第3話
郵便局の扉を出て、建物の周りをぐるりと時計回りに周り込むと、そこにはだいたい10m四方の芝生が短く刈って整えてある平らな広場があった。恐らくは竜の発着場所だろう広場に面する郵便局の壁には、自動車の車庫にしては少し狭い印象な木製の上開き門がある。あの中で例の竜、シエルは休憩しているのだろうか。その奥には恐らく麓の牧場から譲ってもらっているのだろう干し草の大きなロールが、木造の簡素な物置に数個並べてある。竜の為に用意された空間である事は確かそうだ。
「この辺りで待ってて。竜が降りる時少し風があるから驚かないでね。」
「わかったわ。」
ユナはタカタカと干し草置き場の小屋に駆けて行き、先程まで隅に寄せてあった小屋のカーテンらしい、如何にも重そうな帆布を一生懸命横に広げ、すっかり干し草は小屋の中に隠れてしまった。竜の風で巻き上がる対策なのだろう。それが終わると、竜の休憩所らしい門の隣にある人用のドアに入っていき、すぐに何かが入ったバケツを持って出て来た。
「あの、何か手伝える事はある?」
「ううん!もうこれだけだから!ありがとう!」
「そう・・・。」
忙しなく動き回る少女の姿と慣れない場所に少しソワソワしていたが、彼女の明るい言葉に胸が空いた。
突如、顔を強い風に叩かれた。驚いて顔を覆った腕を恐る恐る広げて広場の上方を見ると、そこにはユナの乗っていた竜よりもまた一回りは大きいだろう竜が、悠々と翼を羽ばたかせて足を地面に着けようと高度を落とす姿があった。
「まぁ!」
「あ!来た来た。そのまま降下どうぞー!」
飛竜はゆっくりと、しかしどこか慣れたように堂々とした風格を漂わせながら、数秒ですっかり芝生の大地にその太いかぎ爪を置いた。
「お疲れ様でーす!」
先程出してきたバケツを持ったユナが竜に駆け寄る。竜の眼前で歩みを止めたユナは、置いたバケツに手を突っ込み、そこからニンジンやキャベツの葉、そして羽を毟った鶏の半身を取り出して順番に竜の口に放り込んでいく。なるほどバケツの中身は報酬の餌だったらしい。
竜は硬い野菜や鶏の骨を物ともせずにバリバリと大きく顎を動かしながら咀嚼していく。黄金の眼差しは真っ直ぐユナに向けられているようで、最早慣れた時間らしい1人と1匹の間には、どこか家族のような親しい距離感を感じる。
恐る恐る竜とユナの方に歩み寄ってみる。
「この竜も、あなたに懐いているのね。」
「え、うん!私が小さい頃から一緒にいる事が多かったから。身体も、昔は私と同じくらいの大きさだったのに、今じゃすっかり大きくなっちゃって。こんなに大きくなるとは思わなかったけど・・・。」
「やっぱり、この子は他の子よりも大き目なのね。」
「うん、個体差の範疇だけどね。だからこうして中距離の都市間航行のお仕事を任されているの。」
「へぇ~、そうなのねぇ。・・・フライトお疲れ様。」
通じるとは思わなかったが取り敢えず掛けた労いの言葉に、竜はまたこちらに黄金の眼差しを向けて1度瞬きを返してくれた。どうやら竜という生物は、私が想像していたよりもよっぽど賢い生き物らしい。
「竜って結構、人の言う事がわかっているみたいね。」
「ね~。お世話してるとよく分かるよ。本当に賢いんだから。」
今朝までは何もない田舎に越してきた気分だったが、すっかり自分の知らなかった経験をできている。楽しい。
竜の頭の後ろの方から不意に声が飛んできた。
「おはようユナ。・・・そちらの女の子は・・・。」
「おはようセム兄さん!この子は私の新しいともだち!」
「なるほど、それで竜の見学会か。相変わらずお前らしいな。」
「別にいいでしょ~!」
「あぁ。いいさ。早くこいつの縄を繋いでくれればな。」
「わかってるって。ベルタ、また隅の方でもう少し待っててね。」
「えぇ、わかったわ。」
セムと呼ばれた、ユナや私よりもう一回り年上そうな青年は、竜の背中に括り付けられた鞍から慣れた動きで飛び降りると身に付けていた革製のヘルメットとゴーグルを外し、汗で頭の輪郭に潰れた綺麗な金髪を額から梳き上げ、肩で一息着いていた。
「お名前は?」
「え、あ、ベルタと言います。麓の村に先日家族で越してきました。今日は偶々お手紙を出しに来たもので、でも道に迷ってしまって、そうしたらこの途中で偶々ユナと会いました。」
「なるほど。セムだ。よろしく。運が良かったね、あと少し遅かったら手紙を出すのが来週になってしまってたんだ。なにぶん、田舎なモンでね。まぁ、追加料金はかかるが、一応速達もやってるから、急ぎの時は活用してくれ。」
「そうなんですね。ありがとうございます。」
「うん。・・・うん?君、さっき道の途中でユナに会ったって言ったよね?」
「あ、はい。そうです・・・。丘の途中で少し道に迷ってしまって、そうしたら偶々いたユナに郵便局の位置を教えてもらって、それでユナは竜に乗って先に・・・」
「ほう!ほうほう!丘の途中で竜に乗った!なるほど!・・・教えてくれてありがとう!協力感謝する!」
全部口に出した今になって、さっき竜のお遣いに口よどんだユナの姿を思い出してしまった。全く私はどんくさいのがダメだ。
「おい!ユナー!」
「なに~!?」
もう手遅れらしい。折角引っ越し先でできた同年代の友人に申し訳ない事をした。
「またお前はシエルを1匹で飛ばしたのか!」
セムの少しハイトーンな喝は丘の上で良く響いた。
「いやぁ・・・シエルって凄く賢いし優しいし、それにもう村の皆の顔もすっかり覚えてるし・・・村の皆もシエルのこと好きだし。それで・・・。」
「それで村の雰囲気にほだされて、竜を村にお遣いに出したのか!全く、こんな辺鄙な田舎の村落じゃなければ大問題になってるぞ!」
「いやぁ、本当に申し訳ない・・・。」
「・・・なにをお遣いさせたんだ。」
「えぇと・・・、へへ・・・、朝食のパンと朝市の野菜を・・・。」
「パンと野菜・・・!ハァ・・・。全く!」
これまで竜を間近で見た経験など殆ど無かったけれど、推し量るに、このセムのお叱りですらかなり優しい方だろう。図鑑の知識程度ではあるが、決して竜という生物に全くの無知では無い人間なら確かに、竜にお遣いを任せるなんて事は驚くべき話である。竜という生物は見た目からも分かるように爬虫類生物で、人類との関わりの歴史を見ても、この世界に出現してからの扱いはほぼ牛馬と変わらない、物資運搬用の家畜としての利用が殆どだ。言うなれば、今回のユナがやった事というのは、「馬にメモを渡して『おつかいお願いね。』と言ったら馬が『うん。』と言ってその通りのお遣いをして来た。」という絵本話に他ならない。しかし、今、小屋の中で休憩しているのだろう例の竜シエルは、それをこなしているらしい。竜は本当に賢い生物みたい・・・?
「いいか、ユナ。シエルは確かに凄く賢い竜だ。それは俺も良く知ってるつもりだ。でもな、竜は竜なんだ。ここの村の人々の優しさは俺も良く知る所だけれども、だからと言って竜との距離感まで馴れ馴れしくさせては、もしもの事があった時にお互いにも良くないんだ。訓練所で口酸っぱく教わっただろう!」
「・・・すいません。」
「どれくらい前からお遣いさせてたんだ。」
「・・・ふた月前からです。」
「二か月・・・!シエルは、毎回こなしたのか。」
「それどころか・・・最初の1回は私が休憩所の門を閉め忘れてた隙に1人でやりやがりまして・・・。」
初対面の、それもこんな真面目そうな好青年の、情けない驚きの表情を拝んでしまっていいのだろうか。
「・・・う~ん。」
「私も最初はビックリしたけど、こう、慣れ、といいますか・・・へへ。」
「こんな事に慣れてたまるか!」
「いや、ご尤もです・・・。」
「せめて次からは、一緒に行きなさい・・・。こんな働いているのかご近所手伝いしてるのか分からないような平穏な村なんだから。おかしなトラブルは起こしたくないだろう?」
「分かりました。」
どうやら一段落着いたようだ。
「ハァ・・・フライトより疲れちまったよ。・・・あぁそうだ、それに今日はコッチからも配達物があるんだ。」
「あらまぁ、またサリアおばさまの娘さんから?」
「いや。その、少し話したいからお茶でも淹れてくれないか。丁寧に話したい。」
「うんわかった!そうだ!ベルタも良かったら一緒にお茶する?」
「あら、そんな、いいのかしら。」
「いいよいいよ。ね、セム兄さん。」
「まぁ、いいだろう。折角だしな。」
「ありがとうございます!お言葉に甘えて。」
会話の一部始終を頭上から大人しく見下ろしていたらしい竜が、一度グルルと軽く喉を鳴らした。やっぱり人間の会話が分かっているのだろうか。本当に竜という生き物は賢いらしい。
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