを描いている人が二人もいると発覚した。どうして自己紹介の時に言ってくれなかったのだろう。

 他の二人は大学で情報学を専攻している人たちだった。潤滑油の青年は企画職を希望しており、もう一人はプログラマー志望であるらしい。企画、シナリオ、イラスト、プログラム、図らずもバランスのよいグループになっていた。


 しかし風太は、盛り上がる四人をどこか遠くで眺めているような気分になった。

 作家志望の自分と、ゲームクリエイター志望の彼ら。クリエイターを目指している者同士、話も合うかと思っていたがどうにも馴染めない。


 全員、自分にはないスキルを持っている人だ。尊敬はしている。しているが……。

 届いた料理をそれぞれ食べながら雑談する彼らを見て、ある疑問が湧く。

 それが、水を差すような発言であることを薄ら予感しつつも、風太は口を開いた。


「今の時代なら、個人で制作するのも夢があるんじゃないですか?」


 問いかけた直後、空気が変になった。

 ん、いや、それは……と、皆は何かを誤魔化すかのように苦笑いする。先程までの硬質で格式張った空気がスライムみたいに溶けて広がり、ふにゃふにゃで軽い雰囲気がこの場にいる五人を包み込んだ。


「まあ、夢はあるけど、非現実的というか」


「個人だと規模も小さくなるし、資金も用意できないから」


 その返答は言い訳がましく聞こえ、途端に彼らが頼りなく見えた。

 だがそう思ったのは風太だけだったらしく、他の四人は逆に風太のことを生暖かい目で見るようになった。

 まるで、現実を見ていない子供を見るような目だ。


 ……なんか、違うな。


 注がれる視線の変化に反応すると気まずくなりそうなので、風太は鈍感な人間を演じながら、胸中の違和感を丁寧に掬い上げようとする。


 ふと、専門学校の体験講義で魚棲が告げた言葉を思い出した。

 才能がないなら、普通との決別が必要になる。

 人と違うことをしなければ、人を出し抜くことはできない。

 彼の言葉が脳裏で蘇った刹那、風太は違和感の正体に気づく。


 ああ……なるほど。

 ここにいる人たちは、普通との決別ができていないのか。

 彼らには決死の覚悟がない。高みを目指している者特有の、修羅の如き闘争心がない。


 突出しようという意志がないのだ。風太が今まで出会った作家志望の人たちは、多くがこの意志を持っていた。大黒三郎や魚棲清水からもこの意志を感じた。多分この突き抜けたいという感情が、プロを目指す、或いはプロを続けるための条件なのだろう。

 イラストを描いている二人が自己紹介の時にそれを伝えなかったのも、普通でいたいという感情の表れだ。悪目立ちして、グループの安寧が脅かされる事態を恐れたのだ。

 組織人としての適性の高さを感じる思慮深さだ。

 だが、尊敬の念を抱くと同時に、再び魚棲の言葉が脳裏を過ぎる。


 隣で同じことをしている人がいる時点で、間違いかもしれない――。

 ここにいる人たちは、隣で同じことをしている人を見て、安心している。


 抗えない大波の中で、せめて手を繋ぎ、不安を和らげようとする者たち。小さな流木たちは複雑に絡み合い、大きな鳥の巣のようになっていた。ぐちゃぐちゃとしていて気味が悪い、しかしどっしりとした包容力のある塊だ。たとえ滝壺に落ちても砕け散ることがないように、彼らはぎゅっと枝を絡ませている。本当は小石にぶつかるだけでも崩れ落ちてしまうほど脆いのに、それでも必死にしがみついている。自分がその崩れ落ちる部位にならないよう、密かに願いながら。


 流木同士の力強い絡み合いは、大波の中で揺蕩う彼らの叡智を結集させた、生存戦略に見えた。しかし、本当はただ祈っているだけなのだろう。皆で一緒に手を繋ぎ、自分たちが零れ落ちないことを必死に祈っているだけだ。


 お前は来るな――。

 流木の塊に、そう告げられたような気がした。


 異物は混ざるな――。

 流木の塊に、拒絶されたような気がした。


 疑いを持つ者は祈りの邪魔になる。そういうことだろう。疎外感の正体も分かった。

 多少の寂しさはあるが、あまり悲しいとは感じない。


 俺は、できている。

 普通との決別ができている。波に抗う覚悟ができている。


 できているなら、なんで――。

 なんで、途中で筆が止まってしまうんだろう。


 就職活動なんてしている時点で、まだ覚悟が足りないのだろうか? しかし魚棲が言っていた普通との決別は、人生を捨てるという意味ではないはずだ。

 別に就職してからも小説家は目指せる。

 ただ、今書けない人間が、就職後に書けるとは思えない……。


 戸惑いを表情に出さないことだけを考えて、インターンシップはやり過ごした。

 最後に各グループが企画を発表したが、その中に風太が心の底から面白いと思えるものは一つもなかった。

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