3章:清崎智規
第14話
「小説家って、そんな夢のある職業じゃないよ」
現役の小説家がこんなことを言うなんて、この業界も長くないなと思った。
清崎智規。ペンネームは魚棲清水。本名の『清』という文字を使って何かいい筆名を作れないか悩んだ結果、清水に魚棲まずという言葉を見つけて閃いたものだった。
「ライトノベルの業界も同じですか?」
正面に座る、ナナと名乗った女性が問う。
質問に答えながら、ナナの容姿に注目した。二十代の前半か半ばくらいだろう。智規がデビュー作を発売した時と同じくらいの年齢だ。
SNSで直接話を窺いたいと言われた時は驚いたし、こうして対面して更に驚いた。小説家志望にしては若い。智規は今、三十一歳だがそれでも業界ではだいぶ若い方である。
智規がデビューした時は、その若さからあらゆる方面で注目された。二十二歳でそれなりに大きな新人賞を獲り、将来有望だとか若い才能だとか持て囃されることもあった。だが当時の智規にとって一番嬉しかったのは、ぎりぎり就職せずに済んだことだった。新人賞の受賞は両親を説得するための材料としても効果的で、晴れて専業作家の身になった智規は、今に至るまで一度も企業に雇用されることなく生活できている。
しかし、受賞した翌年に発売された受賞作の売り上げは芳しくなかった。それから長くて苦しい、気が滅入るような地道な戦いが続いている。
目の前の女性、ナナも同じ道を辿るような気がしてならない。
だからついネガティブな情報を伝えてしまう。
「部数、そんなに違うんですか?」
「ラノベは一般の二倍くらい刷られる」
少し話が脱線しているが、気になるようなら答えようと思った。
ライトノベルの売上について説明すると、ナナは溜息を吐いて落ち込む。内心、小馬鹿にされることを覚悟していた智規は、その反応を新鮮に感じた。
一般文芸を書く人間の中には、ライトノベルを軽視する者が少なくない。たとえライトノベルが一般文芸よりも儲かったとしても「あんな低俗なものを書くくらいなら死ぬ」と笑って言う者がほとんどだ。それはプロもアマチュアも関係ない。
正直、ナナの印象は「すぐ折れそう」だった。小説家は変人が多い。はっきり言ってしまうと、普通の社会人として世の中に溶け込むことを苦手とする人が多い。だから彼らは皆、居場所を求めて小説を書いている。
しかしナナは小綺麗な衣服に身を包んでおり、理路整然と話ができる常識人だった。であれば、わざわざこちら側の世界に来る必要はない。小説の執筆はとにかく地味で根気がいる作業だ。他に生きられる世界があるなら、そちらの方が快適に違いない。
智規も一応身だしなみには気を使っているが、こんなものは擬態に過ぎなかった。専業作家で外に出る必要のない智規は、週に一度しか外出しない。その一度の外出も食材の購入が目的であり、人と会うのは稀だった。最後に友人と会ったのは確か半年前である。常人であれば気が滅入る生き方を、智規は進んで実現していた。
智規は一人の時間を好んでいた。普通の人の何百倍も好んでいた。だから就職したくなかったのだ。絶対に普通の人とは分かり合えないと気づいていたから。そしてそれゆえに他の作家と同じように、小説の執筆に居場所を求めた。
しかしナナは違う。彼女は社会に適応できる。
きっと彼女はこれから小説を書く時、視界の片隅に映る普通の世界の輝きを見て、悔しさのあまり唇を噛むようになるだろう。隣の芝の青さに心を折られる。そう思った。
「じゃあ逆に、ライトノベル一本でやっていくつもりはないんでしょうか?」
「可能か不可能かなら可能なんだけど、別にお金を稼ぐためだけに作家になったわけじゃないしね。僕が表現したいものは、やっぱり一般の方が向いてるかなって」
自分の口から出てきた言葉に、思わず噴き出しそうになった。
別にお金を稼ぐためだけに作家になったわけじゃない――。
じゃあ、俺がここ最近書いているものは何だ?
コーヒーを飲んだ。口の中に広がる苦味に集中して気を紛らわす。ナナには小説家の現実を伝えるべきだと思ったが、自分が抱える悩みまで打ち明ける必要はない。
「ネガティブなことを最初に言ったけど、それでもこの仕事は楽しいよ」
取り繕うようにそう言うと、ナナの表情が明るくなった気がした。
デビュー前の自分を思い出す。今はまだ小説家という職業がキラキラと光り輝いて見える時期だろう。その感性はプロになって、巨大な壁にぶつかるまでは続く。
「ちなみにナナさんは、新人賞とかには応募してる?」
「はい。次のだいち小説賞に応募しようかなと」
一瞬、顔が強張ったことを自覚した。
悟られぬよう、その判断が正しいことを説明する。
本当によく考えている人だと思った。真面目な性格なのだろう。それだけ堅実な人生設計ができるなら、改めてこの業界に入る必要はないと思う。
しばらく話した後、ナナと別れた。
小説家のいいところも悪いところも一通り伝えられたと思うが……一つだけ、最後まで伝えられないことがあった。
次のだいち小説賞には、智規も応募する。
敵に塩を送ってしまったか――去って行くナナの背中を見て、智規は小さく呟いた。
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