一章『千年の歴史』

第3話『節目に響く鐘の音』

 ──夜が明けた。

大きな大樹の元で夜を明かしたルーカスは、朝を告げる眩しい光にたまらず無理やり目をこじ開ける。昨夜の焚き火の近くでは、ほのかに香る炭の香りに包まれたエレナが倒木に腰をかけ、眠そうに茶を啜っている。


 「──おはよぅ。良く眠れたかい?」


 彼女は言った。俺は静かに頷くと彼女は優しく微笑みながら、銀色のコップに注がれた茶をこちらに差し出してきた。

 一口飲むと焚き火の残り火で、人肌程度にほんのり温まったそれは、昨日から何も食べていない空きっ腹に勢いよく染み渡る。


 「野宿には慣れたけど、連日は疲れるね…今日こそは王都の宿の特大ベッドで、すやすや快眠したいなぁ…。」


 肩をさすり、笑いながら彼女はそう言った。

 このまま順調に進んでいけば、今日の夕方頃には王都に着くらしい。


 「まだ寝足りなさそうなこの子に悪いけど…」


 エレナはそう言いながら深緑色をした龍鳥を優しく撫でる。龍鳥は昔から人々の生活に深く関わってきた家畜なのだ。


 「もう出発するから、そのお茶飲みながらでもいいから、早く乗って。」


 そう言いながらエレナはゆっくりと立ち上がった。ルーカスが荷台に乗り込むと、彼女は慣れた手つきで火にかけていた茶なんかを、龍鳥に繋がれた荷台の積み込むと、石で囲った焚き火の残り火にそこらの土を丁寧にかけ、龍鳥を走らせた。

 

 「なんで火をおこす時は手作業じゃなかったのに消火は手作業なんだ?」


 そう、昨夜彼女は火口に何か呟き火をおこしたのである。そのルーカスの問いに、


 「魔法を使わない火のおこし方を知っているの…?」


と、龍鳥を走らせながら彼女は答えた。

 ルーカスはこのエレナのアンサーに何かに気が付いたかのように黙り込んだ。


 ──魔法…抜け落ちていない記憶……?


 ルーカスはエレナと会話できている。焚き火が暖かいと知っている。これらのことすら、ルーカスが記憶の全てを失ったのだとしたのなら、有り得ない事だ。

 記憶を失った少年が一部の記憶が失われていない事を初めて自覚した瞬間であった。昨日、あの荷台で目が覚め、全てが初めてだった少年本人だからこそ、気が付いた事である。


 ──これは何か意味があるのか…?


***


 太陽が一行の真上を通り過ぎた頃、ようやく王都が見えてきた。


 「この子が頑張ってくれたおかげで予定より早く着きそうね。」


 エレナはそう言いながら龍鳥の頭を優しく撫でる。

 アルマ王国王都の街の空には賑やかな旗の数々が風にたなびいている。それを見たエレナは思い出したかのように言った。


 「今日は深紅の飛龍が討ち取られて丁度千年なの。だから王国成立千年目の大事な日で、どこもかしこもお祭り騒ぎ。毎年この日は記念日として祭りが開催されるんだけど、大きな節目になるから盛り上がり方は尋常じゃないだろうね…。」


 「宿は空いてるのか…?」

 

 ルーカスは少し心配になり、念の為確認すると


 「昨日の夜中にレーン鳥を伝いに予約はとってある!」


 自信気に青緑色の瞳を輝かせながら言い放った。


 王都前の最後の坂を下ると流石に龍鳥も疲れたらしい。朝の出発時とは比べ物にならないほどにまで、減速しきった一行はようやく王都の入口に到着した。


 「あなた方の御用件は何でしょう。何故アルマ王国王都へ?今王都は王国誕生記念の祭で大いに盛り上がっておりますが、部外者は立ち入れません。」


 全身銀色の重たそうな鎧に身を包んだ門兵は、低い声で威圧的に訊問する。

 普段は解放的な王都の入口は祭りに危険分子が外部から入らないように門兵が一人門の付近に居座っていた。彼のその鋭い眼差しに、ルーカスが少し圧倒されていると、


 「この徽章が見えないの、衛兵さん。」


 エレナは少年の胸の徽章を指しながら、そう言った。そうすると門兵はすぐさま柔らかい口調で


 「これはこれは御無礼を…申し訳無い…さぁどうぞお通りください。」


 と言った。門兵の言葉通り、龍鳥先頭に門をくぐり抜けようとした刹那、


 「待ちなさい。」


 と門兵が言う。


 「徽章を着けた彼ではない。そっちの白髪の彼女だ。貴方の目的は?私は徽章の彼とペットの龍鳥を許しただけであって、貴方の通行は許可していません。徽章はお持ちで?」


 ──おいおいおい…どうすんだ…?


 「何もお持ちでないと言うのならこの門を通る事を許す事はできない。お引き取り願おう。」


 門兵は先程に俺に向けたものと同じ眼差しをエレナに向ける。


 「彼が私を今回の祭りに誘ってくれたのよ。だから彼が私の見張り役でもあるわけ。これでいい?」


 エレナがそう言い終わった時、


 ──キーーーン…


 不愉快な音がルーカスの耳を刺激した。ルーカスは少し甲高いモスキート音のような音に眉をひそめる。それが聞こえたのに少し遅れて、


 「ガランガランガランガラン!!」


大きな鐘の音が王都全土に響き渡った。

 その音色飛龍が飛来されたと言われた1000年前に世界に響き渡った鐘の音と全く同じ音であった。


 アルマ王国に伝わる書物にはこう記されている。

「突然現れた真紅の飛龍によって、一つの世界が二つに割れた。」と。


 王都に轟く鐘の音が、祭りに勤しむ群衆の笑い声を止めたあと、紅く染まっていく空から現れた災厄に、その場の誰もが絶望した。何故なら、かつて千年前に一人の英雄によって討ち取られたと言われる、体を真紅に染め、長く鋭い鉤爪を持つ飛龍そのものに見えたからである。


 鐘の音によって静寂に包まれたアルマ王国王都は、飛龍の咆哮が響き渡ると阿鼻叫喚の巷へと姿を変える。人々の叫び声がこだまする中で、臨戦態勢になり、飛龍の方へ飛び出して行ったのはあの門兵であった。


 「なんだあれ!」


 「私だって分からない!けど、紅く染まった体にあの翼、伝承の真紅の飛龍のソレにしか見えない!」


 「千年前に奴は討ち取られたんじゃないのか!?」


 「御伽噺の中ではね…。言ったでしょ?あの話は王家が当時の国民に威厳を示す目的で、創り出されたかもしれないって。どこまでが史実で、どこからが創作なのか分からない!」


 「じゃあ、あの飛龍の存在は本物で奴が死んだという事は嘘だったのか…?」


 アルマ王国の誕生の伝承はこの国の誰もが知っているという常識的な話であり、伝承の飛龍に伝えられる姿のまま、空を切り裂き現在に顕現した真紅の飛龍に、そこにいる誰もが絶望した。しかし、王都が火の海と化すという群衆達の予測は大いに外れる事となった。

 飛龍は王都のはるか上空、雲の中に入り姿を消したのだ。先程まで真っ赤に染まっていた天空は自分の色を取り戻し、綺麗に蒼く染まった空にはどこにも飛龍の姿は無い。突然現れ、そして消えた再来の厄災にその場にいた人々が困惑の声を上げる中、


 ──キ────ン───…


彼の脳内はまた不思議な感覚に陥った。ルーカスは眉間にシワが寄るような、キーンという甲高い耳鳴りと共に、妙に頭が冴えるような感覚を覚えたのである。先刻響いた鐘の音の直前にも同じような音をルーカスは聞き取っている。

 そんな彼にエレナは少し不機嫌そうに、


 「ルーカス、聞いてる?通行許可証、首にかけて。」


と話し掛けた。


 「通行許可証?エレナ何を言っているんだ?こんな時に…。飛龍が──」


 ──は…...?


 ルーカスは言葉の途中で辺りの異変に気がついた。

 ほんの数秒前まで恐怖で溢れていたはずの王都は、千年の節目を祝うガヤガヤとした賑やかな雰囲気を、いつの間にか取り戻していた。飛龍の顕現に絶望し、王都のはるか上空に姿を消した飛龍の存在に怯えきった民衆たちは、そこにはいなかったのである。


 「大丈夫?ルーカス?そんなにコレ掛けるの嫌?」


 そう言いながらエレナは不安そうに彼の瞳を覗き込む。


 ──おいおい。お前らなんでそんなに平気でいられるんだ…?


 ルーカスは辺りを見渡す。しかし、何度見渡しても絶望と恐怖の欠片は何処にも無く、誰もが祭りの賑やかな雰囲気に染まったままであった。


 「ルーカス本当に大丈夫?人が多いのに圧倒されるのは分かるけど…」


 エレナは許可証の代わりに心配の声を少年に掛けた。


 「エレナお前もか!?飛龍がっ…!」


 「伝承では…ね。丁度千年前に飛龍が現れたのはこの都の遥か上空よ。」


 エレナはそう言いながら空に向かって指を指す。


 ──なんなんだ…?さっきまで皆飛龍に怯えきっていたじゃないか…!!


 エレナと会話が全く噛み合わない。飛龍に怯えた世界から飛龍の脅威に晒される事を、まるで初めから知らなかったかのような世界へといきなりやってきたような、そんな違和感をルーカスは感じていた。

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