第2話『大樹の元で』
ルーカスという名の少年は、白髪の少女と共にアルマ王国の中心へ向かっていた。
舗装もされていない獣道を颯爽と走る馬車のような乗り物は、乗客らをガタガタ揺らし、二人の間の静寂の寂しさを少し紛らわせているかのように見えた。
ルーカスにとって仲間が出来たというより、悪業を働いた罪人が監獄に運び込まれているような状況で、記憶喪失で混乱と恐怖から解放された少年は、日が暮れるまでの間、ルーカスどのような経緯で龍鳥が引く荷台に乗ったのか、彼女に質問した。
王都から離れたアージ高原と呼ばれる場所で前の乗客を降ろした後、彼女が住むルイスという村への帰路の道中で、いきなり声を掛けて運搬を頼んだと言う。荷台に乗り込んだ少年は目的地を告げたっきり、死んだように眠ったのだと、龍鳥に跨り荷台を引かせる彼女は語った。
あたりの木々の木の葉が掠れる音が薄暗い闇に響く頃、一際目立つ大樹の下で少女は、荷台の丈夫な革の袋から乾燥した枝を沢山取り出すと、枝を円錐状に組み上げたオブジェに指を向け、一言何か呟く。
気が付くと火の粉が舞い上がり、暖かい炎を上げる焚き火となった枝達の橙色の暖かい光の中で、彼女は少年に優しい口調で尋ねた。
「本当に何も覚えていないのでしょ?夜道は先には進めないし、何か聞きたい事とか…」
無言を貫いても何も差し支えない関係である彼女からの質問に、ルーカスは少しの間を挟んだ後、
「アルマ王国ってどういう国なんだ?」
暖かい炎を見つめながら静かにそう呟いた。
焚き火の温かみのある炎の光は、質問に答えようと口を開こうとする少女の透き通った肌とその白髪を、明るくオレンジ色に照らしてる。
何も覚えていないとはいえ、何も分からないと尻尾を巻いて逃げるのは格好悪いと感じていた少年が、この場から逃げ出すはずも無く、彼はただ静かに焚き火を見つめ続けていた。
そんな暗い静寂の中で虫の声が聞こえ始めた頃、少女は記憶を失った少年の為にある物語を聞かせ始めた。
アルマ王国には今から1000年前まで遡る長い長い歴史があった。
今から1000年以上も前、当時世界の全てを支配していた1人の王の帝国のはるかはるか上空に、真紅の飛龍が現れ世界を2つに割ったという。
片方の割れた世界では一人の有権者が居なくなった事により、様々な国々が乱立し破滅の道へ足を運び始めた。破滅の元凶こそ真紅の飛龍であった。
今から丁度1000年前、真紅の飛龍はある英雄に首を刎ねられ、真紅の飛龍の亡骸が墜ちた地こそ現在のアルマ王国なのだという。
飛龍が去った世界でアルマ王国は1000年間のも間、他国と争うことを決してせず、平和な国として地位を築いてきた。
そう少女は丁寧にゆっくりと語った。
「つまりこの世界とは別の世界があるってことか?」
記憶を失ったルーカスにとって、想像すらできないほどにとても壮大な歴史に少しばかりの好奇心を抱き始めた頃、
「と言っても、この物語は王国に代々伝わる伝説が記された書物の導入部分の話。その英雄の子孫が今の国王なんだと、一般的には言われてるけど…。王の威厳を維持する為に創られた夢物語かもしれないし。」
そう少女は付け足した。
「まぁ、王政とか文化とか色々語る部分はまだまだあるけど、一気に話すより明日王都に着くのだし、実際に見てみればいい。さぁ、次はあなたの番。」
少女はそう言って、昼間と同じようにこちらに身体を向けてきた。
何も語る事は無い。というより、何も語ることができないと言った方が正確だろうか。
何もかも空っぽな少年に彼女は優しく言う。
「ほら、昼間泣いてたでしょ。私がそんなに怖くて泣いた訳では無いと思ったんだけど。」
泣いていた理由は分からない。しかし、誰かがルーカスという名を呼んだ。そう感じたのだ。これが唯一少年の話せる記憶であった。
少年は一息合間を挟むと、昼間の夢で知った「ルーカス」という名を大きな大樹の元で少女に明かした。
***
少女はルーカスの言葉を黙って聞いた。
少年の口から放たれたのは彼の「ルーカス」という名前のみである。
名前のみを知る彼の胸に着けられたその輝きを失った徽章が、重要な「何か」を握っていると彼女はそう感じた。
そもそも、徽章というものは王都に住む上級国民にのみ与えられるものであり、王都内の治安維持などを目的に造られたもので、徽章を与えられた者が王都外に出るという事はこの少女ですら聞いたことがない。
「その徽章はなんで着けているのか分かる?」
座っていた倒木からゆっくりと立ち上がりながら少女は彼に質問した。
当然、「分からない」とルーカスは答える。
「徽章には王都に住まう人々を管理する目的で作られた物なの。つまり、王都に言ってその徽章を調べれば貴方の家名、関わった人達、どこで生まれたとか色々分かるかもしれない。」
現状、名しか覚えていないルーカスにとって、家名や出生が判明するということは、何か進展があるかもしれない。そう彼女は感じた。そして「なんとかしてやりたい」と思った。
たまたま出会った少年を助けたいという優しさに異常なまでに満ち溢れた少女は、
「私の名前はエレナ。王都外出身だから家名は無い。貴方が記憶を取り戻したいと願うのなら力を貸したい。」
そう言って少年に手を差し出す。
──記憶を取り戻す…...
「記憶…俺が記憶を取り戻したいと思ったとしても、君が手伝う義務はないだろう!?」
彼女の「信じる」という言葉に昼間とは違い、冷静さを取り戻したルーカスは思わず立ち上がりながら反論した。しかし彼女は
「義務はない。そんなの当たり前よ。自ら進んでやりたいと思った事だもの。それに、貴方は記憶を取り戻したいと思わないの?そう思うのなら、手助けが居ないと…難しいでしょう?それに私はあんな悲しい顔をして泣く人を放っておけない。」
彼女はそう呟いた。
困っている人を助けたいという原始的な欲求。人を助ける者は時に偽善者などと揶揄されるが、それらの言葉をかける隙を与えないほど、真っ直ぐな青緑色の瞳でもう一度彼女は言った。
「貴方を助けたい。」
ルーカスは静かにありがとうと呟くと、澄んだ空気の自然の中で初めての夜空を見上げた。
──こうやって優しさに触れた記憶すらも…
この大樹の元で、初めて人の優しさに触れた少年の視界に広がる夜空には、無数の星々が自ら輝きを放っていた。
ルーカスの頬に滴る一粒の水滴は、夜空の星々の輝きを美しく反射させていた。
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