2-5

「……人違いだったら、見逃してくれるのか?」

 荒く息をつきながら、タリヴァスは仰向けのまま答えた。精一杯の虚勢だった。

 だがそれが気に食わないのか、女戦士はタリヴァスに向かって屈みこむと、スーツの襟首を掴んでタリヴァスの体を軽々と持ち上げた。タリヴァスの足先は完全に宙に浮き、険の強くなった女戦士の表情がタリヴァスのすぐ前に来る。

「聞かれたことだけに答えろ。お前は、タリヴァス・アランティか」

 今にも噛みついてきそうな女戦士の視線。強い声音に、どうするかとタリヴァスは思考する。

 今の所、完全にお手上げだ。警備員は全滅。ゼイルはすぐそこにいるが、とても戦える状態ではない。瀕死だ。それにゾハは頭を下にして地面に突き刺さるようにして倒れている。生きているようには見えなかった。他の者も同じような状態だろう。せめてゼイルだけでも助かるようにしなければ。うまく立ち回る必要がある。

 まだ自分が生きているのは、こいつらが自分に用があるからだ。タリヴァスはそう判断した。この子供と女戦士が野盗なのかいかれた魔術師か分からないが、よくある金品目当ての襲撃という事はないはずだ。明確に自分を探している。

 目的は身代金か。それとも……。

「……俺がタリヴァス・アランティだ」

 女戦士の視線に気圧されるように、かすれた声でタリヴァスは答えた。軽口で時間を稼いでもよかったが、どうやらこの女戦士は気が短い。殺されることはなくても、何をされるか分かったものではない。タリヴァスはひとまず素直に答えることにした。

 女戦士が掴んでいたスーツをぱっと離し、タリヴァスは地面に倒れ尻もちをつく。女戦士はタリヴァスを見下ろし、質問を続けた。

「魔格構造というものを作れるか」

 思わぬ質問に、タリヴァスは視線を泳がせる。魔格構造とはマジックアイテムなどを制御するための構造だが、タリヴァスは女戦士の質問の意図をはかりかねた。作ると言っても解釈の余地がある言葉だ。こんな状況だったが、技術者としてははっきりさせておきたいところだ。それに、ひょっとすると回答如何で命に関わる。

「作れるが……設計は出来るが、ワバク文字を刻めるかということか? 実効構造にできるかということか?」

 聞き返したタリヴァスの言葉に、女戦士は沈黙を返す。タリヴァスを見つめる視線はそのままだが、何かを考えこんでいるようだった。ややあって口を開く。

「……文字を刻んで、動かしたりできるか?」

 女戦士の聞き方は少し妙だった。魔格構造はマジックアイテムの業界では基本的な用語だが、一般人はほとんど知らない。ダンジョン攻略者の一部が知っているくらいだ。そんな単語を口にしたから詳しいのかと思いきや、動かしたりできるか、と曖昧な言葉で問い返してくる。タリヴァスの言った実効構造という単語も知らないようだ。

 マジックアイテムは魔力で動くように作ってあるが、しかし魔力は魔術師にしか扱えない。そこで魔術師の代わりに魔力を思い通りに発現させる装置が組み込まれている。それが魔格構造だ。

 具体的には、水晶や銅等の薄い板の表面に、ワバク文字という魔力を込める事のできる文字を刻んだものだ。文字にはそれぞれ意味があり、関連付けて刻むことで複雑な機能を持たせる事が出来る。

 スイッチを押され、投擲の衝撃を感知したら、一定の時間の後で、緩やかに魔力を流し、継続して、光を発生させる。魔法燐の場合はそのように効果を発揮する。複数の条件をつなげて特定の条件下でのみ機能するようなマジックアイテムを作る事が出来るのだ。ラグニアもより複雑なワバク文字の組み合わせによって制御されている。

 だがワバク文字を刻んでも、その文字に魔力がこもっていないと機能しない。魔術の素養がある者が、例えばタリヴァスの幼馴染のフィオレッタのような者が魔力を込めながら文字を刻むことで初めて、機能する魔格構造を作る事が出来る。そのワバク文字に魔力を込め機能する状態にすることを、実効構造にするという。単に文字が刻まれただけのものは無効構造と呼ばれ、別途魔力を込める必要がある。

 この女戦士は技術者ではなく、基本的な知識もないようだ。恐らく誰かに命じられているだけの実行部隊だ。タリヴァスはそう判断した。誰かが技術者を探していて、それで狙われたらしい。迷惑な話だった。

 知らない人間にも分かるように、少し言葉を選んでタリヴァスは答える。

「ワバク文字を刻むこと自体はできる。だが俺は魔術の力はないから、魔格構造として機能させる事はできない。誰かが魔力を込める必要がある」

「それは問題ない。刻めるのなら、それで十分だ。お前は優秀な技術者か?」

 またも意外な問いだった。優秀だと思ったから狙ったんじゃないのか? それとも適当に襲撃しているのか。奇妙な連中だとタリヴァスは感じた。

「……優秀という自負はある」

「ならいい。お前の能力を――」

 言葉の途中で、女戦士の視線が素早く横に動いた。タリヴァスも視界の端で動くものに気付いた。瀕死だったゼイルが、右手のナイフで女戦士に飛び掛かろうとしている。

 無謀だ。タリヴァスはそう思った。瀕死のゼイルの動きは精彩を欠き、素人のタリヴァスの目にも少し遅く見えた。

 ゼイルは最後の力を振り絞っていた。流れる血と共に力が失われ、死ぬのは時間の問題だと分かっていた。だからそうなる前に、少しでも相手の戦力を削る。その思いで、最後に残った武装のナイフで攻撃を仕掛けた。

 一秒でも時間を稼ぐ。僅かでも敵に傷を残す。タリヴァスならば、なんとか増援が来るまで交渉することも可能だろう。そう信じ、ほんの僅かでも可能性を残すために最後の力をふり絞っていた。

「お生憎様」

 虚空から女の声が聞こえた。森の中で響いた姿なき声。それと同じものだった。そして、ゼイルの胸から血が噴き出した。

「う、お、おぉ……」

 ゼイルの鎧が背中から貫かれ、胸のプレートの内側から太い槍の穂先のようなものが前方に飛び出していた。ゼイルはそれを信じられないように見下ろし、そして力尽きたようにうなだれた。 

 血が絡んだ穂先からは血が滴り、ゼイルの体は縫い留められたようにその場から動けなくなっていた。突き出した右腕は力を失い、ナイフが音もなく落ちる。脚からも力が抜け落ちていたが、その体は胸の槍で支えられ倒れる事さえ出来ないようだった。

「ゼイル!」

 タリヴァスはその姿に叫んでいた。ゼイルは五代に渡ってアランティ工業に仕えている家系で、サイブルダンジョンのことは社の誰よりも詳しい。優秀な男だった。その男が、目の前で殺されようとしている。きっと自分を助けようとして無茶をしたのだ。抵抗するなと言うべきだったと、タリヴァスは後悔した。

 ゼイルの目がタリヴァスを見る。目が合う。しかしその目からは、今まさに命の光が消えようとしていた。タリヴァスは強い責任感を感じたが、同時に、自分にはもはや何もできないと悟った。ゼイルは、死ぬ。自分を守ろうとして。ゾハも、他の者も、みんな死んだ。

 女戦士はゼイルを迎え撃とうとした動きを途中で止めていた。血まみれのゼイルをしばし睨んだが、数秒して視線を何もない方に向ける。

「ちゃんと殺しておけ」

 女戦士の視線の先、タリヴァスの後方には誰もいなかった。だが、不意に空間が陽炎のように揺れ、その揺らぎの隙間から滲み出るように人の姿が現れた。

 三人目の黒衣の女。年の頃は一五、六だろうか。まだ少女のあどけなさを残した表情をしているが、女戦士とは違い鮮やかな口紅をつけていた。ウェーブのかかった髪が首元まで伸び、頭頂部には金色のカチューシャが留めてあった。上衣は少しゆったりとした半袖のドレスのようで、下はパニエに似た膝上の短いフリル付きのスカート、そして黒い二―ソックス。履いている靴は高めのヒールがついていて、色はもちろん黒だ。社交界に黒は似つかわしくないが、来ている服の見た目だけで言えば十分華やかなものだった。血の流れるこの場には似つかわしくない姿だった。

「ひょっとして怖がらせちゃった? ごめんあそばせ」

 言葉とは裏腹に、どこか面白がるような口調で少女は言った。女戦士はむっつりとした表情で答える。

「ふざけるな。この程度の戦士など少しも怖くない」

「ふふ、そうですわね。確かに、怖くはない。ねえ、お前」

 少女が自分のすぐ隣の空間を撫でる。何も無いように見えたが、手の触れた辺りが陽炎のように揺れる。その揺らめきの中に黒い獣の姿が垣間見えたが、少女が手を戻すとまた何もない空間に戻った。

「ストーカーか……」

 タリヴァスは後方の少女を横目に見ていたが、何もないように見えるその空間にモンスターが潜んでいることを看破した。恐らく、ストーカーと呼ばれるモンスターだ。

 ストーカーは姿を消す魔術を使う強力なモンスターで、黒豹に似た姿をしていると言われている。尾は長くその先端には刃がついていて、背後から忍び寄りその尾で攻略者に襲い掛かるのが特徴だ。

 サイブルダンジョンにはおらず、他のダンジョンでも目撃例は少ない希少なモンスターだ。或るダンジョンでは一〇階前後の中層で確認事例があり、見えない攻撃に熟練パーティが全滅させられたこともある。ゼイルの胸から突き出しているのは、そのストーカーの尾の刃に違いなかった。

 だがモンスターが何故こんな所にいるのか。タリヴァスは激しく困惑した。魔術が地上で使えないように、モンスターも魔力のない地上では生きられない。短時間なら活動可能だが、人間で言えば水の中で息を止めるようなものだ。好き好んで地上で活動するモンスターはいない。

 それに、このストーカーはどうやら少女に従っている。それもあり得ないことだ。ストーカーに限らず、モンスターは人間に慣れず、家畜のように扱うことはできない。ダンジョンが生まれて千年経つと言われるが、その原則は変わらない。人とモンスターは相いれない存在だ。だというのに……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る