4ー6

 髭を剃り身支度を整え、タリヴァスは三〇分後に寝室から出て自分の席に向かった。セリナはドアの近くに立って待機しており、机の上には朝食と新聞が置かれていた。用意されていたのはタパで、とうもろこしの粉を練って薄くして焼いた生地に肉や野菜を挟んだものだ。近所の屋台で買ったものだろう。それとコーヒーとスライスされたオレンジ。コーヒーも酒と同じく病院では禁じられていたので久しぶりだった。

 タリヴァスはまずコーヒーに口をつけ、その香りを懐かしむようにゆっくりと味わった。カップを置くとタパをとり、そしてかぶりつく。味がある。病院には存在しなかった人道的な味付けだ。

「さっきの話の続きだが、食いながらでいいか?」

「はい、結構です」

「そうか。そっちも話があるようだが、こっちからも聞いておきたいことがある。ラグニアが……どうも軍から野盗に横流しされている」

「野盗に?」

 セリナが眉間に皺を寄せ、そして記憶を探るように視線を動かす。反応を見る限りセリナも初耳のようだった。タリヴァスは説明を続ける。

「俺はグロツキンと言う鍛治士と一緒に閉じ込められていたんだが、そいつの家族が野盗の持っていたラグニアで殺されたんだ。トレシオンには直接聞いていないが……状況から考えると、軍が野盗に横流しした。そうとしか考えられない」

「……奪われた可能性は?」

「もしそうなら軍はもっと大規模に調査をしているはずだ。それをやらないのは、軍内部にも問題があるから……推測でしかないが」

 タリヴァスの言葉にセリナも顎に手を当てて考え込む。ラグニアの台数を帳簿で厳密に管理していることはセリナも知っている。だから現時点では帳簿上に不審な点はないはずなのだ。しかし現に野盗の手に渡っていると言う事は、どこかで帳簿の記録が改竄されていると言うことだ。軍が嘘をついている可能性だけでなく、アランティ工業内部にも不正に関わっているものがいる可能性だってある。

「これは今のところお前にしか話していない。騒ぎが大きくなればそのうち噂になるかもしれないが……」

「ひとまず、販売と整備の記録を確認してみます。不審な点がないか内密に調査させます」

 セリナの返答にタリヴァスは頷き、タパの残りを平らげた。

 役職で言うとセリナは総務課秘書係だが、タリヴァスの直属であり総務課の指示は受けず動いている。セリナの下には三人の女性の部下がいるが、彼らを使ってセリナは色々と問題解決に奔走しているのだ。

 セリナはドラコルが出張先で知り合ったことがきっかけでアランティ工業で働いているが、詳細な過去はタリヴァスも知らない。ただ有能なので、よく問題を丸投げしている。

 今回の問題は流石に丸投げするわけには行かないが、とりあえず帳簿を調べてもらう必要がある。不審な点があれば、セリナなら何か気づくことだろう。

「こっちの問題はその件だ。で、そっちのは? 俺のいない間に何があった?」

「はい。実は……社長が襲撃を受けた際に、私たちのいた試験場もモンスターに襲われたのです」

「何……?」

 セリナが机に近づき、脇に抱えていた書類をタリヴァスに差し出す。それは名簿だった。

「社員十一人が負傷し、四人が亡くなりました。幸い顧客の方々には被害はありませんでしたが……」

 セリナの言葉を聞きながら、タリヴァスは名簿をめくって中を見る。名前と負傷の程度について書かれており、上の四人が死亡となっていた。三人は警備員で、一人は技術の説明を行なっていた技術者だ。バルシンとフィオレッタの名前がないことに安堵したが、それでも四人が死んだ。他の七名も治療が終わったものもいるが、まだ意識の戻っていない者が一人いる。

「……くそっ!」

 書類を持った左腕で机を叩く。皿やコーヒーのカップが揺れて音を立てた。タリヴァスは数秒かけて感情を抑え、書類を机の脇に置いた。

「モンスターは……ストーカーだったか?」

 タリヴァスは自分が襲撃された時にいた、ストーカーを操る少女のことを思い出していた。試験場の方にもモンスターを放ったと言っていたが、ここまでの被害が出ていたとは。

「いえ、ダークスピリットでした。戦士と、魔術師とが数体。社長が出発してしばらくのことでした。いきなり何もないところから現れて私たちを襲い始めたのです。撃退はしましたが……」

「そうか……うちのダンジョンには出ない種類だな?」

「はい。サイブルダンジョンでは確認された事はありません。軍が来て調査を受けましたが、襲撃当時はダンジョンから抜け出したモンスターはいません。どこから現れたのかは不明です」

 あの黒衣の女どもはポータルを使って移動できる。モンスターを送り込むこともおそらく可能なのだろう。どうやって魔力のない地上でモンスターを生かしているのかは不明だが、あの少女の仕業と考えて間違い無いだろう。

「……遺族の方には?」

「四名については連絡し、葬儀も済んでおります。補償金について協議していますが、もう直終わります」

「そうか。生活に困らないようにしてやってくれ……」

 タリヴァスがコーヒーのカップを手に取ると、セリナが言う。

「もう一つお話があります。ラグニアのことなのですが……」

「ラグニア……さっきの話じゃなくてか?」

「はい、違う問題が。ラグニア二号ですが、副社長の命令で生産を続けており、数量が揃い次第出荷する予定です。早ければ今週末に」

「二号を……止めてなかったのか? あの後で契約したのか?」

 襲撃がなければ本社で軍とラグニア二号の販売契約の予定だったが、肝心のタリヴァスが誘拐されてそれも無くなった。タリヴァスはそう思っていたがまさか契約をしていたとは。

「いえ、流石にあのあとは軍の方も基地に戻りました。我々も避難や手当でそれどころではありませんでした。ですが一週間後に副社長から軍に出向き、契約交渉を行ったのです。それで軍備の増強という話になり契約はまとまりました」

「工場は……生産ラインに影響はなかったのか?」

「負傷者の中に二人生産ラインの者がいます。それもあって生産は難しいと言ったのですが……なんとしても作れと副社長から。それが社長のためにもなると」

「アルクスが……?」

 アランティ工業の副社長はフェリドン・アルクスと言う男で、一〇年ほど前から副社長を務めている。鷹揚で明るい性格をしていて、厳格なドラコルとはどこか対照的だったが、二人の関係は良好だった。副社長としても優秀で、生産台数の調整や競合他社との差別化などを定期的に検討し売り上げを維持できるように尽力している。人当たりの良さから軍だけでなく同業者にも顔が広く、パイプ役として活躍することもあった。

 だが、タリヴァスのアルクスへの印象は、現状維持に満足する男と言うものだった。売り上げを上げる事よりも下げない事を優先し、立てる戦略も積極性に欠ける。有能ではあるが、タリヴァスの目指す今後のアランティ工業のためには少し物足りない男だ。

 そう言う印象だったから、社長がさらわれ社員にも死傷者が出た状況で、何がなんでも新商品を生産しろ、売れ、と指示していたと言うのは少し不可解だった。

「担当者にもかなり無理をさせていますが……契約台数分は生産の見込みが立っています。ですが……」

 セリナがタリヴァスを見る。言いたいことは分かり、タリヴァスは天井を仰ぎ見た。

「横流しの問題が片付くまではラグニアの生産は停止するつもりだった。だがそんなことになっていたとは……」

 契約を反故にすれば軍との関係が悪化する。しかもアルクスの方から乗り込んで売り込みに行ったのだ。それを止めるのは上手くない話だ。

 しかし、目先の利益にこだわっている場合ではない。ラグニア二号まで横流しにされたら、そっちの方が会社にとって不利益になりかねない。最悪の実演になってしまう。

「アクルスはもう来ているのか?」

「はい、いらっしゃっています。社長が戻られたことも伝えています」

「そうか……どこまで事情を話すか……」

 横流しの件はまだ内密にしておきたい。立場を考えれば副社長であるアルクスにも言っておくべきだが、果たして本当に話すべきかタリヴァスには悩ましかった。アルクスは話し上手だが、少し口の軽いところがある。横流しという重大な事実を軽々に話すほどの馬鹿ではないと思いたいが、タリヴァスは迷っていた。

「……よし、とにかくラグニア二号の出荷を止める。セリナ、一緒に来てくれ」

「かしこまりました」

 立ち上がって杖を突きタリヴァスが歩いていく。野盗、横流し、ラグニア二号の出荷。問題ばかりだ。今までも困難な状況はあったが、それとは種類が違う。根本的に歯車が狂ってしまったような気分だ。

 だがそれをなんとかするのが社長という立場だ。弱音を吐きたくなるのを堪え、タリヴァスは副社長のアルクスの元へと歩いて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る