第3話
♤
「ネクタイ?」
「うん。とってもかっこいいネクタイなんだけど、こういう時の記念撮影では外した方がいいって昔聞いたことがあるの」
「へえ。俺、そんなマナー知らないから勉強になります」
「ほら、ネクタイ外して。スマホ、貸してくれる? 記念に撮ってあげるから」
正味な話入学式の時間が迫っていて、そんなのは式の後にしたいところだったが、来栖さんが小声で「やっぱり迷惑かな」「迷惑だよね」「ごめんなさい、気が利かない人間で」と、なぜか自虐的になって落ち込んでいたので断ることもできず。
そわそわしながらスマホを彼女に渡してから、大きな正門の前に立つ。
来栖さんは俺のスマホを構えながらゆっくり後ろに下がって、やがて足を止めると「はい、チーズ」と言って手をあげた。
その合図に合わせて少しだけ笑顔で控えめなピースをして。
何枚か写真を撮ってもらったあと、彼女はゆっくりと俺のところに戻ってきた。
「はい、これ。ちゃんと撮れたかわからないけど確認してみて」
「ありがとうございます。ええと、じゃあ俺はそろそろ」
「体育館だよね? 場所わかる?」
「あー、確かに。どっちに行けばいいですか?」
「案内してあげる。ついてきて」
「いや、さすがにそこまでしてもらうのは悪いですよ。それに来栖さんも用事が」
「大した用事じゃないからいいの。ほら、遅れたら大変だから」
急にスタスタと大学の敷地内へ向かい出す彼女に、俺も慌ててついていく。
なんだか申し訳ないなあと思いながら彼女を追いかけると、「こっちこっち」と手招きしながら逃げるように彼女が歩くスピードを早める。
俺、めっちゃ青春してる。
腕時計を見るとすでに十時を回っていて、入学式に遅刻は確定なのになんだか楽しさが勝っている。
早起きは三文の徳とは言うけど、ほんといい事ってあるんだな。
さて、今のうちにネクタイを……あれ?
ネクタイ、どこいったっけ?
◇
「……入りにくい」
だだっ広い大学の敷地をしばらく歩いてその一番奥にデカデカと聳える体育館の前に着いた頃にはもう、式の開始から三十分ほど経過していた。
ちなみに両親はもう中にいるようで、さっきラインで「あんたどこいるのよ」と。
まさか遅刻したとも言えず、無視してしまっているまま。
大きな扉の前に立つと、誰かがマイクで話す声が外にまで漏れていた。
多分、学長の挨拶か何かだろう。
こういう時に入っていくのって緊張するんだよな。
「ごめんね太志君、私のせいで遅れちゃって……」
「い、いえそんな。ここまで案内してもらってありがとうございます。あとはタイミングを見計らってなんとか」
「私も、一緒に入ってあげようか?」
「え? でも、それはさすがに」
「二人で一緒なら、気まずさも紛れるかなって。遅れたのは私の責任なのもあるし」
「そ、そんな気に病まないでください。それに、そこまでしてもらうのは悪いですし」
「私なんかと一緒にいるの、恥ずかしい?」
「え?」
「そうだよね、迷惑だよね。ごめんなさい、私なんかいなかった方がよかったよね……」
来栖さんは今にも泣き出しそうに下を向いてしまった。
……流石にこんな空気で断るわけにはいかないよなあ。
「ええと、それじゃお言葉に甘えます。俺も、一人より心強いですし」
「ほんと? 迷惑じゃない?」
「ええ、もちろんですよ。むしろお願いしたいくらいです」
「よかった。じゃあ、行こっか」
宥めるように言うと、しょんぼりしていた彼女に笑顔が戻った。
そしてゆっくりと重い扉を開けると、薄暗い体育館の中には何千人もの新入生が所狭しと並べられた椅子に座って前を向いていた。
「うわーすごい人だなあ。でも、空いてる席なんかあるかな」
「ここで立ってても目立たないけど、どうする?」
「でもせっかくなんで席があれば座って参加したいですかね」
「わかった。じゃあ空いてる席がないか見てきてあげる」
「あ、それは俺が」
「ううん、任せて。私の方が小柄だから目立たないし」
そう言うと、少し頭を下げながら来栖さんは前の方に行ってしまった。
♡
「あのー、そこの席って空いてますか?」
端の通路側に一席だけ空いているのを見つけた。
でも、もう一席空いてないと一緒に座れない。
邪魔だなあ、そこの人の荷物。
「お、可愛い子じゃん。空いてるから隣おいでよ」
「あの、連れがいるので。よかったら席空けてもらえませんか?」
「えー、どうしよっかなー。連絡先教えてくれるならいいけど」
卑しい目。
なんであんたの荷物が邪魔なだけなのに、私がそんなことしないといけないのか意味がわからない。
死ねよブタ。
「死ねブタ」
「え……」
「席あけろって言ったの聞こえなかった? じゃないとその荷物燃やすけど」
「あ、いや、すみません。ど、どうぞ」
そそくさと、椅子の上のカバンを足元に戻した。
ほんと、最初からそうしたらいいのに。
「ふふっ、ありがと。じゃあ、ちゃんと空けておいてね」
そう言い残して私は彼の元へ戻った。
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