第7話

 郵便局に続く丘の中腹。朝の澄んだ空気に地平線まで透かされたハイランドの丘陵と草原風景は何度見ても飽きない絵画的な美しさを称えている。

 私は今、昨日知り合ったこの土地の新しい友達ユナに、引っ越しの挨拶用に用意したビスケットを届ける為郵便局に向かっている。昨日母親に友人との出会い話をした所、余らせているのを渡されたのだ。ビスケットはこの前まで住んでいた地域の伝統的なハーブを練り込んだ香り高いもので、昨日ご馳走して貰った紅茶とよく合うと思う。

 「ふふ、なんだか私が食べたいだけみたいじゃない。」

 あながち嘘でもない。早くユナの感想も聞きたい。

 昨日のユナの案内のおかげですっかり迷わずに郵便局に辿り着く事が出来た。扉を引こうとすると鍵はまだ閉まっているようだから、昨日教わった時間外窓口から呼んでみようと思う。

 入口から見て反時計回り、右側に周った所の壁に小さな受付用の小窓が開いている。そこにある鈴を鳴らすとユナに気付いて貰える仕組みだ。

 小窓の前まで来ると、なんだかいい香りが小窓から漏れている。この香りは・・・昨日の紅茶の香り!タイミングも丁度良かったかもしれない。折角だしここから声をかけてみよう。

 「ごめん下さい。ベルタです。どなたかいらっしゃるかしら。ユナ?ベルタです。ビスケットを持ってきたの。良かったら紅茶と一緒に召し上がらない?」

 すると、小窓の奥から木製の腰かけ椅子を引く音が聞こえた。ひょっとしてユナはすぐそこにいるのだろうか。

 「あら、ユナ。そこにいるの?」

 小窓からフワリと風を感じ下を見ると、青緑色のスラリと長い指を伸ばした人の手が首まで外に乗り出して、まるでクッキーを催促するかのように広い手の平を天空に向けていた。

 「キャー!」

 「・・・あっ!コラお客様を驚かせないで!ベルタ、今鍵開けるから入ってきてー!」

 更に建物の奥の方から聞きなじみのある少女の声が聞こえた。

 逃げるように入口に周り、鍵の開いた扉を恐る恐る開くと、受付広場の真ん中に学校机ほどの大きさの机と椅子を3つ並べているユナと、先程の手の主だろう、長身の女性の、幽霊・・・らしい人が腰掛けてティーカップを摘まんでいた。

 「・・・どう、いうこと?」

 「まぁ、もう気にしたら負けよ。ささ、取り敢えず紅茶は淹れてるから、ビスケット!一緒に食べよう!」

 「・・・わかったわ。」

 すっかり変に落ち着いてしまった。


 長身の女性は、恐らくこの地域で観測されるフェアリーフォグ、朝霧や雨の自然現象が浮遊する魔力や妖精と混ざってよりハッキリとした実体を纏う現象だろう、とユナの話を一先ず鵜呑みにする事にした。そう説明するユナの声色もまだどこか拭えない不可思議さを隠せてなかったし、私が質問攻めにするのは良くない。妖精霧の現象は小さい頃図鑑で呼んだ事もあったから、まぁそういうものなんだろう。普通は訳もなく一しきり踊り回って霧散したり、もっと単調な動きしかしないと聞くが、今目の前の霧は、明らかに、意思を持って紅茶を楽しんでいる。深入りしないのは保身の為でもある。

 「その・・・この紅茶美味しいですよね?私も気に入っているんです。」

 女性は無言でこちらに微笑みを返してくれた。青緑の肌でも目劣りしない驚くほどの美人だ。

 「もし良ければ、ビスケットもいかが・・・あぁ・・・」

 言うよりも先にスッと机中央のバスケットに伸ばされた手は、いかにも食欲に忠実な、まるで御馳走に飛び掛かる子供のような迷いない動きでビスケットを摘まみ、すぐにビスケットは薄い唇の奥に仕舞われた。味は気に入って頂けたらしく、肩から全身を小刻みに揺らして派手なレースのドレスを揺らす。とても綺麗。

 「あなた、お名前は?」

 「あ~ん、その人喋らないんだよね。まぁ話すフェアリーフォグなんて聞いたこと無いけど。」

 「お名前が無いのね。・・・じゃあ、『クアラ』なんてどう?」

 「どういう意味の言葉?」

 「私の母の生れた地域の言葉で『クラゲ』って意味よ。」

 「あら素敵。あなたにピッタリじゃない?ねぇ、お客さん?」

 「どうかしら?」

 ビスケットでモグモグさせていた口を紅茶で清めたレディは、驚くほど長い左の人差し指を真っ直ぐ伸ばして唇のちょうど真ん中にまるで「静かに」と制するかのように押し当てた。やっぱり実は話せるのかしら?

 数秒の静寂が郵便局を覆った。

 突然、レディがガタリと立ち上がった。天井にギリギリぶつからない程の長身がいきなり立ち上がる迫力にユナも私も呆気に取られてしまった。そんなのも余所に彼女は勢いよく郵便局の入口に駆けていき、まるでつむじ風でも吹き荒れたように外に飛び出して行った。

 「ちょ、ちょっと!」

 まずはユナが彼女の後に続いて飛び出していく。

 「わぁ、待って!」

 私も続く。まだ低い日差しが視界を真っ白に照らし、目を覆う為に掲げた腕の隙間から少しずつ色着く景色を覗き込むと、そこにはまるでミュージカルの大団円でも演じているかのように広いスカートを翻してクルクルと踊り回るクラゲの姫がいた。彼女を中心に出来上がった風の渦になびく芝生や花々は、まるで彼女と一緒に踊り狂うように揺らめいている。

 「・・・ハァ。まぁ、気に入って貰えたみたいね・・・。」

 もうすっかり諦めたという感じでユナは腰に手を当てそれを眺めている。

 「なら・・・嬉しいわ・・・。」

 正直未だに状況が飲み込めていない。

 「ひょっとしたら幽霊が混ざっているのかもしれないし、ならもう時間が経つのを待つしかないから、しばらくは私が面倒を見るよ。」

 「大変ねぇ。」

 「でも言葉が分かるんなら、きっちり家賃分の仕事は手伝ってもらうわよ!こっちは毎日竜の世話してるんだもの。ゴーストの一人くらい、何てことないんだから!」

 ユナは私の想像以上に強い女の子かもしれない。

 「よろしく!クアラ!」

 「あ、その、よろしくねー!クアラー!」

 ひとしきり踊った青緑色の光を纏う長身の姫クアラは、こちらに振り返って満面の笑みを返した。

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