第2話

「あ……あ……」


 何も考えられなくなったわたしはがたがた震えながら、ガタガタになったドアを開けて屋上から逃げ出した。


「見えてるんだよね!? ねえ!」


 隔てるものなど何もないかのように幽霊はドアをぬるりと通り抜けて、階段を下るわたしの横を浮かびながら――見えていない。


 ちっとも、ぜんぜん、幽霊なんて見えていない。そもそもなんでこんな真昼間に幽霊がいるんだろう。普通幽霊って真夜中に、しかも誰も寄り付かない森の中の廃屋とかにいるイメージなのに。なんで。なんでなんで。


「僕の存在を認識したのは君が初めてなんだ!」


 認識なんてしてない。急いで教室に――ううん。図書室だ。図書室に行こう。そう決めて、教室に行こうとした足を切り返す。


「おにぎり置いたままだけど大丈夫かな! 誰かに見つけられたら後々大変じゃないかな!」

「あ……」

「あ、止まった」


 横向けになってわたしの顔を見ながら横をついてくる幽霊にそう言われて、わたしは立ち止まった。


 立ち止まってしまった。


 *


「僕を見つけてくれた人とようやく出会えて嬉しいよ!」


 慌てて屋上に戻って、置き去りにしてしまっていたわかめおにぎりを食べている。目の前に時計の秒針みたいに右回りでくるくる回りながら喜んでいる幽霊の姿なんて見えていない。味はあまりしなかった。いつも食べてるのと変わらないし、ちゃんとわかめも混ぜられているのに、おかしいな。


「本能が叫んだんだよ。ここに来れば何かが変わるってね! まさか本当に変わるとは自分でもびっくりだよ!」


 違う。おかしいのは、今のこの状況だ。


「これはまさに運命、神のお導きだね! 神に感謝!」


 10時くらいの角度で止まった幽霊は、手を合わせて神様に祈りを捧げた。


 わかめおにぎりを食べ終わったわたしは立ち上がると、再び屋上を後にした。昆布とツナマヨは、家に帰ったときにでも食べよう。


「全部食べなくていいの? 午後の授業ついていける?」

「どうせついていけないから!」


 しまった。思わず反応してしまった。しかも結構声を荒げて。


 容赦なく熱を放つ太陽みたいな陽気な声で喋っていた幽霊が、ふっと動きを止めた。


「もしかして、授業についていけてないのかい?」


 だったら、なんだっていうんだ。わたしは黙って階段を下る。さっきとは違って、重量のある袋を右手に持ち、ガサガサと音を立てながら、下っていく。


「もしそうなら僕が力になってあげよう! って言ってあげたいところだけど、記憶が全然無いんだ! 自分の名前も何もかもがわからないんだ! だから力にはなれない!」

「勝手に決めつけないで!」


 図星をつかれて、つい咄嗟に否定してしまった。普段はこんなに大声出したりしないのにどうしちゃったんだろう、わたし。


 そもそも目の前にいるこの人は、本当に幽霊なの?


 もしかして、おかしくなったわたしが見ている幻覚か何かなんじゃないの?


 そんな疑問が、脳裏をよぎった。


「確かに安易な決めつけは良くなかった。……こういう道徳的なことは覚えてるんだよな」


 だけど、宙に浮かびながら腕を組んでうんうんと頷いている、わたしと同い年くらいで、目がぱっちりとしていて可愛い系の顔立ちをした白装束の男の子の姿が、はっきりとわたしの目に映っていた。


 だからわたしは、無言で彼の手を掴んだ。


「……!」


 冷凍庫から出したばかりの氷のように冷たい感触が手の平を走り、反射的に手を離した。わたしの知っている人間の手の温かさとは、ほど遠いものだった。


「君は僕に触れるのか。僕からは誰にも、何にも触れられないのに」


 夏の暑さですぐに元通りの温かさになったわたしの手を、男の子が握ってまた冷やした。保冷剤をぴったり当てられている気分だ。


「やっぱり君は、僕の運命の人だ」


 そうしてわたしの顔を真っすぐに見つめながら真面目な顔で言う彼に、わたしは首を横に振った。

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白紙のわたしたちは、未来に向かって旅をする。 夜々予肆 @NMW

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