2-4

「何だ……?! 急いで下さい、社長!」

 ゾハの叫ぶような声が聞こえ、タリヴァスは首だけで振り返る。

「あれは……?!」

 タリヴァスは空中に黒い球体が浮かんでいるのを見つけた。子供のいる方向、その少し後ろの三ターフ五.四メートルほど上空に、一抱えほどの黒い球体があった。

 さっきの立方体と同じような攻撃の魔術か? タリヴァスはそう思い身構えた。だが球体はその場から動くことはなく、しかしゆっくりと大きさを増して一ターフ一.八メートルくらいになり、そして内側から何かが出てきた。大きな塊が飛び出し、地面に落下していく。

「人間……?!」

 地面に降り立ったのは、子供と同じような黒衣を着た人間だった。それも女だ。上衣は半袖で金糸の刺繍が施されていて、長さは胴の半ばまでで大胆にへそが出ている。下は裾を動きやすいように絞ったズボンで、履いている靴もヒールがあるようなものではなく運動に適したものに見えた。背は男並みに高く、袖口から見える腕はたくましい。鍛えられた戦士のようだった。肩口までの髪を後ろでまとめ、前髪をきついオールバックにしている。目が特徴的だった。アーモンド形の瞳で力強い視線。どこか不機嫌そうな表情は、獰猛な肉食獣を思わせた。

「まだやってるのか」

 やや低い声で、その戦士風の女が言った。子供に向かってのようだった。

「妙な武器を使うんだ。ちょっと面白くて、見てた」

 答える子供の声はやはり幼く、女の子のようにタリヴァスには感じられた。どこか無邪気な声の調子は老練な魔術師などではなく、見た目そのままの子供のようにしか思えなかった。今も目の前には金色の薄い壁が浮かんでいて、それがラグニアの魔力弾を受け止めている。

「賊どもにくれてやったのと同じ武器だろう? 玩具だ。さっさと片付けてしまえ」

 冷酷な口調で女がそう言うと、子供はつまらなそうに答えた。

「そうなんだ? 興味なかったから、知らないな。確かに玩具だね、これ」

 子供は胸の前に出していた右腕の肘を曲げ、立てた指を上に向けた。すると金色の壁に線が走り、カードサイズに細かくバラバラになり、空中で緩やかに回転する。

「消えな」

 子供が指を森の方へ向ける。そして、金色のカードは回転しながら勢いよく森の方へ飛んでいった。

「ぐあっ!」

 森の中で声から警備員の苦鳴が聞こえた。カードは紙切れのようだったが恐ろしく鋭く、そして強力だった。盾にしていた樹木を軽々と貫き、その背後に隠れていた警備員たちを斬り裂いたのだ。

 子供はハープを奏でるように指を動かし、そして再び前方の空間に数十枚の金色のカードの生み出す。薄片が風に揺れ、次の瞬間には恐るべき刃の嵐へと変わる。再び森の方へ向かって打ち込まれ、今度は木が何本か切断され倒れた。

「行ってください、社長は!」

 ゾハに背を叩かれ、タリヴァスは我に返る。ゾハはラグニアを構えて子供に向かって攻撃を始めた。

 その結果がどうなるか気になったが、タリヴァスは自分のやるべきことをした。みっともなくも、森に向かって這って逃げる。戦う事のできないタリヴァスにできるのはそれだけだった。

 ゾハの撃つ魔力弾が子供に襲い掛かる。しかし、それは容易く弾かれた。防御魔術によってではなく、横から出てきた無造作な女戦士の手によって。

「くそ、化け物なのか?!」

 ゾハは毒づきながら、狙いを女戦士に変えてラグニアを撃ち続ける。だが何度撃っても結果は同じ。女戦士は魔力弾をその手でいとも容易く叩き落してしまう。

 ゾハ達が今使っているのは初代のラグニアで二号より威力は劣るが、それでも人間が耐えられるものではない。手に当たれば簡単につぶれて千切れてしまう。魔術師の魔力弾と同じだ。

 付与魔術を施された武具であれば受けたり叩き落すことも出来るが、生身では無理だ。防御魔術で防ぐことはできるが、その場合は体から離れた位置で防壁が機能する。肉体そのもので弾くような芸当は不可能だ。

「標的はどこだ?」

 魔力弾を払いながら女戦士が子供に聞く。子供は金色のカードでの攻撃を続けていた。子供の方にも森から時々魔力弾が飛んでくるが、それは金色のカードが盾になって防がれていた。

「そっちの方だよ。青い服の人」

「あれか」

 女戦士は森に這っていく青い服の男、タリヴァスを認めた。そして大股に歩き始める。ゾハの攻撃は続いているが、女戦士にとっては羽虫を払う程度のことでしかないようだった。倒すどころか、その歩みを止めることすらできない。

「くそ、くそっ!」

 ゾハは最後の魔力カートリッジでラグニアを撃ち続ける。二秒に一発。その連射速度が遅い。倍の速度のラグニア二号ならばとゾハは思ったが、いくら思っても仕方のない事だった。そして引き金を引いても弾が出なくなる。魔力切れだった。女戦士に傷一つ負わせることはできず、そしてゾハに向かい悠々と歩いてきている。

「止まれ! それ以上近づくな!」

 ゾハは肩にかけたストラップを外してラグニアを放り捨て、立ち上がり腰の剣を抜いた。長さ半ターフ九〇センチのロングソード。ラグニアが開発される以前の標準装備で、ダンジョンでもこれで戦ってきた。現在は補助武器扱いだが、その威力と価値が落ちたわけではない。

「止まれ! お前たちは何者だ!」

 剣を正面に構え女戦士に警告するが、女戦士は反応せず平然と歩いてくる。ゾハは一瞬ためらったが、覚悟を決めて斬りかかった。

 次の瞬間、ゾハの足は地面を離れ、代わりに頭部が地面を強く叩いた。頭部は軽量の兜で防御していたが、衝撃に首の骨が折れて意味をなさなかった。ゾハは即死だった。

「なんだ、思ったより弱いな」

 女戦士の右手にはゾハのロングソードが握られていた。その手の中で、柄と一緒に握られたゾハの千切れた指が血を滲ませていた。

 ゾハが斬りかかった瞬間に女戦士は前に出て、まず剣を持つ手を掴んで押さえた。同時にゾハの顎を斜め下から叩き、ゾハの体は後ろに倒れ込むようにして回転し、後頭部から地面に叩きつけられたのだ。ゾハの手を掴んだ握力もすさまじく、離れる手から剣と一緒に指をむしり取っていた。

 体術としては、ゾハを転倒させた技術は特殊なものではない。振り下ろされる剣を止めるのもそうだ。しかしそれを行った腕力が、単純に桁違いだった。ダンジョン内では付与魔術によって筋力を強化することも出来るが、女の力はその状態に近い。それもかなり高い水準だ。だが攻撃や防御の魔術と同様に、付与魔術も大気に魔力のない地上では使う事が出来ない。あり得ない状況だった。けしてゾハが弱かったわけではない。

 女戦士は手にしたロングソードとゾハの指を地面に落とし、手についた血をズボンの腰辺りで拭った。そして改めてタリヴァスを確認し、森に隠れようとしているその背中を追った。

 といっても急ぐわけでなく、先ほどと同じように悠然と歩いていく。魔力弾も効かない。剣も届かない。この場において、この女戦士が恐れるものなど何もないようだった。

 タリヴァスは文字通り這う這うの体で森に入る。そして自分に駆け寄ってくる警備員に気付いた。隊長のゼイルだった。

「社長、ご無事ですか?!」

「あ、ああ……何とかな」

 下草に分け入るように膝立ちになって答えながら、タリヴァスはゼイルの様子に愕然とした。左目が真横に斬り裂かれたように傷つき、そして身につけている灰色の鎧も血だらけだった。何か所も斬り裂かれて内側から血が溢れている。それに、左腕の肘から先がなくなっていた。止血も出来ておらず、激しい勢いで血が零れ落ちている。

「ゼイル……なんて怪我だ?!」

「私の事より、早く逃げてください! ここは……ここは我々が時間を稼ぎます! 試験場に行って増援を! 逃げてください!」

 ゼイルの方にはラグニアのストラップがかかっていたが、腰に垂れ下がるラグニアは本体の中ほどが綺麗に斜めに切断されていた。子供が放った金色のカードは、金属製のラグニアさえ容易く斬り裂いたのだ。

「逃げられては困りますわね」

 すぐ近くで女の声が聞こえた。子供でも、女戦士の声でもない。別の誰かだった。

「誰だ?!」

 ゼイルが腰の剣を抜いた。そしてタリヴァスを背にかばう様に立ち、少し暗い森の中を見回す。だが誰の姿もない。タリヴァスも一緒になって探すが、誰の姿も見つける事が出来ない。しかし、再び声がした。

「ここですわ、お馬鹿さん」

 タリヴァスの目の前にいたゼイルが突然右に、森の外の方へと吹き飛んでいった。何かで強く叩かれたような衝撃音が聞こえたが、タリヴァスには何も見えなかった。ゼイルは軽く五ターフ九メートルは吹き飛ばされ、惨い音と共に地面に強く叩きつけられた。

「ゼイル!」

 タリヴァスの声が聞こえたのか、ゼイルはゆっくりと体を起こそうとする。だが力が入らないようで、立ち上がる事が出来ないようだった。傷口からは血が滴り、地面に赤い染みが広がっていく。

「あなたも自分の心配をなさっては?」

 また女の声がした。若い女の声。こちらを挑発するような、嘲るような、そして妖艶な口調。不意に、タリヴァスはほのかな香水の香りを感じた。

 直後、強い衝撃がタリヴァスを襲った。視界が明るくなり、空が見え、そして今度は地面にぶつかる。宙を舞ったタリヴァスの体は、ゼイルと同じように地面に叩きつけられていた。

「う、ぐお……」

 横倒しになったタリヴァスはなんとか仰向けになり、くぐもった声をあげた。肺が締め付けられてうまく呼吸が出来ない。手足にも力が入らず動かすことが出来なかった。

「確認する。お前がタリヴァス・アランティか」

 女戦士が倒れたままのタリヴァスを見下ろしながら言う。黒い瞳が、獲物を狙うように見つめていた。

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