第9話
「教えて、イェルダ。」
真っ直ぐこちらを見つめているメイド服のマリオネットは、表情こそ部屋の暗さでよく分からないけれど、確かな物悲しい雰囲気を放ってしばらく思案の沈黙を待ってから、その固い口を開き始めた。
「色々な事があって、中々簡単には説明できないの。だから、まずは私の事からお話させて頂戴。」
「うん・・・。」
「私は、幼い頃、まだ自分の名前も思いつかないような小さな頃に、故郷である人形の谷から、魔王、いいえ、私たちにとっては純粋な種族の王である旦那様に拾われました。人形の谷は、森の力を利用した魔法を使う種族によって長い間生命が紡がれていた場所で、私の先祖たちは森の力を身体に宿す為に、己の身体を樹木と同化させる事を選んで、このようなドールの身体を持つようになったのです。本来の私たちは、自然の中で木々のようにゆっくりとした時間の流れを瞑想をするように静かに過ごす、そういう種族なんです。実際、幼い頃の私も、何度も過ぎる季節の移り変わりだけを感じながら、永遠にも思える平穏を生きるのだと、そう思っていました。」
そこまで一息に話した彼女は、また一寸の重い沈黙の後、また話を続けてくれた。
「ある日、森が伐採され始めました。最初は仲間たちもそれ程心配していませんでした。森は資源として他の種族たちに利用される物で、私たちの完全な所有物ではありませんからね。私たちにとってはそのような利己的な意識すら、瞑想の邪念として取り払われていたんです。ただ、しばらく経っても伐採が続き、偵察に行った部隊が瀕死の状態で帰ってきて、状況は一変しました。伐採していたのは人間だったと、森を切り開いて大聖堂を作る為に必要以上の伐採をしている、と・・・。そしてどうやら、彼らの信仰にとって我々の存在は悪魔と同義の扱いだと言う事を知りました。森が焼かれたのはそれからすぐの事でした。」
気付けば額に冷や汗をかいていた。身体を包む寒気もすっかり忘れれていた。
「全員死にました。燃えたのではありません。燃やされたのです。私を逃がしてくれた家族たちも、皆・・・。私は焼け跡に転がる炭を体中に塗りたくって焼けた木の真似をして隠れました。あの時身体に擦りつけた消し炭の中には焼け死んだ仲間たちの身体も含まれていたかもしれないと、思い出す度に今でも身体が震えます。そうしているうちに長い雨が降って、その後に森を訪れた旦那様に拾われました。」
全身の力を振り絞るように出た言葉に震えていた彼女の身体は、再び深呼吸のような間と静寂を挟んで一旦納まったように見えた。
「私はそこで初めて、森の外の事を学びました。他の種族の事、人類の社会という仕組み、マナーに作法、戦い方。そして、人間と『神』の関係について。」
「神様・・・?」
「先程、私はあなたに『魔族とは魔法を身に着けた人類の進化系だ』と教えましたね。あれは概ね正しいですが、実は少しだけ正確ではない事があります。それが『神』の存在です。」
今までの話で一番驚くべき事だと感じた。魔族や異形の類は、自分の中でまだ存在していても良いだろうという空想があって、しかもそれを証明するようにニーナとの出会いがあった。そして目の前で話をする自分の人生の殆どを共に過ごしてくれていた生きるマネキンも”いた”。でも、そんな状況にいたって、未だに『神様』なんていう漠然として強大な概念の実在を打ち明けられても、正直脳みそが追いついて来なくて混乱している。しかし、イェルダは話し続けた。
「本来、我々魔族とされる人々から見た人類史というのは、現在語られている人類目線の解釈とは『神』という存在を軸に全く逆の解釈になるのです。」
「つまり、どういうこと・・・?」
「我々が魔法を身に着け生物として分化したのではなく、人類側の人々が『神』の言いつけに従って魔法を身に着けようとせず、意図的に”生物としての進化を拒んで”神の隷属としての生活を続けたのです。」
「それって、要は・・・」
「この後、あなたが生れる少し前まで、永きに渡り続いた魔族軍と人類軍による大戦争は、実際は世界を支配したい『神』たちが自分たちを信仰しない魔法人類達を排除する為に人類に消し掛けた、卑劣な代理戦争だったのです。」
「・・・なんで今まで黙ってたの。」
「ごめんなさい、ルイン。でもあなたを騙したかった訳では無いの。もう戦争は終わってしまった。でも、だからこそそんな物とは無縁に生きる事ができるあなたに、あなたの心を乱すような事を教えたくなかったのよ。本当よ。」
「でも!こうして知らなくちゃいけなくなっちゃったじゃないか!」
「・・・ごめんなさい。」
今まで少しずつ知れてきた気になっていた世界の事が全て真逆だった。それも、自分が一番信じていた人も何もかも違っていた。住んできた家は荒らされた。薄々嫌いで、でも信じなきゃいけない気がして我慢してきた存在が、別に嫌いでも良い存在だと知らされてしまった。今まで、自分の中で強くて厳しくて、けれど優しかった人が、優しさはそのままにただ弱々しく謝ってくるだけの嘘付きになってしまった。
しかし、何よりも僕をイラつかせている事があるのだとしたら、それはこんなお伽話の証明じゃない。もっと今の僕にとって身近で、大切で、儚いもの。ここ最近の僕が必死に守りたかったものの肝心な説明を、まだ目の前のそれを知っている筈の人が勿体ぶって教えてくれない事だ。
「まだ、教えてくれてない事がある。」
この肩に伝わっている呼吸の揺れの正体を。
「いい加減、ニーナの事、天使の事を教えてよ。イェルダ。」
「・・・その子は天使ですよ、ルイン。ニーナは神が私たち魔族の残党を排除する為に天から送り込む使徒です。大戦の時、私たちは何度も彼女のような有翼の使いに煮え湯を飲まされてきました。彼らは凡そ我々のような人類由来の生命ではありません。もっと簡易的な、神の持つ『生命を意図的に生み出す力』によって量産された単純な生き物なんです。自然由来の調和のとれた複雑系から逸脱した、矛盾を無理矢理形にしただけの『神々の我儘』。きっとニーナの場合は、恐らく伝書鳩の役割だったのだと思います。彼女が思い出したという言葉の断片は、正に私たちが大戦の時に何度も聞いた忌々しい言葉にそっくりでした。きっと、旦那様の死を知った神々が、残された我々を始末する為に執り行おうとしている『儀式』の前振りとして、彼女はここに来たんです。」
「じゃあ、ニーナは何で怪我をして空から落ちて来たの?」
「それがわかりません。ただ、彼女は丘の向こうから飛んできました。あちらには旦那様の墓標があって、そこには旦那様の遺灰を神々から守る為の魔法がかけられています。彼女がそれに触れたのか、それともただ空の上で怪我をしたのか・・・。あなたにはまだ話していなかったけれど、この土地は終戦した時の前線の上にあるのよ。」
「まだ話されていない事ばかりだ。」
「えぇ、そうね。私たちはあなたに、まだこんなに話していない事があったのね。」
「これからもいっぱい教えてね。絶対だよ。」
「えぇ、約束します。・・・それで、この土地は前線で、町の方が、人類軍が前哨基地を建てていた場所。そしてあなたの家の正面に広がっている大地が、元々私たち魔族が住んでいた領土の名残。人類から旦那様が最後まで守り抜いた私たちの故郷の土地よ。」
「だから、ここから向こうには町が無いのか。」
「魔法の残滓が濃いから、魔法に順応する体質が整っていない人類は無意識に長居しようとはしない。これから長い年月をかけて魔法の力が弱まっていけば、人類はさらなる土地を求めてあの大地に進出していくかもしれないけれど、それまでは私たちの故郷として守られ続けると思うわ。」
「そうしたら、ニーナは何でそんな大地の上を飛んでいたんだろう。それに、ニーナを返せって襲って来たあの男は・・・ひょっとしてあの男って。」
「もう昔に死んだと思っていた勇者・・・。大戦の終結とともに姿を消して話にも聞いてなかったけれど、生きていたのね。そして、この天使、ニーナと一緒に、恐らく神からのお告げを受けてこの地へやって来た・・・。」
「そんな・・・あんな怪物が、物語の勇者だったなんて・・・。」
「・・・ねぇ、ルイン。私から、1つ提案があるの・・・。」
「なに?」
「・・・天使と勇者については、本人に直接聞いてみないかしら。」
「本人って、あの勇者に?」
「いいえ・・・そこにいる・・・本人によ。」
「・・・は?」
「ねぇ、天使さん。いいえ、ニーナ。あなた、もうとっくに思い出してるんでしょう?嘘寝は止めて、起きて下さらないかしら。」
今この瞬間まで、自分の肩に乗っかっていた体重と揺れが消えた。すっかりこの部屋の暗さにも順応した目は、確かに自分のすぐ横で背筋を伸ばした真っ白いシルエットを見逃さなかった。そして、そんな事の中でもとりわけ驚く物がそこにはあった。いつも、宝石と見紛う程に大きくて美しかった2つの瞳が、暗闇の中で確かに仄かな光を放ちながら自分とイェルダの方を見据えていた。
「・・・全て、話すわ。私の知る全てを。」
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