4-5

 タリヴァスは病院を抜け出し、ライソンが手配した馬車に乗って会社へと向かった。会社までは約五〇タルターフ九〇キロの距離で、昼過ぎに出発し二〇時頃に到着した。

 会社の門は閉じていたが門番に言って開けさせ、タリヴァスは社長室に向かう。門番から預かった鍵で事務所に入り、明かりの消えたロビーで立ち止まる。

 約一ヶ月ぶりの会社。まるで長い夢を見ていたような気分だ。それも、悪夢を。しかもそれは今も続いている。右腕や背中の痛みは続いているし、ラグニアの横流しという問題まで発覚した。それにあの黒衣の女達……野盗とのつながりは不明だが、いずれにせよまだ捕まってはいない。問題が山積している。

 タリヴァスはため息をつきながら暗い廊下を進み、一番奥の社長室に向かった。窓がなくほとんど真っ暗なので、途中にある壁の発光器を点灯して進む。突き当りのドアから出て左に曲がり、またドアを開けて進み、そして社長室につながる廊下に出る。

 薄暗さにドアノブを手探りし、そしてノブを捻る。施錠されているのでこれも預かった鍵で開け、タリヴァスは部屋に入った。

 部屋の中はあの時のままだった。ラグニア二号のお披露目会、その午後の商談のために書類などを用意して机に置いていたが、それがそのままになっている。花瓶にも花が生けてあるが、これはさすがに取り替えたものだろう。

 恐らくセリナの指示だ。タリヴァスが不在の間はそんなことをしても意味はないのに、だがセリナらしくはある。いつ戻ってもいいようにと普段通りにしているのだ。きっと清掃も毎日行っていたはずだ。

 南側の壁の大きな窓ガラスから月の光が差している。半月だが雲もなく今日は明るく、発光器をつけなくてもいいくらいだった。タリヴァスは青白い闇の中で自分の椅子に座り、机に両肘をついた。

 ようやくここに戻ってきた。襲撃を受けダンジョンの地下に閉じ込められてから約一ヶ月だ。だが、何もかもが変わってしまった。

 会社を取り巻く情勢は変わらないだろう。しかし、タリヴァス自身が変わった……多くのことを知ってしまった。今まではある意味無邪気に研究しその成果を商品という形で世に出していたが、これからはそうはいかない。今までと同じように続けることはできない。

 だが会社をやめるわけには行かない。アランティ工業はタリヴァスだけのものではなく、ここで働く多くの社員のためのものでもある。問題を解決し、会社も存続させなければならない。

 なんとかなるさ。祖父、ドラコルならそう言っただろうか。タリヴァスにはそれを口に出して言う自信はなかった。新しい魔格構造を考えるのは自分が頑張れば済むことだが、軍が武器を横流ししているなどというのは何をどう頑張って解決すればいいのか見当もつかない。

 単純に告発しても、証拠のない現状では意味がない。下手すればお前の会社がやったんだと罪をなすりつけられる可能性もある。実際、野盗相手に不法な取引を行って逮捕された会社は存在する。私腹を肥やそうとするのは軍ばかりではないのだから。

「じいさん……あんたが生きていればな……」

 ドラコルがいれば相談することができただろう。そもそも自分が社長になっているわけもないし、更に言うならこんな問題も起きていなかったかも知れない。何もかもが自分の落ち度……そんな気がしてくる。

「考えるだけ無駄だな……寝るか」

 とても安らげる気分にはなかったが、たとえ徹夜で考えても良い解決策は浮かばないだろう。であれば社長席で唸っていても時間の無駄だ。明日になればセリナにも相談できる。

 タリヴァスは立ち上がり、応接用のソファの脇を通り抜け部屋の端のドアに進む。ドアの先には廊下があり、客用の控室と寝室がある。

 控室はたまに使うが、寝室は使ったことがない。だがタリヴァスはそこを仮眠室として時々使用していた。酒を飲みながら残業をして、帰るのが面倒になったらそこで寝るのだ。今日も家に帰るより、このままここで眠ってしまいたかった。

 寝室に入るときちんとベッドメイクしてあって、すぐに使える状態になっていた。ベッドに腰掛け義足を外し、義足はそのまま床に転がしておいた。ネクタイも外して適当に机の方に放り投げ、そのまま着替えもせずに布団に潜り込んだ。

 肌触りの良い生地にふかふかとした感触。軍病院のベッドとは比べるべくもない。ようやく自分の会社に戻ったと実感し、タリヴァスはすぐに眠りに落ちた。


「社長、いらっしゃいますか?」

 声とノックに目を覚まし、タリヴァスはゆっくりと体を起こす。少し背中が痛いが、これはベッドのせいではなく火傷のせいだ。膏薬を塗って包帯を巻いてあるが、そろそろ交換しないといけない。

「ああ、今起きたよ……」

 返事をしながら、タリヴァスはベッドから身を乗り出して床に転がっている義足を拾おうとした。だが遠くにまで転がっていて届かない。くそ、誰だこんなところに転がしたのは。

「入ってもよろしいですか?」

「ああ、構わん」

 するとセリナがドアを開けた。タリヴァスは義足の左足の方をつかみ、それで右足の方を引き寄せようとしていた。

「お戻りは一ヶ月後とお聞きしていましたが?」

 ドアのところに立ったままセリナが言う。薄いブルーのドレスで、ラグニア二号のお披露目会に着ていたものよりはややカジュアルな印象だ。髪を留めているのも普通の木製の髪留めで、派手な宝石はない。久しぶりのタリヴァスとの再会だったがそれを喜ぶ様子はなく、やや低めの冷たい声だった。参ったなと内心で思いながら、タリヴァスはようやく両足の義足を手にして装着し始める。怖いのでセリナの方は見ない。

「退院した……色々あってな……やらなきゃいけないことができたんだ」

「お怪我は良くなったのですか?」

 セリナがつかつかとベッドの方へ歩いてくる。タリヴァスはちらりとセリナの顔色をうかがうが、案の定鋭い目つきをしている。普段からどちらかと言えば無表情で、顧客相手の営業スマイル以外には笑うことは稀だが、今は明らかに不機嫌な様子だ。

「怪我はまあ、な」

「まだ三角巾で腕を吊っているように見えますが? それにこの匂い……鎮痛用の膏薬ですね? 背中も火傷が酷かったと聞いておりますが?」

「腕はだいたい治ったよ。まだ動かないが……背中もまあ、そのうち治る。これで……よしと」

 義足を装着し、タリヴァスは立ち上がる。

「長い間心配をかけたな。だが無事戻った」

 セリナはなにか言いたそうな眼をしていたが、やがて諦めたように目を閉じた。そして改めてタリヴァスを見て言う。

「……はい、ご無事に戻られて本当に良かったです。私の不手際でした……あの時、社長を先に行かせていなければ……」

 その言葉にタリヴァスは襲撃されたときのことを思い出す。悔いる様子のセリナに、タリヴァスは答える。

「お前のせいじゃない。あれは……誰がいても止められなかった。何しろ化け物だったからな……そう言えば……あの時一緒にいた彼らは?」

 警備隊長のゼイルは目の前でストーカーに殺された。ゾハは女戦士に殺された。他の四人はどうなったのだろうか。生きていればいいのだが……。タリヴァスはそう思いセリナに聞いたが、答えるのをためらうセリナの表情から全てを悟った。

「……そうか、残念だ。俺以外は全員か……」

「はい。それと……それだけではないのです」

「……どういうことだ?」

 ここまで悲しげなセリナの表情をタリヴァスは初めて見た。何か大変なことが起きた……それが分かった。

「後でご説明します。ご用意ができたら社長室にどうぞ。朝食はお持ちしますか?」

 セリナの表情から感情が薄れ秘書の顔に戻る。たしかに、ここで立って話すような内容ではなさそうだった。

「分かった、三〇分後に行く。朝食も用意してくれ。あ、濃いめの味付けでな。薄味の病院食にはうんざりした。まともなものが食べたい」

「かしこまりました。では、三〇分後に」

 そう言い、セリナは部屋を出ていく。タリヴァスはもう一度ベッドに腰掛け、顎の無精髭を撫でた。

「まだ問題が増えるのか……踏んだり蹴ったりだな……」

 不在の間になにか問題があったのだろうか。ライソンは何も言っていなかったが、恐らくセリナに口止めされていたのだろう。心配せずに療養に集中しろと、セリナならそう考える。

 こんなことなら朝食といっしょに酒も頼むべきだった。度数の高いやつを。タリヴァスはそう思った。

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