2-3

 本社までへの距離を半分ほど進んだところで、タリヴァスは道の先に妙なものを見つけた。

「人……か?」

 ハンドルを少し右に切って馬車の右後方に動き、前方を注視する。間違いない。タリヴァスは人が立っているのを見つけた。それも、恐らく子供のようだ。黒い服を着ていて、一人で道の真ん中に立っている。

「迷子か? まさかな……」

 最寄りの街と言えばラソーン市だが、ざっと五タルターフ九キロは離れている。ここまで歩いてくることはあまり考えられない。だとすると、あとはアランティ工業の隣の宿場に来ている攻略者パーティの連れてきた子供というのが考えられる。宿場には託児所もあるためそこに子供を預けるのだ。その子供が退屈しのぎに抜け出してここまで来た……そんな事をタリヴァスは考えた。

「やれやれ、とんだやんちゃな子供だな。馬車に乗せていくか……」

 前をいく馬車でも子供に当然気付いているだろう。魔道車の助手席は空いているが、タリヴァスは子供が苦手だった。大人相手なら社長業で培った話術で会話できるが、子供相手だと何を話していいのか分からなかった。まさかラグニアを売り込むわけにもいかない。

 馬車が減速しながら子供に近づいていく。タリヴァスもそれに合わせて減速する。

 子供は相変わらず道路の真ん中に立っていた。馬車が来るというのに恐れる様子がない。少し奇妙だとタリヴァスが考えていると、その子供が右手を上にあげた。止まってくれという合図。そう思った。しかし違っていた。

 子供の腕の先、二ターフ三.六メートルほど頭上に突如黒い塊が生まれた。黒い立方体。タリヴァスにはそう見えた。立方体は子供の背丈と同じくらいの大きさだった。立方体の周りには、雷雲に稲妻が走るように金色の光が走っていた。

「何だ……?」

 見た事のないものだった。それに何故、いきなりあんなものが空間に発生したのか。あの子供が何かしたのか? 一体何が起きている? 理解できない事象にタリヴァスは困惑し、咄嗟に急ブレーキを踏む。魔道車のタイヤが止まって地面を削りながら急停止する。

 馬車は子供を避けるように左に逸れた。荷台の警備員は立ち上がってラグニアを構えようとしていた。得体の知れない状況に、警備員たちは即座に反応していた。

 子供が腕を振り下ろした。どちらかと言えばゆっくりと、目の前に垂れ下がる絹を撫でおろすように。その動きに合わせ、空中の立方体は放り投げられるように飛んでいった。その先には警備員の乗る馬車があった。

「おい……?!」

 声が口をついて出ていた。タリヴァスは呆然としながらその立方体の動きを見つめる。立方体は緩やかに動き始め、そして急激に加速して馬車に突っ込んでいく。馬車は止まるのも避けるのも間に合わず、タリヴァスの五ターフ九メートルほど前方で、黒い立方体に成す術なく荷台が押し潰された。木製の荷台が砕け、乗っていた警備員たちが空中に放り出される。そして、閃光。タリヴァスはサングラスの下で目を瞑った。


 地面が目の前にあった。硬い感触が頬にあり、体が痺れているようだった。タリヴァスは何が起きているのか分からなかった。

 確か……今日は商談がある。ラグニア二号の……将軍たちを招いて、そう、招いたのだ。そして……?

 顔を上げると頭と首がひどく痛んだ。その痛みをこらえながらうつぶせの体を起こすと、前方で何かが燃えていた。木製の何か……車輪が近くに落ちている。向こうには馬も倒れている。馬車なのだろう。そう、馬車だ。

「……みんなは?!」

 タリヴァスはさっきの出来事を思い出した。子供が現れ、奇妙な立方体が馬車を破壊して……恐らく、爆発した。振り返ると横倒しになった魔道車が腹を見せていた。自分も吹き飛ばされたようだった。

 乗っていた警備員は、ゼイル隊長はどうなった? タリヴァスは視線を巡らせながら立ち上がろうとする。しかし、右足をつこうとして大きくつんのめる。

「義足が……くそっ!」

 右足を見ると、義足が外れてズボンの裾が垂れていた。どうやら爆発でどこかに行ってしまったらしい。

「まずいな……何だってんだ、一体!」

 さっきの子供が何者かは分からない。しかし、何らかの魔術で攻撃を受けたことは間違いがない。警備員たちが襲われたのだ。

 そして目的はそれだけではないだろう。目的は、自分だ。タリヴァスは背筋がぞくりとするのを感じた。自分は今、狙われているのだ。身代金か、もしくはこの命か。どちらにせよ非常に危険な状況だ。

 視線を巡らせると、さっきの子供がまだ道路の真ん中にいた。しかし見ているのはタリヴァスではなく、道の左側、森の中だった。

 森の中から緑色の光が子供に向かって飛んでいく。魔力弾、ラグニアだ。

 タリヴァスが膝立ちになって目を凝らすと、森の中に動く姿があった。木の陰に警備員たちがいる。隠れながら、子供と戦っているようだった。タリヴァスは少しだけほっとする。彼らは至近距離で爆発に巻き込まれたはずだが、生きていたようだった。

 ラグニアの魔力弾が続けざまに子供に向かって放たれる。しかし、子供にそれは届かない。子供の前方の空間に金色の薄い四角い壁が生まれ、それが魔力弾を受け止めていた。何らかの防御魔術のようだった。

「地上であれだけの魔術を……しかも子供が?」

 信じがたい光景にタリヴァスは息を呑んだ。

 魔術の素養があれば魔術を使用することができる。しかし人間の体では必要な魔力を生み出すことは難しいため、基本的には大気に魔力が含まれるダンジョンの中でしか使えない。軽微な魔術は地上でも使えるが、その威力はかなり限定されてしまう事になる。先ほどのように馬車を破壊したり、大きな爆発を起こすようなことはほとんど不可能だ。

 爆発型のマジックアイテムならそれも可能だが、さっきの立方体はアイテムではなく魔術で生み出したもののようだった。そして魔力弾を防ぐようなマジックアイテムはタリヴァスの知る限り存在せず、今目の前で子供を守っている金の壁は魔術の行使に他ならなかった。

 子供がそんな魔術を行使している……とても信じられない。子供、なのか? 疑念が生まれ、タリヴァスは思考を巡らせた。極端に背の低い熟練の魔術師という可能性はある。あるいは、別の場所に隠れて魔術を使っているのかもしれない。だが何にしても尋常の相手ではない。カルバ王国広しといえど、地上であれほどの魔術を使える魔術師など果たして存在するのか? タリヴァスには分らなかった。

「社長、身を低くしてください!」

 タリヴァスの耳に、ゼイル警備隊長の声が聞こえた。少し遠いがはっきりした声。姿は見つけられないが、声の方からすると森の奥のようだ。

 タリヴァスは言われたように地面に伏せる。燃える馬車の向こうでラグニアによる攻撃が続いているが、子供には一向に効き目が無いようだ。しかし子供の方も防御で手一杯なのか、ゼイル達に反撃する様子はなかった。

 森の方で動く者が見え、伏せたままタリヴァスは視線を動かす。すると警備員の一人がラグニアを抱えながらタリヴァスの方へと匍匐前進していた。タリヴァスは少し迷うが、自分も警備員の方へ這って移動する。そして警備員と合流する。

「無事ですか、社長?!」

 警備員のゾハだった。額から血が流れ、右目の上でそれを拭った跡が乾いていた。馬車の爆発で怪我を負ったらしい。しかしその目付きは生気に満ちており、弱々しさはなかった。

「無事だ。右の義足が取れたが、体は無事のようだ。他のみんなは?」

「タリーが確認できません。他は、自分を含めて五人は無事です。隊長の指揮で、森の方であの子供と応戦中です」

「そうか。くそ……! あの子供は何なんだ?!」

 苛立つタリヴァスの質問に、ゾハは首を振り答える。

「不明です。この辺に野盗は出ない。周辺地域の情報も軍から聞いていますが、あんな……あんな子供の魔術師のことは聞いていません。とにかく、社長はここから離れてください。車は……駄目か。森の中へ移動します、ついてきてください。社長はそのまま這って移動を」

 矢継ぎ早に言うと、ゾハは身を起こして低く屈みこみ、ラグニアを子供の方へ向け構えた。そしてタリヴァスの背を押す。

「分かった」

 タリヴァスは指示に従って森の方へ這って進んでいく。森の茂みまでの五ターフ九メートルがひどく遠く感じた。

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