第16話

 勇者はゲールの肩から離れてヨロヨロと墓前に歩み寄り、そして力なく剣の前に跪いた。

 「・・・魔王。久し振りだな。」

 「・・・また、あなたの元に来ることができた。」

 剣は静かに地面に刺さって、刀身を這うように茂った蔦が微かに風を帯びて揺れている。

 「俺は・・・自分の言葉であんたに言いたい事があった。」

 勇者は顔を上げて魔剣を仰ぎ見上げた。

 「・・・すまなかった。」

 狙い澄ましたかのように一際強い風が吹いた。思えば、この空間は魔力が強いのだから、ここにいる魔族たちの感情に呼応して風を吹かせたのかもしれない。しかしそんな風が遺跡を吹き抜ける音も聞かずに、勇者は言葉を続けた。

 「俺には幼馴染がいた・・・。・・・俺の家が故郷で百姓をやってたって話は、もうしてたよな?たしか、あんたと会ったあの日の夜に、俺はその話をアンタにしたよな?」

 この場にいる誰もが黙って、彼の言葉を聞いた。

 「戦争が終わって故郷に戻ったんだ。結局俺は戦争が終わっちまえばただの1人の人間で、勇者の威厳なんてものは神様が人間に俺をそういう奴だと認識させてただけだったんだ。だから俺は、せめて故郷の皆にだけは褒めてほしくて、トボトボ村に帰ったんだよ・・・。村は、無くなってた・・・。・・・なんで無くなってたのかも分からねぇ!建物はもぬけの空でよぉ!鶏一匹いやしねぇ。勇者生誕の村ってことで賞金でも貰って、皆町に引っ越したのかもしれないし、魔族に滅ぼされたのかもしれないし、夜盗にでもあったのかもしれねぇ。でも!俺の前には何にもいなくなってたんだ!!・・・初めて本気で絶望したよ。・・・そしたらさ、神様の声がまた聞こえたんだ。『勇者よ、まだ世界には不浄の火が燃えています』って。『あなたは天の使徒として戦い続けなければなりません』って!・・・そこからは、今の今まで記憶も曖昧だァ。まるで自分の中にもう一人自分がいるみたいで、俺の心と身体はもう操り人形だった。」

 その場にいた全員が息を飲んだのが分かった。

 「・・・あぁ。そうだ、幼馴染。それで、俺が一番褒めてほしかったのは、その故郷で一緒に育った幼馴染だったんだ。彼女にずっと会いたくて、会いたくて、俺は、俺って言う人間は、ずっとその為に死なずにいたんだ。」

 そこまで話を聞いていて、右腕に強い力を感じた。ニーナが自分に抱きついていた腕の力をさらに強めたからだった。

 「・・・ニーナ。俺が探し続けた少女の名前だ。」

 さらに強い力で抱きついて来たニーナは、良く通る鳥のような高い声で叫んだ。


 「私はあなたのことなんか知らない!!」


 「・・・。」


 石造りの遺跡に響いた声が止んでから、しばらく死んでしまったように静かに止まっていた勇者がゆっくりとこちらに振り返った。

 勇者は、眼を細めて、今にも崩れそうな弱々しい優しい笑顔をこちらに向けていた。その顔には丁度昼の日差しが真上から射して、まるで天に消えてしまうかのような神聖さを全身に纏っていた。

 勇者はまた向き直って少しの間俯いていると、ゆっくりと立ち上がって、天に叫んだ。


 「「勇者は死んだ!!真っ白な光に包まれて、その神聖な役目を全うしたのだ!!彼は世界の真ん中に立ち、大きく手を広げて天に祈った!すると身体がみるみる光に包まれ、この世から一切の欠片も残らずに消え去ったのだー!!」」


 その瞬間、晴れた空に稲妻が走ったような真っ白な閃光が走った。驚いて見上げると、そこには信じられない光景が広がっていた。

 見渡す限りの天空を埋め尽くすような真っ白な光の鏡が現れて、その中から無数の人間の巨大な腕が、ある腕は剣を持ち、ある腕は琴を持ち、そしてある腕は天秤を持って、まるで勇者の叫びに呼応するように掲げられたのだ。

 「・・・とうとう出やがった。」

 「・・・あれ・・・なに・・・?」

 「あれが、私たちが戦争で敵対した存在・・・。『神』です・・・。」

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