第5話

「いらっしゃいませー」


 レトロな雰囲気が漂うこの店の名前は「喫茶ヤン・デール」


 ここを初めて訪れたのは約一週間前。

 テーブル席についてすぐ、来栖さんがトイレに行ったところでぼんやりと店内を見渡しながらあの日のことを思い出していた。


 

 アパートの大家さんに手土産を持って挨拶に伺ったついでで、近所を探索していた時にこの店を見つけた。


 この日は別に新しい出会いとかは求めていなかったけど、もし店員さんと気が合って行きつけの店にでもなればいいな、なんて淡い期待はあった。


 中に入ると、夕方という中途半端な時間帯のせいか店は閑散としていた。


 一人なのでカウンターに座り、中を見ると渋いちょび髭の男性と大学生のバイトらしき女性がいた。


 後ろのテーブル席にも暇を持て余したような大学生が数人いたが、既に食べ終えていたのか退屈そうにスマホをいじっている人ばかり。


 こんなので商売が成り立つのかって勝手に心配しながら注文を入れた。


 大学前名物のスタミナライスというものを頼んでみると、ものの数分でそれが運ばれてきた。


 ご飯の上にカツとデミグラスソース、そして目玉焼きが乗ったそれは移動疲れしていた俺の食欲をそそった。


 黙々と食べていると、同じくカウンターに座っていた中年の男性が立ち上がり。


「おい、金出せや」


 男がナイフのようなものを取り出して、カウンターの向こうにいる男性へ向けた。


「きゃーっ!」


 まるで漫画の世界のような風景に、俺は恐怖より先に呆然となった。

 頭が真っ白になったというやつだ。

 人間、自分の許容範囲を越える出来事に遭遇すると咄嗟の判断なんてできないのだろう。


 全く動けない俺は、奥の女性の悲鳴が響き渡る店内にゆっくり目を向けた。

 

 数人いたお客さんも皆、同じように固まっていた。

 そして、


「金がない? だったらここにいるやつ一人ずつぶっ殺してやるよ!」


 男は激昂して、俺たちの方を振り返った。

 

「おい、お前も学生か? いいよな、今から親の金で好き放題できて。それにちょっと男前だから女と遊びまくりってか。あ? 見下してんじゃねえぞ!」


 一番近くにいた俺が標的にされた。

 最悪だった。

 せっかく死ぬ思いで痩せて生まれ変わったのに、こんなところで変質者に逆恨みされて人生が終わるなんて。


 もう、絶望感でベラベラ喋る男の言葉はあまり耳に届いていなかったけど。


 最後に男が言った。


「ははっ、泣きそうだな。こんなところで一人泣きながら死ぬとか笑い物だな」


 笑い物。

 その言葉に俺はハッとした。

 そして、痩せるまでの地獄の日々を走馬灯のように思い出した。


 何の為に頑張ってきたんだ。

 こいつに逆恨みされて殺されるためか? いや、違う。

 俺は大学デビューを果たしていっぱい女の子と遊ぶために生まれ変わったんだ。


 それを邪魔されるくらいなら。


「はっはっは。じゃあ、死ね……ぐはっ!」


 ほとんど無意識だったが、俺の拳は男の左顎を見事に貫いていた。

 

 俺より体格のいい男が吹っ飛ぶ姿がスローモーションで俺の目に映った。

 そして、カウンターにいた男性の店員さんが慌ててそいつを取り押さえて。

 誰かが通報したのか、警察が雪崩のように入ってきて。


 男と共に俺もまた、パトカーに乗せられて警察に連れていかれた。



「太志君、どうしたの? ぼーっとして」

「え? ああすみません、ちょっと考えごとしてまして」


 気がついたら来栖さんが向かいの席に戻ってきていた。

 しかしどこか不機嫌そうなのは気のせいだろうか。


「何考えてたの? あ、もしかして女の人のこと?」

「女の人? いや、別にそんなことは」

「ほんと? じゃあ誰のこと?」

「ええと、それは話すと長くなるんですけど」

「えー、聞きたいなあ」


 強請るように俺を見上げてくる来栖さんの可愛さを前に、口を閉ざすなんてことは出来なかった。

 なんならちょっとカッコつけて武勇伝のようにペラペラと。

 この店であった出来事を彼女に話した。


「へえ、そうなんだ。で、警察に連れていかれた後は大丈夫だったの?」

「ええ、まあ。目撃者の誰かから俺を庇ってくれる証言があったみたいで、ちゃんと正当防衛として処理してくれました」

「そっかあ。じゃ、その人に感謝しないとだね」

「ほんとですよ。ここに通っていたらまた会えるかもしれませんよね」


 周りを見渡すと、学生のお客さんがちらほら。

 しかし誰も目が合うことはない。


 あれだけのことがあったんだから、もし俺のことを覚えていたら気づいてくれてもいいはずだ。

 ということはここにいる人ではないのか。


「……ん?」


 と、そんな時に視線を感じた。

 カウンターの方からだった。

 見ると、カウンターの内側からじっと俺を見る女性と目が合った。


 あの人はたしか……あの日もいた店員の女の人だ。

 綺麗な人だなあ。

 もしかしてあの人が俺の無実を訴えてくれた人?


「太志君、どうしたの?」

「あ、いえ。店員さんがこっちを見てる気がして」

「え、あの女の人? じゃあ、もしかしたらあの人が太志君の恩人かも」

「やっぱりそう思います? でも、声かけてみていいものですかね?」

「うーん、もし違ったらびっくりさせるだけだもんね。それに、お店の人をナンパしたなんてウワサが回ったらここに来にくくなっちゃうし」

「そ、そうですよね。うーん、どうしよっかな」

「ふふっ、こんな時こそ先輩に頼って。私が注文を伝えるついでにうまく聞いておいてあげる」

「ほ、ほんとですか? じゃあ、お願いします」

「うん、任せて。私はオムライスセットにするけどどうする?」

「じゃあ俺もそれで」

「うん。じゃあ行ってくるね」

 

 来栖さんは俺に優しく微笑みかけてくれた後、席を立ってカウンターの方へ行ってしまった。


 ほんと、天使みたいな人だ。

 可愛いし、優しいし、気がきくし。

 おまけにそんな人と家も隣同士だなんて、やっぱり俺はついている。


 ここであの犯人を捕まえたご褒美なのかもな。

 


「あのー、すみません」

「はい、ご注文ですか?」

 

 ずっと太志君を見ていた卑しいネズミに声をかけると、何食わぬ顔でこっちに来た。


「ええ、注文といえばそうですね」

「ええと、何にされますか?」

「とりあえず私の太志君のこと、じろじろ見るのやめてもらえますか?」

「え、た、たいし?」

「あのテーブルの男性のこと、ずっと見てましたよね? 好きなんですか? そうですよね? かっこいいですもんね? でも、あの人は私のものだから惑わすのはやめてもらえますか?」


 こういう女には容赦なく厳しいことを言っておかないと調子に乗るから。

 どうせこいつも太志君の勇敢な姿に惚れたんでしょ。

 まあ、それだけは共感してあげるけど。

 何もせずに震えてただけの女に、彼と付き合う資格なんてないわ。


「あ、ええと、あの人の彼女さんだったのですか? すみませんでした。先日、うちに暴漢が入ってきた時に助けていただいた方によく似ていらっしゃったのでつい」

「つい? それに、助けてもらった人の顔もろくに覚えてないとか最低ですね。お願いですからこっち見ないでくださいね。あと、オムライスセット二つ。あなたは来なくていいですからね」


 やっぱりとんでもない女だ。

 太志君みたいなかっこいい人をちゃんと覚えていないなんて論外だし。

 結局彼がかっこいいから目配せして拐かそうとしてたに違いない。


 こんな女のいる店、もう来なくていいかな。

 あ、そうだ。

 ちゃんと言っておかないと。

 うん、警告してあげるなんて私は優しいな。


「次、目が合ったらただじゃおかないから」

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