第6話

◇◇

 初めて聞く物音だ。夜中、もうすっかり月明かりだけになった丘の上の郵便局。受付の裏側、そして厩舎とを繋ぐ建物L字の丁度角に当たる部分。4畳も無いスペースに生活に必要なものをギュッと集めた小さな部屋のベッドの上でいつも通り寝ていたら、不思議な物音で目が覚めた。

 「・・・何か落ちたかな。」

 厩舎の方ではない。受付広場の方・・・。

 今日は楽しい1日だった。午前中にこの地に初めて越してきたという、私より少し年上の女の子ベルタと知り合って、いっぱいお話をした。この土地は確かに良い場所ではあるけれど、私には少し平和すぎて、まだ配属1年だと言うのに既に少し退屈してきていたから、久し振りにとてもワクワクした。きっと彼女とお喋りしたり遊んだり、これから楽しい事がいっぱいあるんだろうと心が踊った。

 しかし、それだけでは済まなかったのも記憶に新しい。というより、今、目下の問題でもある。例の村長宛ての小包は結局郵便受付、時間外窓口の反対の壁に立てかけてある。ベルタの提案で、日本の神棚というモノに似せたような形にしたのだ。立てかけた包みの前にお供え物をするように小皿に持った紅茶の茶葉と夕食に使った野菜を置いている。といっても、大事な物を奥の前にお供え物を置くような形は決して東洋固有のものではなく、この辺りの収穫祭の祭壇だって似たようなものだと後から思い至った。

 「・・・というか、なんだか流れに乗せられて勝手に神様みたいに扱ってるけど、別にただの古くて汚れた本かもしれないじゃない。勝手に仰々しくするのも良くないわ。」

 眠い。物音で起きたような気もするけれど、勘違いかもしれない。夜は寒いしわざわざベッドから起きたくない。眠い。今日も疲れたしシエルも起きてないなら問題ない。このまま目を閉じて―――

 コツコツコツコツ・・・。

 (足音!?)

 咄嗟にベッドから起き上がって壁に立てかけられた短銃身のライフルに手を伸ばす。竜使いの郵便配達員に伝統的に支給される騎兵銃だ。こんな平和な農村地帯では皆知り合いのようなものだからわざわざ携行しない事も多い。しかし元来他人の大事なものを単独で運搬する役目を担う郵便配達員は職務の止む無しな場合に銃器の所持使用も許可されている。兵士でも無ければ猟師でも無い、しかしこうした権限を持つ事を世間に許してもらう為にも、私たち配達員は一般的な学校よりも組織だった職業訓練を幼少期から施される。

 (郵便泥棒・・・かな・・・。この辺では聞いたこと無いけど・・・。)

 足は冷えるが靴が床を叩いた音で感付かれるよりはマシだし時間もかかると思い裸足でゆっくりベッドから出る。銃は整備して弾薬を5発納めているが装填はしていない。一先ず構えて牽制し、相手の動揺の隙にボルトを操作しよう。大丈夫、地の利は私にある。

 コツコツコツ・・・。

 勘違いであって欲しかった足音はやはりハッキリと部屋に響いている。底の硬い細い靴。ひょっとして婦人靴?幾ら考えても疑念は消えない。

 (考えたって仕方ない。逃げられる前に、落ち着いて。)

 こういう時のやり方は幾つかある。しかし今は相手を驚かせる事に努めるべきだろう。静かにドアノブを回して、開く時は・・・一気に!

 「動かないで!両手を頭に着けてその場に膝を付きな・・・さい・・・。」

 扉を肩で勢いよく開いたのと同時に受付カウンターに飛び込み、すぐに入って左に銃口を向けた。その先に立っていたのは、

 「え、嘘・・・本当に・・・」

 真っ暗な筈の部屋の中で、しかし自分の視線のすぐ先に立っている影は、なぜか薄ぼんやりと青緑色の光を纏っている。そしてまたその光の鱗粉を空間に広げるように、ヒラヒラと舞う煌びやかなレース生地に縁どられた宮廷貴族さながらのドレスを身に纏った、かなり長身の女性。まるで昼間の馬鹿げたお伽話の証明をされているようだ。ひょっとして夢?

 足の裏が冷たい床に熱を奪われて指先から感覚が無くなっていくのを感じる。夢の訳が無い。

 「両手を頭に着けてその場に膝を付いて!」

 大きな女性の影がフワリとこちらに振り返った。初めて拝む彼女の顔は、鼻から上を縁の広い帽子に隠されているが、口はにこやかな笑顔を浮かべていた。

 「撃つわよ!」

 急いでボルトを捻り滑らせて薬室に弾薬を送り込む。マメに油を刺していた自分を心底褒めてやりたい。セーフティはかけてある。配達員用に調達されたこのライフルは大量の荷物を肩にかけても操作できるように安全装置は右手の親指で構えたまま解除できる。しかしそもそも室内で火器は使いたくない。

 「お願い止まって!」

 突然女性の影が音もなくこちらに突進してきた。まるで空中を腰の高さを軸に滑るような動きに意表を突かれて銃が押し当てていた右肩から浮いてしまった。

 「あぁっ!」

 全身に女性のドレスのレース生地がぶつかるように押し寄せ包まれて行く。不思議と重さは感じないのにまるで波に飲まれて行くような感覚に襲われて視界が真っ暗に暗転する。

 私、どうなっちゃったの。

 ――。

 ――鳴き声?シエル?私はここよ。

 ――。

 ――私はここよ。

 「――ハッ!」

 目が覚めた。肩の下辺りまでかかる掛け布団を両手で押し返すようにガバっと起き上がる。

 こめかみを冷たい汗粒が流れ落ちる。

 「夢・・・?」

 両眼を瞼の上から擦ってみる。

 「もう・・・なんだったんだろうあの夢。」

 上げた手を再び掛け布団を挟んで膝の上に力なく落とす。

 ハッキリした視界の先では、半開きになった受付広場に繋がる扉が目に付いた。きっと夜風で開いて身体が冷えたのだろう。足も凄く冷たい。

 ベッドの足元に並ぶスリッパを履いてペタペタと受付広場に入る。

 足元に自分のライフルが落ちている。

 「へぇ・・・?」

 首を左に回す。

 豪華な青緑色のドレスを纏った長身の女性が椅子に腰掛けてこちら見ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る