4-1 明かされた秘密
秋の空は青く澄んでいた。細い雲がいくつか流れ、昼過ぎの太陽が緩やかに天頂を回っていた。差す日差しもいくらか暖かく、タリヴァスは軍病院の屋上で車椅子に座りサングラスを掛けて日光浴をしていた。
ダンジョンから脱出してから一〇日が経っていた。一時は意識もなく危険な状態だったが、治療のかいあって今では呑気に病室を抜け出すほどになっていた。
灰色で長袖のゆったりとした患者衣を身に着け、膝にはブランケットをかけている。右腕の傷は深くまだ治療中で、包帯で幾重にも巻かれ三角巾で吊るされていた。顔や首などにも絆創膏が貼ってあり、魔力で火傷のようになった背中にも膏薬が塗ってある。全治二ヶ月ほどで、特に右腕と背中はまだ鈍い痛みや疼痛が耐えないが、ひとまず車椅子で動き回っても平気な程度には回復していた。
それでも病室で安静にしていろと医師から指示は受けているのだが、タリヴァスはそれを無視して屋上に来ていた。車椅子の脇には小さなテーブルが置かれ、紅茶とドライフルーツが置かれている。のんびりと空を見上げながらお茶を飲み、タリヴァスは退屈な入院生活を満喫しようとしていた。
「社長、そろそろ戻った方が……」
「ん、ああ……」
背後に控えていた青年の声にタリヴァスは曖昧に答え、カップを手にとって紅茶を飲む。すっかりぬるくなっていて香りも薄まっていたが、まだポットには一杯分残っている。それがなくなるまでは、病室に戻るつもりはなかった。
タリヴァスの背後の青年はアランティ工業の社員で、名をライソンと言った。総務課で働いており、社長秘書であるセリナの指示でタリヴァスの身の回りの世話のために派遣されていた。タリヴァスが入院している軍病院は会社のあるラソーン市から
やってきた当初はまだタリヴァスの意識が戻っていなかったが、保護から五日後、ライソンが来てから二日後に意識を取り戻した。目覚めた直後のタリヴァスは言葉を発せるほどの元気はなかったが、段々と元気になって今では色々と無茶な注文をライソンにぶつけるようになっていた。
病院食以外は飲食禁止で、茶もドライフルーツも禁止されている。だがタリヴァスは味気なくて死んでしまうと主張し、気の弱いライソンはそれに従ってしまった。酒をもってこいと言われればそれにも従っただろうが、さすがのタリヴァスもそこまでは言わなかった。今のところは、だが。
それに屋上に出るのもそうだ。本来は屋上は治療のためにあり、肺病の患者などが療養のために過ごす場所だ。ダンジョン攻略で毒系のモンスターにやられた兵士がここできれいな空気を吸いながら安静にするのだが、今は幸いに誰もおらず、だったら別に使っていいだろうとタリヴァスが言い出したのだ。もちろん病院には確認していない。
ライソンは脂汗をかきながらタリヴァスをおぶって屋上に運び、テーブルに紅茶まで用意した。そうして一時間ほどが経ったのだが、ライソンはその間ずっとタリヴァスの後ろに立って困った顔で待機をしていた。セリナからは、タリヴァスから無理難題を言われても無視しろと言われていたのだが、この気弱な青年には社長の命令を無視するだけの胆力は備わっていなかった。タリヴァスもライソンが困っているのはわかっているのだが、からかい半分でいつ自分の言葉に異議を唱えるかと思いながら試していた。ようするに暇だったのだ。
空になったティーポットを置いてしばらくタリヴァスは空を見つめていた。地下にいたときはあれほど恋しかったが、流石に飽きてきた。しかし他に見るべきものもない。ライソンはいつまで経っても空になったティーポットに紅茶を淹れてくれないので、タリヴァスは自分でカップに注いだ。
タリヴァスは欠伸をし、左腕だけで伸びをした。背中が少し痛むが、じっとしているとそれはそれで強張ってしまうのでたまには動かさないといけない。もう少し回復したら運動療法というのが始まるそうで、毎日決まった時間運動させられるという話だった。入院はあと一月は続くそうで、今のタリヴァスにはそれが一番憂鬱だった。
タリヴァスは右腕に力を入れてみた。腕を固定する添え木と包帯の中で指が動くが、以前のように力が入らない。まだ治っていないのもあるが、ダンジョンの出入り口を塞いでいた壁を強化ラグニアで破壊した時にひどい怪我を負ったのだ。ラグニアを仕込んだ右の手甲は吹き飛んで肘から手首にかけての肉が抉れ、筋肉や骨が露出していたらしい。気を失っていたので傷自体は見ていないが、握力がほとんどなくなっていてタリヴァスは傷の酷さを実感する。
普通であれば腕を切り落とすほどの大怪我だったが、運良く切り落とさずに済んだ。それというのも、閉じ込められていたダンジョンの近くにダンジョン病院があったからだ。
ダンジョンの中では強力な魔術が使えるが、それは攻撃魔術に限らず回復魔術も同様だ。地上では気休め程度の効果しかないが、ダンジョンの中でならば致命傷を癒やし死者を蘇生することさえ可能となる。その効果を利用して、地上の重傷者をダンジョン内に移動し魔術により治療するという治療法がある。それを行う病院がダンジョン病院と呼ばれる。
タリヴァスとグロツキンが閉じ込められていたのはラントラーダンジョンで、グロツキンの故郷であるカサーンク村から
そして最寄りの村に運ばれたが、重症のタリヴァスはそこからさらに隣の市に運ばれた。そこにダンジョン病院があり、タリヴァスはレブナルというダンジョンの地下二階で治癒魔術を受けたのだ。
普通であれば、いかに重症者とはいえどもダンジョン治療の恩恵を受けることは稀だ。ダンジョンに入るということは当然モンスターに襲われる危険があるということで、ダンジョン治療には護衛が必要となり、その人件費も含めた治療費はかなり高額になるからだ。金銭的な余裕のある者しかダンジョン治療を受けることはできない。
しかしマジックアイテムの技術者が連続して誘拐されている件は軍により捜査されており、タリヴァスが誘拐されたことも地元の軍基地に伝わっていた。タリヴァスが保護された村にも情報が行っており、それもあってタリヴァスは病院に移送された。グロツキンの証言から二人は生存者であると判断され、事件の捜査のためにタリヴァスは手厚い治療を受けることができたのだ。もしもっと離れた場所の別のダンジョンであれば、誘拐の話も周知されず、治療も受けられず右腕は切り落とされていたかもしれない。それどころか命さえ危うかった。
しかしダンジョン治療も万能ではない。握力が元通りになることはなく、精密な作業には支障が出るだろうとタリヴァスは医師に言われていた。完治の可能性もないではなかったが、それも現状ではまだ分からない。せいぜい運動療法とやらを頑張ることしかなかった。
「お前、病室で安静にしていろと言われているはずだぞ」
背後からの声にタリヴァスは振り返る。振り返るまでもなく声の主には見当がついているが、わざとらしくタリヴァスは返事した。
「おお、トレシオン! 見舞いに来てくれたのか? いやあ、感激だなあ」
「何が見舞いだ。何飲んでる? まさか酒じゃないだろうな?」
紺色の軍服を着た男、トレシオンが不機嫌そうに言った。カルバ王国軍の兵士で階級は大尉、年齢は二十七歳。顎のあたりまで伸ばした真っ直ぐな黒髪が風になびき、眉間に皺を寄せて不愉快そうな表情でタリヴァスを見ていた。ダンジョン調査やマジックウェポンの調達を担当しており、タリヴァスのアランティ工業とも取引をしている。タリヴァスが社長になる前からのつきあいで、知り合ってから五年ほどになる。年齢は少し離れているが気は合い、お互いに遠慮のない物言いでやり取りする間柄だ。
「酒? まさか! 紅茶だよ、紅茶。水分はたっぷり摂れと言われてるからな、こうして一生懸命飲んでるんだよ。お前も飲むか? 水分の足りなそうな顔をしているぞ」
「要らん。まったく……病室にいないから心配して探しに来てみれば……こんなところで優雅にお茶会とはな。おい、あんた。こいつを好きにさせるな。そのうちここで宴会を開くぞ」
トレシオンはライソンに言い、恐縮した様子でライソンは答える。
「え、ええ……いや、すいません……」
歯切れの悪い返答に舌打ちしたい気持ちを抑え、トレシオンはタリヴァスに文句を続ける。
「ただでさえここの医者に文句を言われてるんだ。重傷者に事情聴取なんてまだ早いってな。それで遠慮してやってるのに……その重傷者が病室を抜け出して茶なぞ飲んでる。まったく!」
「そうかっかするなよ。で、何の用なんだ? 犯人のことでもわかったのか?」
悪びれる様子のないタリヴァスに、トレシオンは溜息をつき答える。
「いや、調査中だ。だが一つ伝えることがある。一緒に保護したグロツキンさんだが、彼は退院する」
「何? もうか?」
「大した怪我はなかったし、体調の回復も良好だったからな。病院としては退院して問題ないという判断らしい」
「そうか。じゃあ……その前に挨拶しとかないとな。おい、ライソン。病室に戻るぞ」
「え? ああ、はい、わかりました!」
タリヴァスの言葉にいそいそとライソンが車椅子を押して階段の方に進んでいく。
「お前はまだ会社に帰るなよ。その調子なら事情聴取しても大丈夫そうだからな。改めてじっくり聞かせてもらうぞ」
「はいはいわかった。この前言ったのとどうせ変わらないけどな」
軽く手を振ってタリヴァスは答える。一応軽い事情聴取は受けており、三〇分ほどかけて要点だけ聞き出されていた。だがグロツキンが知っていること以上の情報はタリヴァスも知らず、軍としては大した収穫にはならなかったらしい。それでも手続き上は正式な事情聴取というものが必要らしく、回復を待って行われることになっていた。
まったくお役所仕事だな、とタリヴァスは面倒に思った。しかし調査を担当しているトレシオンの手前もあり、調査に協力することはやぶさかではない。タリヴァスとしてもあの黒衣の女戦士と二人の少女をなんとか捕まえてほしかった。襲撃の時に殺されたゼイル達。そして攫われて地下で殺された三人の技術者。その無念を晴らす必要がある。
ともあれ、今はグロツキンのことが優先だった。ともに命をかけて協力しダンジョンから脱出したが、退院したらもう二度と会う機会はないかもしれない。別れの挨拶位はちゃんとしておきたかった。
「おい、あれ持って来てくれ」
ライソンに背負われ階段を下りながらタリヴァスが言う。ライソンは息を切らしながら返事する。
「は、はい……あとでお持ちします」
「急いでくれよ。もたもたしてる間に恩人が出発してたら笑い話にもならない。それにしても……一言くらい声をかけてくれてもいいのにな」
グロツキンから出発のことは聞いていなかった。少し妙に思ったが、恐らく自分が安静にできるよう気を使ったのだろう。そう思い、タリヴァスはライソンを急がせた。
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