第4話
♤
「太志君、こっちこっち」
しばらくして戻ってきた来栖さんに呼ばれて俺も少し頭を低くしながらついていくと、ちょうど真ん中の列の端の席が二つ空いていた。
俺が内側に、彼女が通路側に座る。
俺と同じように新品のスーツを着た新入生たちは、早速あちこちで友達を作っているようでヒソヒソと楽しそうに会話をしていた。
完全に出遅れた感じが否めない。
しかし、俺の周りだけはなぜかとても静かだ。
隣のやつなんか青い顔をしてずっと俯いている。
体調が悪いのか?
「ふふっ、座れてよかったね」
「おかげさまで。でも、来栖さんは予定大丈夫だったんですか?」
「うん、全然。ちょっとインフォメーションセンターに行きたかっただけだから後でも大丈夫」
「インフォメーションセンター、ですか?」
「うん。講義の登録とかできるところ。パソコン持ってる人は家でもできるんだけど」
「へー。なんか知らないことをばっかだなあ」
入学生に配布された書類の中には確か、入学式の途中で施設の説明や今後の流れなんかもされるって書いていた気がする。
でも、もうすぐ式は終わりそうだし説明は聞き損ねたみたいだな。
んー、困ったな。
「この後、よかったら一緒に行く?」
どうしようか悩んでいたところに、隣の来栖さんがそう聞いてくれた。
「え、いいんですか?」
「もちろん。私のせいで式も遅れちゃったし」
「じゃあ、せっかくなのでお言葉に甘えます。あの、俺も色々していただいてるので何かお礼させてください。よかったらご飯でもご馳走します」
来栖さんには、朝の一件くらいでは逆にお釣りが来るくらい色々と世話を焼いてもらっている。
ナンパな気持ちではなく、純粋に何かお礼がしたいと。
食事に誘うと、彼女は少し頬を赤くした。
「いいの? 私なんかとご飯食べてくれるの?」
「も、もちろんですよ。こっちこそ、俺なんかでよかったらですが」
「嬉しい。じゃあ、用事が済んだら近くの美味しいカフェを紹介してあげるね。ふふっ、楽しみ」
どうやら、好感触のようだ。
いや、もしかしたらひょっとしてひょっとするのか?
まだ出会って数時間だけど、こんなに親しくなれたのはどこか運命的な出会いを感じる。
俺にも、人生初彼女が……いや、飛躍しすぎだ。
高校の時だって、仲のいい女子は何人かいたけど結局それは人として、だった。
男として見られているかどうかは別物。
いくら俺が痩せて見た目がよくなったところで、そんなに簡単に惚れてもらえるはずもない。
ここは冷静に。
せっかくのご縁を大切にしないと。
「えー、それでは新入生の皆様は近くの職員の指示に従って退場してください」
席に着いて間も無いうちに式は終わった。
ぞろぞろと出て行く人の流れに沿って俺たちも体育館を出ると、偶然両親の姿を発見した。
「あ、父さん母さん。おーい」
「あら太志、なんで連絡返さないのよ。探したわよ」
見慣れないスーツ姿の母が俺のところに来た。
そしてすぐに、隣にいる来栖さんの存在に気づく。
「あれ、この子は」
「あ、いや、この人は来栖さんって言って、偶然アパートが同じで」
「あらそう。太志の母です。息子がお世話になります」
「来栖ゆうなです。こちらこそ、太志君にお世話になってます」
互いに頭を下げ合う母と来栖さんは、女性同士っていうのもあってか、初めましてなのにすぐに打ち解けていた。
そんな様子をしばらく父と見守っていた。
やがて、「この辺りを観光してから帰るわね」と言って両親は帰っていった。
「はあ、やれやれ。来栖さんすみません、うちの親の相手までしてもらって」
「そんな、全然大丈夫。直接お話できてむしろ楽しかったくらいだから。いいお母さんね」
「まあ、社交的なのが取り柄みたいですから」
「ふふっ、太志君の人当たりの良さは母親譲りなのかもね」
随分と母のことを気に入った様子の来栖さんはこの後もしばらく母との会話を楽しそうに振り返っていた。
そして案内されるまま俺は、正門近くにあるインフォメーションセンターとやらにやってきた。
「へえ、ここがそうなんですね。パソコンいっぱいだ」
「すごいよね。で、あそこの受付で学生証を見せて使用許可をいただくの」
「なるほど。じゃあ、俺は俺で早速やってみます。来栖さんも、ご自身の用事を優先してくださいね」
「うん。わからないことあったらなんでも聞いてね」
一旦、それぞれがパソコンを借りて作業に取りかかることとなった。
大学では取得する単位に応じた講義を自ら選択して、授業のコマを埋めなければならない。
推薦入試の合格者が集められた説明会の時に簡単な概要は聞いていたのでなんとなくイメージは沸いていたが、しかし机に添えられた説明書にしたがって単位入力画面まで行くと、最初の壁に当たる。
「ログインIDとパスワード、か」
そういえばそんなものが書かれた書類も、入学者宛の封筒の中にあった気がする。
でも多分それは山積みのダンボールの中のどこかだ。
うわーだるいなあ。
「どうしたの?」
「あ、来栖さん。もう用事は終わったんですか?」
「うん。私はちょっとした変更だけだから。それより、マイページに入れないの?」
「そうなんですよ。俺、それを書いてる紙を忘れちゃって」
今年の単位入力の期限はまだ一週間あるので帰って書類を探せば済む話だが。
来栖さんは「ちょっと貸して」と言って狭いブースに割って入る。
その時彼女の華奢な肩が俺の肩に触れて少しドキッとさせられたのだけど、次の瞬間俺は思わず声が出てしまった。
「え、入れたの?」
「ふふっ、びっくりした?」
「え、ええ……どういうことなんですか?」
「IDはね、学籍番号と学部番号の組み合わせなの。パスワードはね、私の時も最初は一が四つで後で登録し直したからもしかしたらって思ったんだけどビンゴだったね」
互いの肩が触れるほどのパーテーションに囲まれた狭い空間で俺を見つめながら優しく笑う来栖さんに俺はまた、胸をキュンキュンさせられていた。
なんて可愛いんだこの人。
それに、おっとりしてるようで頼り甲斐もあって、優しくて。
あー、こんなお姉さんにダメにされたい。
「じゃあ、入れたことだし単位の入力もしちゃおっか。私、おすすめの講義とか教えてあげる」
「ありがとうございます。ほんと、何から何までしてもらってすみません」
「……なんでもしてあげるよ」
「え、今なんて」
「ううん、なんでも。それよりお礼、してくれるんだよね。早く終わらせてご飯行こ?」
講義のコマ選択は思ったより複雑だったけど、来栖さんのおかげでスムーズに終えることができた。
そして一緒に大学を出ると、大学前の通りには多くの人が溢れかえっていた。
「うわー、すごい人ですね」
「勧誘だね。サークルとかのがすごくて」
「来栖さんは何かサークルとか入ってるんですか?」
「ううん、何も。飲み会とか多いみたいでお金もかかるしいいかなって」
「ふーん」
てっきり大学生なんて部活をしてるかサークル活動で遊びまくってる人ばかりだと思ってたけど。
来栖さんみたいな真面目な人もいるんだな。
「入りたいの?」
「まあ、そういうのに憧れてたりはしますよね。なんか友達もたくさんできそうだし出会いもあるかなって」
正直な話でいえばゴリゴリに憧れている。
ていうか大学なんてそのために来たようなものだ。
可愛い女子大生にいっぱいモテていっぱい遊びたい。
その一心で死ぬほど頑張って、本当に死にかけてこの体を手に入れたんだし。
「そっか。でも、あんまり評判よくないサークルもあるから気をつけないとね」
「そうですね。まあ、慌てなくてもいいですよ」
そう、慌てない。
なぜなら俺は今、美女を連れて歩いているんだから。
二兎を追うものは一兎も得ずと言う。
まずは来栖さんとの親睦を深めたい。
「で、おすすめのカフェってのはどこですか?」
「この先のところ。あ、見えてきたよ」
「あれって……」
大学前の長い通りの突き当たりを駅の方へ曲がったところに、その店はあった。
見覚えのある店。
俺が春休みに一度だけ、引越しの手続きでこっちを訪れた時に寄った店。
あの日は、色んなことがあったな。
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