第15話
馬車がラダの合図に従ってやっとその速度を遅め始めた時、背後でメキメキと木が折れるような音と勇者の悲痛な呻き声が響いた。振り返ると、そこにはやはりゲールの腕の先で、真っ白な炎を全身から立ち昇らせながら悶え、ひっくり返された虫のようにバタバタと手足を暴れさせる勇者の姿があった。真っ白な炎は勇者の全身を覆うように燃え上がり、まるで勇者を生きたまま火葬しているようにさえ見える光景は、明らかに今までの彼を力づけていた光とは違うものなのは歴然だった。
「『お前はもうこの結界の中では神の力を使えない。この結界は”祝福”を遮断する為の結界だからだ。お前もそれに気付いていた。そうだろう。』」
「うぐうああ!!!!熱い熱い熱い熱い熱い熱い!!!!!」
「『今のお前がその白い光を取り除いてどれ程のものが残るのか。確かめてみよう。』」
「う、う゛ぅ゛・・・」
ひとしきり燃え切った炎は静かに消え、その中から出て来たのは、最早死にかけの男が1人だけだった。
「・・・ナンダ。まだ人デいれてるジャねぇか・・・。」
「ゲール!!」
いつの間にか停車していた馬車から一番先に飛び降りたのはラダだった。馬車の後方に走り過ぎていく彼女の横顔には明らかに大粒の涙が溜まっていた。ラダはその勢いのままゲールに飛び掛かるように抱きついて、ゲールもそれを勇者を投げ捨てて空いた腕で迎え入れた。
「もう!!馬鹿ァ!!」
「いテェ・・・。」
「うるさい馬鹿!!」
あんなに穏やかな笑みを浮かべるゲールを初めて見れた。ずっと生真面目な肉屋の店主だと思っていたけれど、人には色んな事情があることを学べている。そんな時間。
「ルイン、ニーナは大丈夫ダ!怪我しテルけど、イェルダが治セル!」
「ありがとうゲールさん!!」
「お前もヨク頑張ったナ!」
本当に強い人は優しいのだと実感した。
あまりにも激しかった半日の旅が一段落し、各々が一先ず墓に行くまでのひと休憩と身だしなみを整える時間となった。最も、ゲールやニーナ、そして勇者などの満身創痍な面々をそのままにしておくのも賢くないことは自分でも簡単に想像できた事だった。まずはラダの言っていた通り、馬車の中で軽く瞑想状態を続けていたイェルダがスクリと立ち上がり、スタスタと怪我人に歩み寄って応急処置の治癒魔法をかけ始めた。
「ルイン坊ちゃん。お疲れさまでした。坊ちゃんにお怪我が無くてイェルダは大変嬉しいです。」
そう言いながらイェルダは真っ先にニーナの傷を塞ぐ呪文を唱え始め、みるみる内に黙ってうなだれているニーナの全身から痛々しい擦り傷は消えていった。
「凄い・・・。」
「ここは少し強い魔法も使えるんです。ただ、内部に残った傷の”記憶”がしっかりと癒えるには正しい時間が必要です。ニーナはまたしばらく療養生活ね。」
「ねぇイェルダ!ニーナはまだうちにいてもいいよね?」
「・・・彼女は献身的に私たちに知識を教え、あまつさえ私に魔力を分け、勇者を止める決定打としてこの身を投げ出しました・・・。ニーナと神の関係性がそれを許す限り、ニーナは私たちの家族です。」
「・・・ありがとう!」
一先ずの応急処置を済ませ、今度は怒ったラダに羽交い絞めにされているゲールの方に向かっていく。
「久し振りの戦闘で随分無理をしましたね。」
「『久し振りもなにもない。俺はいつも通りさ。』」
「相変わらずね。」
「『俺もいいが、あいつも治しちゃくれねぇか。』」
ゲールが指さした先には、弱々しく蹲る勇者がいた。
「・・・本気で言っているの!?」
「『奴はもう戦えないし、神の加護も切れちまった。恐らくこれから先、さっき位強い加護を受けても耐える事ができないだろう。もう既に、当初の作戦の魔王の剣も必要ないくらい、コイツの身体はボロボロだったんだよ。』」
「それが理由になるとでも?」
「『・・・俺は何度も刃を交えたコイツに、もう一度魔王様と謁見する権利を与えてやりたいと思った。こいつに自分の口から今までの蛮行を謝罪させたい。こいつはもう”糸の切れた操り人形”だ。その喪失感、お前なら分かるだろう?』」
「・・・分かりました。ただし少しだけです。足枷としての傷は残します。」
「・・・手厳しイナ。」
「あなたが優しすぎるのよ!」
勇者の元へカツカツと歩み寄り、瀕死の生き物を見下ろす。
「・・・あなたを治療します。自分の言葉で、今までの非礼を墓前に詫びなさい。」
「・・・わかった。ありがとう。」
勇者の口から漏れ出た素直な感謝の言葉に少し面食らったが、仕方なく治療魔法をかけてやった。
どうやら城の跡地らしいこの遺跡は、やはり元々魔王城だったという事をラダから聞いた。父と母の墓は、その中央、元々玉座の間があった位置にあるという事も。そしてそれは、ゾロゾロと遺跡の中に歩き進めていってすぐに自分たちを出迎えてくれた。
「・・・大きい剣。」
「これがあなたのお父様である魔王様の所持していた『神殺しの剣』。我々魔族はこの剣があったからこそ神々と永い間渡り合うことができ、しかしこの剣の為に戦争も起きました。・・・今は錆びてしまっているけれど、昔はもっと美しい剣でした。」
「まぁ、これくらいにしておかないと神の怒りを買っちまうからね。今の私たちにそれを止めることはできない。そこにいる勇者ですら四苦八苦なんだから。」
ラダが睨みつけた後方には、ゲールに肩を持たれてヨロヨロと半ば引きづられる勇者がいる。
「アンタも憶えてるかい?この剣がまだ輝いていたころ、アンタの自慢の聖剣と刃を交わした日の事を。」
「・・・あぁ、忘れる訳がないとも。忘れる訳ない。俺の人生と、あんたらの生活を全部メチャクチャにしちまったんだからな・・・。」
結界に入ってからの勇者は人が変わったように物静かでどこか優しい声色に変わってしまった。初めて会った夕暮れの坂道で道を聞いてきた時の彼や今の彼がやはり本来の人間性なのかもしれない。だとすれば、自分が幼い頃から読んできた勇者の物語もまるっきりの嘘ではなく、やっぱり少なからず憧れた勇者という存在はたしかにそういう人だったのだろうと思えて、ほんの少しだけ安心感が湧いてきていた。
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