第5話
「いきなりですが、九条さんは
自販機で水を買ってきてくれた漣さんは、ペットボトルを渡しながら私に言った。
「学生の頃に授業で少し……。でも、あれは小説の中の、いわばファンタジーみたいなものでしょ?」
「世界中のどこかにいると言われたら、そう思うのも無理はないかもしれませんね」
「え?」
正直、信じていなかった。
女の子なら『運命』という言葉に惹かれるかもしれない。けど、私はもういい大人だし。夢から覚めるには十分遅くない年齢だ。そもそも、今まで身体が求めるほど惹かれる異性に会ったことなんて……。
「今まで九条さんは発情期が来た時は、どうやって抑えていたんですか?」
「薬を飲んで抑えたり、あとは発情期が終わるまで一歩も外に出なかったり。それでも我慢出来なくなったら、一人で処理してたことも何度か……」
「とてもつらい経験をしたんですね」
漣さんは頭を撫でて慰めてくれた。まるで子供をあやすときみたいに。小児科の、カウンセラーの先生をしてるからか、私も子供扱いされてるんだろうか。と頭を撫でられて嬉しい反面、複雑な感情が沸いた。
「俺、九条さんの手助けをしてあげられるかもしれません」
「手助け?」
「発情期を抑える相手、といいますか。九条さんの体調不良の原因はもしかしたら俺かもしれないので」
「そ、そんなこと……」
ないです。と、はっきり言葉が出なかったあたり私にも心当たりがあるからだ。
漣さんを見ると胸の奥がドキドキして、発情期も普段よりもひどくて。無性に、本能的に漣さんを求めている気がする。けれど、それはいつも一緒にいるから、常に行動を共にする異性は漣さんだけだからと自分に嘘をつき続けて、はぐらかしてきた。
「俺も九条さんを見ていたらドキドキするんです。だから、九条さんとお揃いですね」
ふふ、と漣さんは口元に手を当てながら笑う。
お揃い。だなんて、そんな可愛い言葉で済ませられるものなの?
私の発情期は誰構わず誘惑をし、結果、好きでもない人に、愛でもない、醜いものを注がれる。けれど、女の身体として多少は喜んでいる。嫌でも、感じてしまう、それが人間の本能。
そんな汚れた私と漣さんがお揃い?
「もしも、仮に漣さんが私の番だったとしても、私の相手をしてもらうのは申し訳な……さ、漣さん?」
私が言葉を最後まで言い終わる前に、漣さんは私を抱きしめた。昼間の公園は、人が少ないとはいえ、何人かはいるわけで。
「は、恥ずかしいです。子供が見てますから」
「関係ありません。九条さんは俺だけを見ていてください」
「……はい」
優しい声色に思わず返事をしてしまった。まだどこか恥ずかしいはずなのに。なのに、漣さんから目を逸らせない。
それは漣さんが私にとっての『運命』だから?
「罪悪感なんて感じないで。俺が九条さんを求めている。そこにちゃんと愛はあるから。だから、今から貴女のことを抱かせてください」
「なっ……!」
今、なんて言ったの?
『抱かせてください』
私にはたしかに聞こえた。
上から目線でも、無理やりでもなく、私に同意をとるような聞き方。動揺していても、私の答えは決まっていた。だって、こんなにも私を求めるような目で見つめてくるんだもの。
こんな姿を見せられたら、誰だって先のことを考えないくらい虜になる。
「もちろん、ムリにとはいいません。九条さんが嫌なら一人で処理しても構いません。薬でおさえるのもいいと思います。俺はその間、どこか別のところに外泊してますので。く、九条さん?」
「し、したいです。私も漣さんと……」
私は漣さんの服をギュッと掴んだ。それは「してもいいよ」の合図。口にしなくても伝わるだろうか。
「九条さん、ありがとうございます。それでは戻りましょうか。俺たちの家に」
「は、はい」
そんな心配はいらなかったようだ。漣さんは私の考えてることが手にとるようにわかる。それは番だから?
お互いに好きだと言葉にしなくても気持ちがわかる? なんて、ロマンチック。これこそ、私が理想として描いていた未来。アルファとオメガが逆転しても、こうして王子様と出会えるなら、こんな出会いも悪くないとさえ思えてくる。
シンデレラだってそう。最初は継母たちにいじめられ、絶望のどん底だった。けれど、最後はハッピーエンド。まるで今の私みたい。この先もずっと漣さんと一緒にいたい。
この人なら私を幸せに、シンデレラにしてくれる。そう、この日までが幸せの絶頂期だった。まさか、この先、あんなことになろうとは今の私には想像もつかなかった。
「九条さん。脱ぐのは恥ずかしいですか?」
「は、はずかしいです」
「それなら俺が脱がせてあげますね」
「ちょ……」
心臓がバクバクしてる私なんてお構いなしに、漣さんは私のブラのホックをとる。
漣さん、本当に女性と付き合ったことないの? って驚くくらい。童貞って言ってたけど、そのわりに手慣れてるような……? って、駄目駄目。私だって、ケモノたちに襲われて処女じゃないんだから。過去のことを詮索するのは野暮よ。
「九条さん。今、他のこと考えてた?」
「え?」
「なんだろ……せっかくだから当ててあげましょうか? 俺があまりにも手慣れすぎて童貞かどうか疑ってる、とか?」
「うっ」
なんで漣さんには私の考えてることがわかるんだろう。エスパー? それともなにか魔法の類?
おかしいな。オメガにはそんな能力はなかったはず。もしかして私が勉強不足で知らないだけ?
「多分、今も頭の中で色々考えてるとは思うけど。どれも外れだと思うよ。仕事病っていうのもあるけど、一番は……」
「一番は?」
「九条さんのことが好きだから」
「っ……」
「出会ってからずっと九条さんを見てきた。もう俺に九条さんのわからないことなんてないよ」
「そんなこと……っ」
「あるよ。げんに九条さんの弱いところ、俺全部わかるから」
「んっ……」
思わず声が漏れる。
「甘い声が出たね。九条さん、胸が弱いもんね。ほんと、かわいい」
「漣、さん。敬語……」
「だめだった? こういうときくらい、タメ口で話させて。なんなら、名前でも呼びたいな。だめ?」
「い、いいよ」
子犬のような、でも狼のような男らしさもあって。そんな彼から、そんなことを言われたら断れない。
「美怜」
「剛、士さ……」
その日、私は不定期に来る発情期を一人ではなく、漣さんと解消した。解消って言い方はよくないね。愛を注いでもらった。この表現のほうが正しい気がする。たくさん愛をもらった。
今までケモノたちに襲われていたのも忘れてしまうくらい、漣さんは私を抱いてくれた。
「美怜は綺麗だね。その声も、身体も。これからは俺が相手をするから、美怜は何も心配しなくていい。働こうなんて考えないで。君は家のことだけすればいいから」
「ありがとう。剛士さん。明日からはそうします」
この時の私は気付くべきだったんだ。漣さんの言動に。おかしかった点はないのか。今思えば、愛し合ったあとに正常な判断が出来ないことくらい、大人の私ならわかっていたはずなのに。
好きな人だから、番だからと気を許していた。その時点で私の負け。漣さんはいつから私を、漣さんだけの「モノ」にするつもりだったんだろう。後悔しても、もう遅い。
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