第8話

 「・・・ごめんなさい、イェルダ。僕、まだ何も飲み込めてないよ。」

 「一先ずここは安全の筈ですからね。お疲れになったでしょう、灯りは点けずに休んでいて下さいませ。」

 「うん、わかった。」

 いい加減暗さに順応してきた目は確かにこの空間を彼女の家だと認識している。

 「ねぇ、喉が乾いちゃったんだけど。」

 「う~ん、そうですね。この家には井戸がありませんから。そういえばブドウ酒がありましたね。取ってきます。」

 「ありがとう。」

 確かに、彼女の存在は間違いなく彼女だ、と訴えかける内心の自分がいる一方で、現実的な表層の自分は未だに、暗闇の中でテキパキと作業をしている目の前の生き人形が本当にあの老婆なのかという疑問を捨てきれていない事は、心臓の鼓動の早まりとして自分を疑念に駆り立てた。

 「ねぇ、さっきの男は追いかけて来たりしないかな。」

 「それは、大丈夫です。この家に彼は近寄れません。」

 「・・・そっか。」

 何かに納得したようでいて、その実なにも分かって等いないのに、何となく賢いふりをしたくて声を漏らしてしまう。まだ、ついさっき体験した衝撃的な出来事に頭がフワフワした眩暈を覚えているようだ。

 「イェルダは喉乾いてない?」

 「えぇ。大丈夫で御座いますよ坊ちゃん。元来マリオネットはそこまで高頻度な食事を必要としませんので。」

 「じゃあ、今まで僕と毎日食べていた夕食もいらなかったの?」

 「とんでも御座いません。人間らしく成長するには、食事の団欒は必要な物です。」

 「・・・そっか。」

 偶に月明かりで露わになる彼女の服装の詳細を見るに、彼女は裾の長いメイド服を着ているようだった。

 「なんでおばあさんの格好をしてたの?」

 「そりゃぁ、私の本当の姿で町なんかに降りたら、それこそ教会関係者や兵士がすっ飛んできて襲い掛かってきますからね。『町はずれに住む独り暮らしの老婆』というのは、そういう他人からの余計な関心を寄せられなくて何かと便利ですのよ。」

 「まぁ、たしかに。」

 目の前に突如現れた筈の異形の存在に、こうも冷静に諭されてしまうと逆に調子が狂う。

 「じゃあ、なんで僕にまで本当の姿を見せてくれなかったの?」

 闇の向こうからギシリと木の軋むような小さな音が聞こえた。メイド服の生き人形はどうやら手を止めて動かなくなってしまったらしい。部屋の中を再び静寂が満たし、余計に早まった心臓の鼓動は、自分の犯したミスについて既に高速で回顧と反省点を探し始めている。

 「え、あ、いや、違うんだイェルダ!別に怒ってるとかじゃなくて。ただ何となく疑問に思っただけで。だから気にしないで!」

 「・・・それはあなたを1人の人間として立派に育て上げるようにと、あなたのお父様から仰せつかったからですよ。ルイン。」

 また闇の向こうから再び布のすれる音が聞こえる始めると、硬いブーツを石床に鳴らしながら、大きなメイド姿がこちらに歩み寄ってくる。目の前まで来て止まった彼女は実際の背丈よりもうんと大きく感じられ、恐らくは顔があるのだろう辺りに首を持ち上げて見上げていると、巨体は膝を折ってこちらに顔を近付けて来た。

 「ルイン、ただあなたの事を1人の男の子として幸せにしてあげたかっただけなのよ。こんな事にしてしまって、本当にごめんなさい。」

 「・・・いいよイェルダ。だから、僕に隠していた事を、全部教えてほしいな。君の事。ニーナの事。さっきのあの男の事。それに、父さん達の事を。」


 「何から話せばいいのかしらね。」

 灯りの無いダイニングに向かい合って座る彼女の雰囲気は、その姿が老婆に見えていた時から何も変わらないものだった。よくよく見ればなんとなく造り物っぽい身体の造形も、彼女の些細な身振りや声色と、どうやって動いているのか分からない表情の変化によって、充分に美しく年を重ねた淑女の風情を醸している。しかしこの夜が明けてよりハッキリと彼女の全貌を見れば、やはり彼女の異質さにも気付く部分はあるのだろうか。

 「ことの説明をする為に、まず、私たちについて話させて頂戴。」

 「うん。」

 椅子に腰掛けた自分と並んで一応は席に座らせたニーナは、疲労のせいか未だに肩に寄りかかって寝息を立てている。

 「私と彼女・・・ニーナが人間ではないという事は、もう分かっていると思うけれど・・・。」

 「うん。」

 「私はいわゆる魔族で、ニーナは、天使、と呼ばれていた存在です。」

 「・・・あぁ。」

 「あんまり驚かないのね。」

 「・・・うん。」

 「・・・あなたはきっと、魔族という存在は物語や本の中で聞いた事があった筈よね。特にあなたはお母様・・・奥様からプレゼントされた勇者の物語が小さい頃から好きだったから。」

 「あの物語は本当の話だったって事?それでイェルダは、あの物語の魔物の仲間だって事?」

 「いいですかルイン。後世に伝わる物語というのは、殆どが勝者によって紡がれる物なのです。あなたが知る”歴史”は、勝者にとっての真実であり、私たちにとっては脚色された記憶です。」

 「それは、つまり・・・」

 「魔族というのは正確には化け物ではありません。遠い昔、人間の中で魔法を生活に取り入れた人々が、少しずつ違う道を歩むようになった姿、次第に肉体にも魔法が溶け込んで、いつしか人の目には化け物の類と思われるまでの進化を遂げた・・・それが私たち、魔族と呼ばれた人々の正体なのです。」

 「・・・知らなかった。・・・でも、僕は今の今まで本物の魔族なんてイェルダ以外見た事も無かったよ。もしイェルダの話が本当なら、この世界には他にもいっぱい魔族がいるんだよね。」

 「勿論、まだ沢山の魔族が世界中に点々としながらも、小さな集落を形成したりして生活を営んでいます。でも中には、私のように人に擬態しながら人類に紛れて生活しているのも、少なからず存在しています。実はあなたも会った事があるのよ?」

 「え・・・。えっと、誰だろう。」

 「・・・町の肉屋の夫婦は、元々私やあなたのお父様の同胞です。」

 「えぇ!?」

 「彼らは中々上手く馴染んでたから、ルインも上手く騙せていたみたいね。」

 「お肉屋さんが・・・」

 「ビックリさせてしまったかもしれないけれど、皆、あなたという大切な存在の為にこの土地に暮らし続けて、あなたを見守り続けていたのよ。」

 「なんで僕がそんなに大切なの?変な事を聞いてしまうみたいだけど、僕なんて、町はずれにたった1人で住んでいる親無し子で・・・町でだって他の子たちに虐められているし・・・」

 「ルイン、あなたが大切な理由なんて、そんな事関係ないんです。皆あなたの事が大好きで、1人の家族としてあなたを見守りたかったの。」

 「・・・うん。」

 「ただ、それは事実ではあるけれど、それは私たちの気持ちの部分の話です。」

 「どういうこと?」

 「私たちにとってあなたを守る事は重要な任務だったのよ。『魔王の子供』ルインを護衛するという私たちの最重要任務はね。」

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