3-13
「いたぞ……ゴブリンだ」
グロツキンがタリヴァスの肩に手をかけて止め、小声で言った。先行する九号も停止して僅かに姿勢を低くする。
曲がり角の先、
こちらに気付いていないのなら無視するのが一番だが、しかしそのゴブリンのすぐ先に階段がある。気付かれずに通り抜けるのは不可能だった。ゴブリンが食事を終えるまで待つという選択もあるが、タリヴァスはとても待つ気にはならなかった。それに、ゴブリン程度なら問題にならない。子のゴーレムスーツと強化ラグニアがあれば敵はいない。
「行くぞ、突っ切る!」
そう言い、タリヴァスはいかつい足音を響かせながらゴブリンに向かって走り、九号も遅れないように並走していく。
「お、おい!」
グロツキンは一瞬躊躇したが、もうゴブリンに気付かれた。口の端から血を滴らせながら顔を上げ、近づいてくるタリヴァスとゴーレムに気付いて牙を剥いていた。
「そこをどけ!」
走りながらタリヴァスは右腕の強化ラグニアをゴブリンたちに向け、距離が
「うおおぉぉっ!」
右腕が熱い。感覚が麻痺しているが、それでも強化ラグニアを撃つたびに刺すような痛みが走る。だがもう一体のゴブリンが消し飛び、残りは一体。
ゴブリンが肉薄し、錆びた手斧を振り上げる。付与魔術も何もかかっていない粗末な武器だ。ゴーレムスーツには通らない。それをタリヴァスは左の手甲で跳ね上げるように受け止め、姿勢を崩したゴブリンに左の拳を叩き込んだ。レア素材の手甲が顔にめり込み骨格を陥没させ、ゴブリンは悲鳴も上げられず仰向けに倒れていった。
倒れたゴブリンの胸を踏んづけながら、タリヴァスは止まらずに進んでいく。足を止めればもう二度と動きだすことはできないように感じられた。体が重く、熱い。今すぐにでも横になってしまいたかった。
帰りたい。生きて帰りたい。強い恐怖がタリヴァスの心に生まれ、その体を突き動かしていた。
階段を上り切ると、そこは部屋の中だった。地面は土で苔や草が生えている。天井や壁に道を示す光はないが、部屋の外はぼんやりと明るくなっている。これで九階上がった。ここは一階のはずだ。次の階段が地上への出口だ。そう思い、タリヴァスはおぼつかない足取りで部屋の外に進んでいく。モンスターの気配はなく、左方向に続く通路以外の別の通路や部屋も見当たらない。一階は一本道で階段に続いていることがあるが、ここもそういう構造らしかった。
「ここは一階か? 出口は……あっちか?!」
遅れてきたグロツキンも左に続く通路を見ながら言う。タリヴァスは返事をするのもおっくうで、無言で走り始める。といってもその足取りは重く、ほとんど歩いているのと変わりがなかった。義足部分の動きも悪く、十分に整備してあるはずなのに軋んだ音を立て今にも壊れそうだった。
通路は奥に続いている。緩やかな登り勾配で、地上に向かっているらしかった。だが光は見えない。突き当りが見えてきたが、階段も部屋もそこにはなかった。
「何だこれは……」
行く手を塞ぐのは黒い岩の壁だった。明らかに周囲とは違う岩質で、地下室の壁と同じもののように見えた。
タリヴァスは手甲で壁に触れ、そして思い切り殴りつける。何度も、何度も。
「くそ、くそっ! なんなんだこれは!」
激しい火花が散って壁が僅かに傷つく。しかしそれだけで、ゴーレムスーツの強化された力でも壁を破壊することはとても不可能だった。
「入り口をふさいであったのか……どうりで誰も助けに来ないわけだ。逃がす気もないってわけだ……」
グロツキンが力の抜けた声で言い、壁に寄りかかりながら地面に尻をつく。ラグニアを膝の間に立て、それに額を付けて力無く笑った。
「ここまで来たのに……出られないのか? こんな所で死ぬのか?」
ここには水も食料もない。地下室に残っていた僅かな食料も脱出の時の爆発で吹き飛んだし、仮に残っていてもまた一〇階まで降りるのは自殺行為でしかない。
それに、あの女戦士がいる。首尾よくボスモンスターと同士討ちさせることはできたが、あの女戦士が死んだという確証はない。生きていればいずれここに来て、タリヴァスたちを殺すだろう。女戦士が死んでいたとしても、タリヴァスがさらわれた時の別の二人がいる。あの二人がタリヴァスたちを始末しに来ることは十分に考えられる。
仮に見逃してもらえても、このダンジョンから出られないのでは同じことだ。飢えて死ぬか、モンスターに殺されて死ぬ。脱出は不可能だ。
だが、一つだけ可能性がある。この壁を破壊できるかもしれない方法が一つだけ残されていた。
「……グロツキン。さっきの階段の部屋まで戻れ」
「何だって?」
タリヴァスの言葉に、グロツキンが不審そうに答える。
「下の階に戻る気か? さっきのゴブリンの死体に、今頃別のゴブリンが寄ってきてるぞ。降りてどうする」
モンスターは自分の階層が決まっていて、よほどのことがない限り階層を移動することはない。だから二階のゴブリンが一階に来る恐れはなかったが、しかし今降りればさっきの戦闘を聞きつけた別のゴブリンが階段の下で待ち受けているのは明白だった。
「降りるんじゃない。部屋に避難していてくれ。この壁を……壊す」
「壊す? まだ爆弾が残ってたのか?!」
グロツキンは壊れかけの九号を見る。九号は爆弾を装備していて道中でも使用したが、全部で四発のはずだった。そしてそれは全て使い切ったはずだった。
「そっちじゃない。俺のゴーレムスーツでなんとかする。残った魔力を使ってラグニアを撃つんだ。うまくいけば……穴をあけられる」
「ラグニア……? そんなことが……出来るのか?」
半信半疑といった様子でグロツキンが尋ねる。ゴーレムスーツの製造の際に性能の説明を受けていたが、それはグロツキンも知らない事だった。
「一種の欠陥を利用する。このゴーレムスーツの魔格構造には安全装置がついてて必要以上の魔力が流れないようになっているが、それを壊す。するとすべての魔力を一気に使えるようになる。地下室を吹っ飛ばした奴ほどではないが、何とかなるかもしれない」
「……そんなことをして大丈夫なのか、君は」
グロツキンが立ち上がり聞く。タリヴァスは少し間を置いて、覚悟を決めたように答える。
「分からない。この腕の発射口が耐えられなければ俺は吹き飛んで死ぬだろう。それに魔力自体にも耐えられるかどうか分からない。でも、他に方法はない」
「駄目だ……そんな、君が言っているのはほとんど自殺だぞ?!」
グロツキンがラグニアを放り捨て、タリヴァスに駆け寄る。鎧の肩に手を置き、タリヴァスに言う。
「きっと何か方法がある。別の……出口を探そう」
「無理だよ。ダンジョンに出入口は一つだ。そう決まっている。やるしかない……行ってくれ、グロツキン」
タリヴァスは突き放すようにグロツキンの胸を押した。グロツキンは言葉を失い、タリヴァスを見つめて立ち尽くす。そんな様子を見て、タリヴァスは汚れた魔水晶のバイザー越しに精一杯の笑みを浮かべて言った。
「死ぬと決まったわけじゃない。このスーツは頑丈だからな、うまくいく。きっとな……それに、俺はあんたを助けるために死ぬんじゃない。俺が生きる為に、今できる最善の方法を選ぶだけだ。行けよ、グロツキン。もたもたしているとあの女戦士が来るかもしれない。ここで逡巡していてもいい事は何もない。分かってくれ……」
絞り出すような声でそう言うと、タリヴァスはグロツキンに背を向けて壁の方を向いた。そして右腕の手甲の一部を取り外し、内部の魔格構造を指先でつまんで破壊する。安全装置の部分が機能を失い、背中のカートリッジの魔力が右腕に際限なく流入を始める。
「行け、グロツキン!」
鋭いタリヴァスの声に、グロツキンは唇を噛んだ。そして地面のラグニアを拾い、階段のある部屋の方へと通路を戻っていく。ゴーレムもグロツキンについていく。
「出るときは一緒だ……二人で、二人で生きて帰るんだ……! もう死体を埋めるのは御免だぞ!」
グロツキンの言葉にタリヴァスは鎧の中で頷いた。
遠ざかっていくグロツキンとゴーレムの足音を聞きながら、タリヴァスは深呼吸をする。右腕が熱い。剥き出しになった強化ラグニアの発射口の根元が、過剰な魔力の供給で赤熱化していた。にもかかわらず、悪寒がして震えそうになる。頭の中がぐるぐると回るような感覚もある。鎧に流れ込む大量の魔力がタリヴァスの体をおかしくしていた。しかしそれも一時のことだ。あと少し、グロツキンが部屋に到達するまでもてばいい。
残っていた魔力カートリッジは三本分。一本に一〇個程度の魔法石を使ったから、数で言えば地下室を吹き飛ばしたゴーレムに仕込んだものと同じくらいだ。同程度の力が出るなら、壁を吹き飛ばすことも不可能ではなさそうだった。
だが、力を解放し無秩序に爆発させるのと、制御して魔力弾として発射するのでは全く異なる。強化ラグニアの魔格構造は今にも焼き切れそうだし、衝撃に鎧が耐えられるかも未知だ。タリヴァス自身もどうなるのか分からない。
「まあ、何とかなるさ。そうだろう、じいさん……」
タリヴァスは祖父、ドラコルの口癖を思い出していた。
社長としては厳しかったが、祖父としては優しかった。特に一〇歳くらいまでの子供の頃は、色々なマジックアイテムの技術を教えてくれて物を作る楽しさを教えてくれた。タリヴァスは度々失敗したが、その度にドラコルは励ましてくれた。何とかなるさ、と。
それは無責任な楽観論ではなかった。努力し、学び、その結果として失敗する。それは次につながる。そしてそれは礎となり、自分を支えてくれる。だから未知のものに挑む時も、過去の自分が今の自分に味方してくれる。培ってきた経験が未来へと導いてくれる。だから、なんとかなる。自分を信じ進め。ドラコルはそれをタリヴァスに教えてくれた。いきなり社長を継いで無力さに苛まれる時も、ドラコルの言葉を思い出し進むことが出来た。
今までに身につけた技術にタリヴァスは自負がある。そう簡単に暴発するようなやわな設計はしない。初めて作ったゴーレムスーツだとて、それは同じだ。規格外の魔力にも、きっと耐えて機能してくれるはずだ。タリヴァスはそう信じた。
魔力が満ちる。魔格構造が煙を上げ始め、もう限界を迎えつつあった。これ以上は待てない。グロツキンももう部屋に避難しているはずだ。タリヴァスは発射口をまっすぐに壁に向け、右腕を左手で支える。
「我が名はタリヴァス・アランティ。アランティ家一七代目当主にして、カルバ王国の稀代の技術者……今こそその力を示す時……」
タリヴァスは祈る神を持っていなかった。だから父祖に祈った。ダンジョンを守り、ダンジョンと共に生きた一族。だから、ここで死ぬわけにはいかない。ダンジョンの中でこんな形で死ぬことは、家名に傷をつけることだ。
タリヴァスが発射を念じる。強化ラグニアが膨大な魔力を魔力弾に変換し、閃光が迸る。跳ね上がりそうになる腕を必死に押さえ、タリヴァスは魔力弾を放った。
眩しい光を感じた。
ひどく体が重い。目を開ける事すら困難で、体を動かすことも出来なかった。
それ以前に体の感覚がなかった。自分が誰なのかさえ分からず、何故ここにいるのかもわからない。ただ光が眩しくて、目を細めたままそこにいる。
何か音が聞こえる。誰かの呼ぶ声がする。そんな気がした……しかしはっきりとは分からない。
「――おい――だ! タリヴァ――外――!」
揺り動かされ、少し目を開ける。光の中に色が見えた。青い。青い……空? そう、空だ。光が見える。明るい。
ガチャガチャと騒がしい音が響き、そして風が吹き込む。一気に眩しさが増し、そして目の前が青一色になる。
「おい、起きろ! 助かった、外に出られたんだよ! 死ぬなタリヴァス!」
一面の青い色に男の顔が入り込む。見慣れた顔……名前を思い出せない。しかし……そうだ、グロツキン。グロツキンだ。何故……泣いているんだ?
「ぁ……あぅ」
名前を呼ぼうとして、しかし声が出なかった。
「今鎧を外す! すぐに助けを……ああ、くそ! 血が止まらない……右腕が……!」
上半身が動かされ、身につけていた鎧が脱がされていく。そうだ。鎧を……ゴーレムスーツを着ていたんだった。ダンジョンから出ようとして……そうか、俺は出られたのか?
「……空だ」
空だけが見えていた。首を動かすことも出来ず、周りでせわしく動くグロツキンの様子しか分からない。
「ああ、空だよ。出られたんだ……君を絶対に死なせないぞ! 二人で生きて帰るんだ!」
グロツキンの声がタリヴァスの耳に響く。その声が妙に遠い。瞼が重く、酷い眠気に襲われる。
「家族に会えるぞ、グロツキン……」
タリヴァスはそう言い、目を閉じた。
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