2-6
タリヴァスはゼイルを見た。ゼイルの体からは力が抜け、大量の血が足元に流れ落ちていた。虚ろな目で動く様子もなく、その胸にはまだストーカーの尾が刺さったままだ。ストーカーが動かないのは少女の命令……そうとしか考えられなかった。
「何故……そんなことが……」
もしそこに本当にストーカーがいるのなら、人間を見れば区別なく襲うだろう。ゼイルも、タリヴァスも。それにこの黒衣の女たちも。しかしそうはなっていない。女戦士に襲い掛かろうとしたゼイルだけを選択的に攻撃した。
タリヴァスは訳が分からなかった。ストーカーの事だけではない。まず最初に子供が魔術を使った。女戦士はラグニアを生身で弾いた。少女は姿を消す魔術を使い、モンスターまで操る。タリヴァスの知る限り、そんな事ができる者はいない。そんな人間は、どこにもいない。
「まさか……?!」
タリヴァスは黒衣の女たちに視線を巡らせる。そして馬鹿げた発想が思い浮かぶ。
「人間じゃ……ない、のか?」
そのタリヴァスの呟きを、女戦士が耳ざとく聞いていた。そして不敵な笑みを見せる。
「だったら、どうする?」
肯定と受け取れる女戦士の言葉に、タリヴァスは荒唐無稽と思いながらも合点がいっていた。
この女たちは人間ではない。化け物……実に陳腐な言葉だが、こいつらは化け物なのだ。そう思えば納得がいく。ダンジョンには人の姿をした化け物が出る。人を騙し、襲い、恐怖させ、その命を食らう。魂を奪うムガラフ、人に取り付き狂わせるヴォルデスカといった存在が伝承には登場し、実際にその化け物に遭遇したとしか思えない不審な死を遂げた攻略者もいる。
タリヴァスはムガラフのような存在には懐疑的だったが、もしいるとすれば、それは目の前にいるこの黒衣の女たちのような存在なのかもしれない。ストーカーが地上で生きているのも命令を聞いているのも、何か特殊な力の働きなのだろう。突飛な考えだが、そうとしか思えなかった。
「ムガラフか何か……なのか、お前たちは?」
タリヴァスが問いかけると、女戦士は笑みを残したまま答える。
「我々は――」
「こら。余計な事を喋っちゃ駄目だよ」
子供の声が女戦士の言葉を遮った。たしなめるような口調に、女戦士は少し視線を泳がせる。
「……そうだった。すまない」
女戦士が子供に向かって謝る。子供は女戦士の後ろに立っていたが、タリヴァスの傍にまで歩いてくる。尻をついたタリヴァスより子供の背の方が少し高く、子供は見下ろすようにしてタリヴァスを見つめた。どこにでもいるような普通の子供に見えたが、得体の知れない魔術で馬車を吹き飛ばし警備員を斬り裂いた張本人だ。外側がどうあれ、その中身は化け物に違いない。
「聞くのは私たち。この人が私達のことを知る必要はない。それと、そいつは目障りだから捨てて」
子供がちらりと少女の方を見る。少女は少し不満そうに唇を尖らせて答えた。
「はぁい、分かりましたわ」
ほぼ同時に、ゼイルの体が宙を舞った。空中にストーカーの尾の軌跡が見え、尾を振ってゼイルの体を放り投げたのだと分かった。ゼイルの体は
「話が途中だったね。あなたに、やってもらいたいことがあるんだ。力を貸してほしい」
声は幼いが、子供の口調は随分大人びているように聞こえた。やはり見た目通りの年齢ではないように思えた。
見た目で言えば、年の順は子供、少女、そして女戦士のように見える。さっきまで女戦士がタリヴァスに話しかけていたことからも、女戦士がリーダー格のように見えた。だが、さっきこの子供は女戦士の発言をたしなめ、少女に対してもゼイルを片付けるように命令していた。二人とも子供の命令に素直に従い、反発するような様子はない。まるでこの子供がリーダー格のようだった。それに、女戦士よりも話が通じそうだった。時間稼ぎができるかもしれない。
「……仕事の依頼という事かな?」
子供に視線を返し、タリヴァスが恐怖と緊張を押し殺して言う。いつもの商談と同じだと自分に言い聞かせ、動揺を隠す。
「そう、仕事だね。大人は仕事が好きでしょ?」
「まあね、仕事は嫌いじゃない。で……」
タリヴァスは大げさに腕を振りながら周囲を見回す。
「これだけのことをして、一体俺に何をしろと? 何かを作れというのなら、会社に来て発注してくれればよかった」
「はっちゅう? って、何?」
子供が小首をかしげながら聞き返す。
「発注……仕事の依頼だよ。何を作るのか。いつまでに作るのか。いくつ作るのか。そういうことを俺と君で決めて、物を作る」
「普請か。それは行った先で教えるよ。あなたは言われたことに従えばいい」
女戦士ほどではないが、有無を言わせない様子はこの子供も同様だった。
それにしても……と、タリヴァスは不思議に思った。発注という言葉を知らなかったのは子供だからかと思った。しかしそれよりも難しそうな、子供が知らなそうな、今となっては古めかしい普請という言葉は知っている。知識や常識の程度がどこかちぐはぐに感じられる。馬鹿でも無知でもないが、何かが抜け落ちている。タリヴァスにはそう感じられた。
だがムガラフであるならそれも不思議な事ではない。大昔からダンジョンの中で生きているのだとすれば、知らない地上の単語もあるだろう。
「ところで……」
言いながら、子供が少し身を乗り出して右腕をタリヴァスの方へ伸ばす。タリヴァスは思わず体をびくつかせるが、子供の手はタリヴァスの顔の前で止まる。その人差し指がタリヴァスの目元を指していた。
「その目を隠しているのは何? あなたは目が見えないの?」
不思議そうに聞く子供に、タリヴァスは困惑した声で答えた。
「……これは、サングラスだ。太陽の日差しを和らげるためにつける」
「太陽?」
言われて、子供が空を見上げる。雲一つない空は変わりなく、太陽は空の真上近くにあった。今は一〇月だが、朝の寒さに合わせた服装だと、日中の日差しは少し暑い。その太陽を、子供は手で庇を作ってしばらく見上げていた。女戦士も怪訝そうに空を見上げた。
「……別に普通の太陽だと思うけど、眩しいの?」
「いや……今俺が身につけているのは……ファッションだ。眩しいわけじゃない」
「ファッション?」
またも不思議そうに子供が聞き返す。
「ファッション……身を着飾ることだ。そっちのお嬢さんが髪にカチューシャを付けているようなものだ。見栄えがいい」
「あら、嬉しいことを言ってくれますわね」
斜め後ろから少女の声が返ってきた。子供は少し考えるように視線を動かし言った。
「ファッション、ね。僕は興味ないかな」
「私もだ。戦いに華美な服装や装飾品は不要だ。邪魔になる」
女戦士も子供に同意して言う。
「そうか、残念だな。美人ぞろいなのに。ちょっと試してみたらどうだ、君?」
タリヴァスはサングラスを外して子供に差し出す。子供は興味深そうにサングラスを見つめ、女戦士はその様子をきつく睨んだ。下手をすれば女戦士に殺されそうだったが、このくだらない会話も時間稼ぎのためだ。
馬車は燃えて灰色の煙が出ている。気を失っていてはっきり分からないが、爆発して燃え始めてから五分か一〇分といったところだろう。今いるこの場所は試験場から
試験場にはラグニア二号もある。本来は一般販売を開始していないので警備任務にも使っていないのだが、緊急時と判断すれば使うはずだ。強威力の魔力弾ならこの連中にも通用する……そう信じたかった。
タリヴァスの持つサングラスをしばらく見つめ、子供が言う。女戦士は後ろで不満そうだったが口を挟むことはなかった。
「じゃあ、ちょっと使わせてもらおうかな」
「どうぞ。気にいるかも」
子供はサングラスを手に取り、恐る恐るといった様子で顔にかける。サイズの合わないサングラスをずれないように押さえながら、子供はしばらく空を見上げた。太陽を見ているようだった。そして視線を下ろし、タリヴァスを見ながら言う。
「確かにあんまりまぶしくないね。でも……他の物も全部薄暗く見える」
「それに似合ってませんわ」
少女がどこか呆れるような口調で言い、さらに言葉を続ける。
「あなたは青い色で統一しているからいいけど、わたくし達の黒い格好には似合わない。浮いてしまいますわ。当然、他の色もあるんでしょう?」
「ああ……それは、そうだな。今持ってはいないが、服装に合わせてサングラスを選ぶのは重要なことだ」
「そうでしょうとも。それがファッションというものなのでしょう?」
「ああ、その通りだ。その黒い服になら、もっと落ち着いた色がいいだろうな」
子供は二人の言葉を聞いていたが、サングラスを外して言った。
「でも、僕この色好きだよ」
顔の前にサングラスをかざし、気に入った様子で子供は見つめている。
「そうか? 気に入ったんならやるよ」
「本当? じゃあ遠慮なくもらうよ。ありがとう」
そう言い、子供は微笑んだ。
不思議な会話だった。馬車は燃え、六人の警備員の死体が周りに転がっている。だというのに、この惨状をもたらした三人の女たちは、平然とした様子でいる。他愛のないファッションの話をし、子供は、なんともかわいらしく子供らしい微笑みまで見せた。タリヴァスは軽い吐き気を覚えた。早く、助けが来て欲しかった。いつまでこの異常者どもと喋っていなければならないのか。耐えられなかった。
「後ろが気になる?」
微笑みを顔に残したまま、子供がタリヴァスに聞いた。
「……後ろ?」
問われた意味が分からずタリヴァスは聞き返す。子供は優しい声音で答えた。
「お友達だよ。向こうにいるんでしょ? あなたはお友達が助けに来るのを待ってる。違う?」
見透かすような子供の言葉にタリヴァスは絶句し、そして思い至った。起こりうる最悪の事態に。
「残念だけど、誰も来ないよ。あっちも今大騒ぎだと思うよ。でも安心して。皆殺しにはしていない……だよね?」
子供はタリヴァスから少女に視線を移して問いかける。タリヴァスも思わず振り向いて少女の様子を窺う。少女は右手の指先を頬に当て、考え込むような仕草をする。
「ええ、そのつもりですわ。邪魔しろと言われたから、そのくらいのモンスターを適当に。でも、どうかしら……」
少女は周囲を見回し、一番近くにあったゾハの死体に嘲笑するような視線を向ける。そしてタリヴァスを見る。
「こんなお粗末な戦士たちに身を守らせているようでは、お友達とやらも高が知れていますわね。全員死んでいても、それは私の責任ではありませんわ」
沸き立つような怒りがタリヴァスの心に生まれた。同時に、友人の顔が浮かんだ。バルシン、フィオレッタ。そしてセリナや他の社員たち。彼らが血まみれになっている様子が思い浮かぶ。考えたくはなかったが、ゼイルのように酷い有様で息絶えている姿が思い浮かんでしまう。
「……やめてくれ! 彼らは……関係ない! 用があるのは俺だろう! 俺だけを狙え!」
取り乱したタリヴァスに、子供が静かに声を掛ける。脅すわけではなく、かと言って同情する様子もない。淡々とした口調だった。
「やってほしいのは、仕事だよ」
「仕事……何だって言うんだ!」
タリヴァスの怒声が辺りに響くが、子供は動じる様子もない。その背後の女戦士がタリヴァスに近づきながら言う。
「向こうで説明する。お前には、一緒に来てもらう」
女戦士が無造作にタリヴァスの頭を掴む。思わずのけぞろうとするが、すさまじい力にタリヴァスは動けなくなる。
「ぐぅ……! やめ……!」
頭を握りつぶされそうな激痛に、タリヴァスは女戦士の手を外そうと反射的に抵抗する。だが万力のような指はタリヴァスの頭に食い込んで外れない。苦しむ様子のタリヴァスに、変わらぬ淡々とした口調で子供が言う。
「大丈夫。ちゃんと指示に従えば、生きて帰れるよ。お友達にもまた会える……向こうで生きてれば。それと、ちゃんとあなたの仕事がうまくいけばね」
激痛の中ではっきりと子供の言葉が聞こえた。そして頭をつかむ女戦士の手から、頭に何かが流れ込んでくる。痛みとは別の感覚。何かに体の内部を呑み込まれるような、生きていて今まで一度も感じた事のない、すさまじく不快な感覚だった。
助けてくれ、誰か。
そう叫んだつもりだった。だがタリヴァスにはもう何も分からなかった。
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